ジャック・ラカンの素晴らしい言葉9選

ジャック・ラカンの素晴らしい言葉9選

最後の更新: 03 5月, 2019

ジャック・ラカンの言葉の多くは、彼の論理を反映しています。それは、21世紀の中で最も複雑かつ深く面白い見方です。

ラカンは、従来の精神分析から離れていった、フランス人の医師、精神科医、精神分析学者です。ラカンは自分の理論はジークムント・フロイトへの返答だと言っていましたが、彼自身、言語や数学の理論など、新しい要素を導入しています。

本質的に、精神分析は、原理や一枚岩の理論ではありません。精神分析学者の数だけ、精神分析の方法があるという人もいます。しかし、歴史上では、ラカン派のような派閥もいくつか存在しています。

今日、ラカン派の精神分析は重要視され続けています。間違いなく、歴史上最も議論を呼ぶ派閥でもあります。最も挑発的かつ賞賛に値する分析方法です。私たちは、まだ完全にこれを理解しているとは言えないかもしれません。しかし、彼の考えを凝縮しているラカンの言葉は見てみる価値があります。そのいくつかをご紹介しましょう。

「周りの人が驚いたことに、ピカソがかつてこう言っています。私は探し求めない、見つけるんだ。」

-ジャック・ラカン-

1. 真実と懐疑

ラカンは、矛盾しているように聞こえるような言葉を残しています。「真実とは、妄想をのがれ、誤解から行きつく間違いだ。」この思想家にとっては、日々人々の間でまわるものは、真実ではありませんでした。皆が他人をだまそうとしているわけではありませんが、自分自身の真実を無視しています。だから表現できないのです。

 

仮面

しかし、真実が「逃げて」しまうことがあります。口を滑らせてしまったときなどです。あるいは、考えずに口に出してしまったときです。表面上では、これは誤りの産物で、誤解を生みだしているように見えます。しかし現実には、真実が少しずつ開いて、状況に光を当てているのです。

2. 無意識と言語

ジャック・ラカンは、言語の理論に大きな影響を受けています。これは、20世紀に大流行した理論です。ラカンは、フロイトの従来的な精神分析論に、純粋に言語学の概念を組み込んでいます。これらの概念の中で最も重要なものを見てみましょう。「無意識の構造は、言語に似ている」。

ラカンにとって、無意識は、言語のように機能します。つまり、それを知り理解するための手引きは、言語の解読のために使われるものと類似しているということです。例えば、夢は比喩や換喩として解釈されるべきです。

3. ラカンの最も謎めいた言葉のひとつ

ラカンにとって、愛は循環するものです。彼の見方は、かなり謎めいていて興味深いものです。有名な言葉のひとつを見てみましょう。「愛することは、存在しない人に、自分が持っていないものを与えることだ。

顔を覆った二人のキス

ラカンにとって、愛や人が「現実」と呼ぶほとんどのものは、曖昧な言葉です。愛する人たちの間には、本当は偽りの約束があります。 愛によって自分が「完全」になり、幸せになるということです。コミットメントが明確に口にされていなくても、それはロマンチックな関係の奥深くで輝きます。だから、ラカンは「人は持っていないものを与える」と表現しています。

同時に、相手の人は本当の意味で認識されていません。相手の特性は、無意識のうちに与えられたレッテルに反応します。人は相手の人を好きなのではなく、自分が相手に対して持っているイメージを愛しているだけです。だから、ラカンは「存在しない人」と表現しています。

4. 自分への愛と裏切り

ラカンにとっての愛は、言葉から生まれる絆のようなものです。言葉がなければ、恋に落ちるだけです。これはただの空想です。性的な欲求は、相手の人を欲求を満たすための対象に変えてしまいますが、愛はそれを超えます。愛は、相手をものではなく存在としてい見ています。

愛するためには、彼らの過ちも弱さも受け入れなくてはいけません。愛が「愛されたい」という単純な願望を超えるとき、能動的な贈り物となります。しかし、この愛にも限界はあり、これはラカンの言葉によって確立されています。「愛する者が度を越えて自分自身を裏切り、自分自身の欺瞞に耐えてしまうとき、その人への愛はもう続かない。」

そこに愛があるとき、人は相手の存在を愛します。その存在が自分自身を常にだましていても、愛し続けることは出来るでしょう。しかし、この裏切りが行き過ぎて、相手の存在自体がひずんでしまうと、この感情はなくなってしまいます。別の言葉で言えば、自分自身を裏切って、だますような人、あるいは好きになったその人ではなくなってしまったときに、その相手を愛すのをやめてしまいます。

5. ジャック・ラカンの別の力強い言葉

ラカンの言葉のひとつにこんなものがあります。「これは『真実』ではないため、私があなたに与えるものを拒否してほしい」。これは、精神分析学者とその患者の関係を主に指しています。ラカンは自分の患者を「患者」とは呼ばず、「被分析者」と呼んでいました。精神分析を受ける側の人間であるからです。

