セネカの不安に関する秘密

セネカの不安に関する秘密

最後の更新: 05 12月, 2018

信じられないかもしれませんが、キリスト教が始まったばかりのセネカの時代から、人は不安について語っています。今のように科学的に心理学の研究をしていたわけではなく、不安という名前もなかったでしょう。心理学者や哲学者が存在しなかった時代にも、人の行動について考えることがあったようです。私達はどう生きるべきかについて、絶対的に必要な概説をすでに作っていました。

セネカの時代は、とても厳しいものでした。ローマ帝国の計画と崩壊の時代、セネカは元老院議員でした。ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4人の支配者の元で働きました。また、この中で最も不快な人物のひとりだったとも言われるネロの家庭教師、助言役を勤めました。

セネカはストア派と呼ばれる哲学の一派の最も重要な代表者のひとりでもありました。規範や習慣を考えることに特別な興味を抱く人がこの一派に所属します。倫理の欠落により帝国が崩壊したこの時代に、彼らがこれを学ぼうとすることは、あまり意味をなしませんでした。

「私達はあまり時間がないわけではないが、多くの時間を無駄にしている。与えられた人生が短いわけではないが、私達がそうしている。悪を与えられたわけではないが、もっているものを無駄に使っている」

-セネカ-

 

セネカとストア派

ストア派は、キティオンのゼノンによりギリシャで始まりました。この哲学は非常に人気があり、その多くの原則が始まったばかりのキリスト教に影響を与えました。ストア学派が主に提唱したのが節度をもった生き方です。「いつも何かを求めていると、十分なものは何もない」と彼らは言います。

アテネの学堂

その他にも多くについて議論が行われましたが、中でも一番注目されていたのが倫理思想です。彼らは、物質的な欲望をおさえることができれば、人は内なる平穏に達することができるという考えについて話しました。合理的で、妥当な人生は幸せなものだと言います。

また、ストア派は、人は一時的なものに従う他ない、という考えを拒絶します。これは転落や苦悩の原因になるとみなされるためです。人間は理性を元に生きることができると考え、セルフコントロールを提唱します。さらに、物事そのものに良い悪いはないと彼らは言います。それが過剰である時ネガティブになるのです。

 

セネカの不安に関する言葉

ストア派であったセネカは、善徳のある人生への道を探し求めました。彼は非常に賢く、その時代の誰からも素晴らしい心の持ち主だと言われる人物でした。彼は 「Letters from a Stoic(あるストア派からの手紙)」という本を遺しています。この本が書かれたのは、セネカがネロから逃げ出し、ネロが彼を追って使者を送った後のことです。

この有名な哲学者は、多くの人が常に心配を抱え生きていることを知っていました。これが今「不安」と呼ばれているものです。次は彼の言葉です。「野生動物は、危険を実際に見て、そこから逃げる。そして、逃げた後、もう心配はない。一方で私達は、過ぎたこと、やってくることに苦しんでいる。

何世紀も後になって、心理学者が示したことに、セネカはすでに気付いていたのです。不安は、例えそれが起こっていなくても、最悪の事態を考えることです。つまり、悪いことが起こるだろうという主観なのです。このように、起こっていないことを元に生きることになるのです。

頭を押さえる女性

 

セネカから学ぶこと

最初にご紹介した名言に加え「私達は、誇張する、想像する、予期する、悲しみの習慣に生きている」ともセネカは言っています。つまり、私達は理由もないうちから、悩み始めているのです。痛みを予期することで、あなたは罠にはまってしまいます。それが、まだそこになくても、または、これから起こらなくとも関係ありません。

これが不安なのです。苦しみがどこかに行くのを待つ間に苦しんでいる状態です。「将来から病気をもらう」と表現する人もいます。前を見て、いつも最悪の事態をみてしまいます。不安を抱えた人は、誰からも狙われていなくても、強盗にあうのではないかと恐れます。地震で、すぐにでも家が粉々になるのではと考えます。愛する人はいつか自分の元を去るのではないかと考える人もいるでしょう。

思っていることが現実になることが多いというのは、皆さんご存知でしょう(自己実現的預言)。 そうならなくても構いません。それでも、あなたの行動や障害が、物事をその方向に進めることになります。そうなると、初めにあなたの考えていたことが起こったのだと捉えるでしょう。しかし、これをあなたの世界観の結果だとは普通考えません。

例えば、ある人についてとてもネガティブな話を聴いたとします。そして、友達があなたをその人に紹介する時、あなたはあまり温かく、フレンドリーには接しないでしょう。相手もあなたの態度をみると、あなたにも同じように接することになるのではないでしょうか?これは、あなたの疑いが証明されたことになります。しかしそれは、あなたが現実をそうしたのです

セネカが言った通りかもしれません。私達は生きるために常にそなえるのではなく、ただ生きるべきなのかもしれません。物事はそのまま、起こるように起こらせるべきです。次に何がやってくるか心配して生きるのではなく、今に焦点をあてるべきでしょう。


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