思考力の糧になる映画『はじまりへの旅』
映画の中にはインスピレーションに溢れたものが何本かありますが、『はじまりへの旅』もその一つです。観た人ほぼ全員が、好みにかかわらず感動してしまうような作品なのです。そして何より、観客を挑発し、座席が揺れ動くかのような動揺を与えたい、という意図を隠そうとしていません。この映画は、アメリカ文化やインデペンデント・スクールといった、頻繁に議論の的になるようなテーマを取り上げた大胆な映画なのです。映画の中では過激で批判的な価値観が描かれていますが、誠実で批評を恐れない作品でもあります。
『はじまりへの旅』は、心理学的観点から見るとかなり様々な解釈ができる作品です。しかしこの記事では、その中でも文化心理学的側面に焦点を当てて見ていきます。映画の中で描かれる人々の言動のうち、他の文化では普通でも、あなたにとっては奇妙で風変わりに見えてしまうようなものを考察していきましょう。
『はじまりへの旅』を未見の方がこの記事を読めば、きっと観たくなると思います。しかしこの記事にはネタバレが含まれていますのでご注意ください。とは言え、なるべく少ないネタバレで済ますよう努力しましたので、読んだ後でこの映画を初めて観るとしても、その驚きや感動が損なわれることはないでしょう。
不思議な儀式
映画は、血の映像とともに始まります。主人公一家の長男がナイフ一本で鹿を狩る映像がスクリーンに映し出されるのです。観客がおそらく混乱してしまうようなシーンですし、観ている間もなぜこの映画はあんな始まり方をしたのだろう、と疑問に思ってしまうかもしれません。これを理解するためには、成人の儀式がある文化を知る必要があります。
成人の儀式を行う文化はたくさんあります。例えばメキシコのキンセアネーラなどです。こういった儀式は、すべてが全く同じ内容というわけではありませんし、その文化によって儀式を行う年齢も違いますが、どれも大人としての人生の始まりを表すものです。この儀式を行うことにより、少年少女たちはもう子ども時代が終わったのだと悟り、大人として振舞わねばならなくなります。
こういった儀式は現代社会ではどんどん減ってきており、これが混乱の元となっているのです。ほとんどの人が、いったい自分たちがいつ大人になるのか正確には分かっていません。例えばアメリカでは、18歳以上が成人とされます。しかしこの年齢ではまだ飲酒は許されていません。このように、ある事柄についてはこの年齢になれば許可されるのに、他のことは許してもらえない、というような事態が混乱を生んでいるのです。
それに加えて、この儀式(特に最も困難な部類のもの)は人と人との絆を作るような役割も果たしてくれます。その場合、一番強い絆というのは家族間で結ばれる絆でしょう。もし儀式の参加者が家族ではない場合は、彼らの間には「心理的親類関係」として知られる強い関係性が結ばれます。
奇想天外な教育法
物語のカギとなるのが、主人公である風変わりな父親が子どもたちを育てる教育法です。それは、いつでも真実を伝える、というものです。どんなに答えにくい質問であっても、また、真実を伝えることで他の質問が次々降ってきそうで面倒な時であっても、彼が子どもたちに嘘をつくことは決してありません。これは、石橋を叩いて渡らない方式の教育法とも言えるでしょう。彼は子どもたちの母親の病気や死について何も隠そうとしませんし、セックスについてもオープンに話します。子どもたちの感情を拒否することは決してありませんし、年齢や性別にかかわらずどの子に対しても対等に接するのです。
西洋社会(またその他の多くの社会)では、セックスや死に関する話題はタブーとされています。子どもたちがこういったことを知りたがった時には、作り話や比喩で誤魔化すのです。要するに、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、死んだ後は天国に行くのだといったような話です。同様に、公の場では感情を表に出すべきではないという社会の圧力によって、私たちは感情をコントロールすることを余儀無くされているのです。社会的に受け入れられるような感情しか表現できません。よく言われているのが、「男は泣くもんじゃない、泣くのは女」、「悲しそうな顔をしていると弱虫だと思われる」、「そんなに大声で笑うな、失礼だと思われる」といったような言説です。
私たちは真実を伝えるべき
ですが、これは全ての社会に言える話ではありません。例えば、チリの人々はある意味で「女性的」とも言える性格を持っています。彼らはたいてい自分たちの感情をしっかり表現するのです。これは、いつでも相手に余裕と自身のことを話させるチャンスを与え、相手を理解しようとするからなのです。これは、おそらく先祖であるケチュアやアイマラの影響でしょう。
そして、専門家もまた、子どもたちにある種の事柄を伝えないでいると、ただ混乱させるだけだと示しています。これはつまり、彼らに正しい答えを教えることが、それがたとえ質問される前であっても、子どもたちの自尊心を強くすることにつながるという意味です。少し不安な気分になるような話をなんとか理解できた時、彼らは自らの勇敢さを感じることができるのです。例えば、チベットの人々は死についてオープンに語ることをとても大切にしていますし、ノルウェーではとても分かりやすく具体的な性教育プログラムが組まれています。
寛大なお父さん
映画の終盤に差し掛かると、この家族の長(お父さん)は子どもたちが社会と交わる必要がある、と理解していきます。これが、子どもたちが普通の学校に通い、同じ年頃の他の子どもと関わることについての言及がある理由です。しかし一番上の兄は、優秀な大学に入学を許可されますが、結局ボランティアをしにアフリカへ行き、世界を見てくるという決断をします。
このどちらも、アーミッシュ文化におけるラムスプリンガと呼ばれる訓練によく似ています。ラムスプリンガは、16歳くらいになると今後の人生についての決断を下すために一度アーミッシュ社会を離れて暮らす、というものです。その決断とは、今後も生まれた場所で同じ人々に囲まれて一生暮らすのか、それとも故郷を離れて暮らしていきたいのか、のどちらかを決めることです。期間は決まっておらず、結論を出すのに何年かかってもいいのです。
この訓練のポイントは、若者に彼らが育ったのとは違う生活スタイルを経験させることができる、というところです。アーミッシュ社会ではたくさんの禁止事項があります。彼らは電気を使いませんし、厳しいルールもたくさんあります。若者はこの訓練期間を利用して世界に出て行き、アーミッシュ社会では許されないことを体験するのです。また、恋愛期間でもあるので、パートナー探しもします。ラムスプリンガが終了すると、ほとんどのアーミッシュの人が自分たちの社会に戻るという決断をします。
残りは映画の中で
『はじまりへの旅』には他にも心理学以外の分野で議論をしたり比較研究ができそうな素晴らしいシーンがいくつも出てきますが、今回取り上げたのはそのごく一部です。おそらく、この映画における最大の問題は、人を教育するのに他のやり方があるのか否か、でしょう。もしあるなら、違った生き方も存在するはずです。
興味をそそられた方も不穏な気持ちになった方も、もしくは違った視点から世界を見てみたい方も、ぜひ『はじまりへの旅』を鑑賞することをオススメします。そのドアの裏側にはあなたをアッと言わせるような世界が広がっているかもしれませんし、そうではないかもしれません。しかし映画を観れば楽しめることだけは間違いありませんよ。