ハト

被分析者は、完全には自分が精神分析に求めていることを意識していません。さらに、精神分析学者と被分析者の関係は、その過程の中で様々な形をとります。被分析者が放つ言葉は、彼らの現実を説明するものではありません。そして、これらの言葉こそ、その過程で与えられるものです。

この言葉は、心理分析学者の倫理的な立場に関連しています。彼らの立場は、被分析者が与えるものを拒否することです。 これは、精神分析の過程をほのめかし、倫理的な基盤として構成する、ジャック・ラカンの言葉のひとつです。

6. 罪の意識と欲求

ジャック・ラカンの言葉は、読み手が簡単に理解できるようには考えてられていません。その為、多くは複雑でつけ入る隙がありません。言葉通りの分析に意味はなく、他の意味をほのめかしています。

私たちが冒した唯一の罪は、自分の欲望に関する権利を諦めたことだ」。これは、様々な意味に解釈されているラカンの言葉のひとつです。この言葉を理解するためには、ラカンにとっては、コインのひとつの面は過ちで、反対側は責任であるということに言及しておきます。責めることとは「超自我」の非難、あるいは、責任の非理性的な意識です。責任とは、対象の本当の欲求を意識することです。

それ故に、この言葉は、欲求に対する意識がなければ、罪は常に現れるということを意味しています。自分が本当に求めるものを意識することは、責任のある行いです。自分の欲求に責任が持てたら、罪の意識はなくなります。

7.忠誠に関して

忠誠とは、永遠のテーマです。このテーマに言及しているジャック・ラカンの言葉の中で、まさにうまく表現しているものがあります。「誓った言葉以上に、忠誠を正当化できるものはない。しかし、何度も誓った言葉は、軽々しく賭けられる。相手がもしそのように主張しないなら、おそらくほとんど本当に約束したことはないだろう。」

女性

言葉は、ラカンの理論において、中心となる柱です。忠誠と言葉を直接的に結び付けます。この愛の忠誠は自然ではなく、自発的ではないかのようにほのめかしているように聞こえるかもしれません。しかし、忠誠というものは、その忠実でいるというコミットメントが言葉によって与えられて初めて始まるのです。

カップルは、忠誠は恋愛関係において自然であると思い込んではいけません。あるいは、本当にそれを遂行する可能性を分析していないのであれば、忠誠を誓うような言葉は口にすべきではありません。

8. 欠落と愛

ジャック・ラカンは次のように言っています。「人は、相手が持っているものが理由ではなく、相手が欠いているものが理由で、誰かを愛することができます。」愛は、相手の全体的な存在に向けられます。その特性です。すべてということは、賭けていることも含みます。その「一部」だけを愛すのではありません。この感情は、相手の存在全体で感じられるものです。

このラカンの言葉の中のキーワードは、「文字通り」です。原理としては、これはジェンダーの性別的違いをさしています。男性は、女性が肉体的に欠いているもの、男性器を持っています。しかし、男性は女性が持っているものを持ちません。子どもをはらむ能力です。

つまり、相手の欠けているものこそ、文字通り愛されるべきものなのです。女性には男性器がないため、男性は女性を愛します。女性は、自分が持っているものを男性が欠いているために、男性を愛します。この説明は、象徴的な解釈です。

9. ラカンの芸術

芸術は、ラカンの理論の中で頻繁に扱われます。精神分析においては、唯一の無意識の防衛メカニズムは、 昇華です。昇華を通じて、本能的な衝動は妥当な文化の産物になります。芸術、科学、すべての創造的な活動が、昇華の賜物です。

ジャック・ラカン

芸術に直面して、ラカンは次のように語っています。「芸術とは、虚空の周りに形成する特定の方法によって特徴づけられる。」つまり、昇華したものは意識をすり抜けます。言葉では表現できないものです。虚空の周りでのみ、創造が可能になります。

ラカンの言葉も彼の理論も、理解するのは難しいかもしれません。しかし、深い知識を与えてくれます。これらの謎を少しでも広めようとラカンの言葉をご紹介しました。しかし、もちろん、最も素晴らしい人間に対するアプローチのひとつであるラカンの考えはこれだけに留まりません。


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  • Caamaño, V. C., & Cochia, S. (2011). El amor según Lacan:“sucia mezcolanza” o “división irremediable”. In III Congreso Internacional de Investigación y Práctica Profesional en Psicología XVIII Jornadas de Investigación Séptimo Encuentro de Investigadores en Psicología del MERCOSUR. Facultad de Psicología-Universidad de Buenos Aires.
  • Fernández, L. (2018). Sigmund Freud. Praxis Filosófica, (46), 11-41.

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