ジャン・ラプランシュの略歴:哲学から精神分析まで
ジャン・ラプランシュは、20世紀の最も著名な精神分析家の一人です。彼の名は、彼が1967年にジャン=ベルトラン・ポンタリスとともに完成させた『精神分析用語辞典』と結びつけられることが多く、この辞典は精神分析の分野の基礎となる書物になりました。近年では、フロイトの業績と彼の理論展開について理解するためには欠かせない文献とされています。
また、ジャン・ラプランシュは主なフロイト的概念に忠実な一連の研究でも知られています。しかしだからと言って、特に誘惑理論などのフロイトの理論の主要な側面に関する研究から遠ざかることはなく、また、ジャン自身の心理性的発達理論の研究にも力を注ぎました。
“子どもにとって誘惑が重要であると言うのは、理論ではなく単なる主張に過ぎない”
-ジャン・ラプランシュ-
彼は1987年に『New Foundations for Psychoanalysis』と言う、主な研究結果についての書籍を出版しました。その中で彼は、数人の作家たちによる複数の解釈を分析することによって精神分析をその他の学問から分離させようとしました。特に、生物学、言語学、そして人類学との区別を目指したのです。
ジャン・ラプランシュ:幼少期と思春期
ジャン・ラプランシュは1924年7月21日にパリで生まれました。父はブルゴーニュ地方、そして母はシャンパーニュ地方の出身だったため、二人にとって葡萄畑やワイン生産の仕事は珍しいものではありませんでした。彼は幼少期をワインの地であるブルゴーニュ地方のボーヌという田舎町で過ごしました。
若い頃から、彼は社会正義を主な目的とした左翼組織であるカトリックアクショングループに参加していました。1943年の第二世界大戦時にはフランスレジスタンスの一員となり、密書の伝達のため各地を回りました。
戦争が終わるまでに、ラプランシュは、Socialisme ou Barbarie(社会主義か野蛮か)というグループをコルネリュウス・カストリアディスとクロール・ルフォールとともに創立しました。また、彼らは同じ名前で雑誌を作り、スターリンや、左翼運動の全体主義的立場についてラディカルな批評を書きました。実は、彼は生涯を通して政治的過激派であり続け、五月危機へ積極的に参加した人物として知られています。
ファーストクラスの教育
1940年代の間、彼はフランス、パリの高等師範学校で学びました。ここは、哲学の分野ではかなりの名門校でした。クラスメイトの一人はミシェル・フーコーでした。そしてラプランシュは、ガストン・バシュラール、ジャン・イポリット、モーリス・メルロー=ポンティなどと同じく、学校の優等生だったそうです。
1950年に哲学の学位を取得したあと、彼はルドルフ・ローウェンシュタインと接触します。このローウェンシュタインが、彼を精神分析の世界へと誘ったのです。その後彼はなんとかハーバード大学での学業を完了させました。その間、彼の精神分析への関心は高まる一方で、ヨーロッパに戻ってからジャック・ラカンに精神分析治療を行って欲しいと頼んだほどでした。ラカンはラプランシュに医学を学ぶよう勧め、彼もこの提案に同意します。
しばらくしてから、彼はパリにある精神科病院でインターンとして働きました。その経験から彼は、医学の学位のため、1959年に『Holderlin and the question of the father』というタイトルの論文を執筆しました。また、彼は国際精神分析協会にも参加しています。そして1961年には、ソルボンヌで教授として働き始めました。
ラプランシュ独自の道
フロイト的思考への回帰にあたって、ジャン・ラプランシュはジャック・ラカンと共同研究を行いますが、1964年にラプランシュはラカンのモデルとは永久に決別しました。彼の判断によると、彼とラカンはフロイトについて再考し始めたものの、最終的にラカンの考えのみが入った方向性になってしまったそうです。そしてラプランシュは自分の立場を支持する他の精神分析家たちの助けを受け、フランス精神分析学会を創立しました。
後に、彼はパリ第七大学の精神分析および精神病理学研究センターのセンター長となりました。
彼の精神分析への興味が損なわれることはなく、それがフロイト的考え方への忠実さにつながりました。しかし、ラプランシュは常にこれらの考え方に批評的であり続けました。実は、彼はフロイトの視点は極度に生物学的である、と信じていたのです。
ラカンおよびフロイトから離れてしばらくすると、ラプランシュは自身の誘惑理論と、精神分析プロセスに対する異なるアプローチを提唱しました。1970年〜1994年の間にはセミナーを行っており、この内容は『Problématiques』と呼ばれる一連の著作の中で発表され、複数の言語に翻訳されています。また、ラプランシュは3度にわたってラテンアメリカを訪れており、現地の精神分析形に自らの最も重要な考え方を教えました。
最終的に、このユーモアのセンスに優れた勉強熱心な学者は、2012年に幼少期を過ごしたのと同じ街で亡くなりました。興味深いことに、彼が亡くなった5月6日はフロイトが生まれた日と同じ日でした。
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- San Miguel, M. (2004). El psicoanálisis: una teoría sin género. Masculinidad/feminidad en la obra de Sigmund Freud. La revisión de Jean Laplanche. Universidad Pontificia comillas de Madrid. Revista de Psicoanálisis, (6).