映画『アス/US』:コメディーとホラーの融合
ジョーダン・ピールの最新作『アス/US』は厳密な意味での「倒錯」ではなく、既成の規範を破るという意味で倒錯的映画です。コメディーとホラーが両立していて、時に不条理で、時に天才的な作品に仕上がっています。
大まかに言えば、風刺的でカーニバルのような大虐殺が、資本主義とこの世界に対する深い批判として描かれていて、シネマトグラフィーの迫力、ドッペルゲンガーの登場、重要な場面に使われるユーモア、そして最初は気が付かないかもしれない見事に隠された政治的なメタファーなど、数多くの素晴らしい点が詰め込まれています。
初監督作品『ゲット・アウト』では、アメリカ社会の人種差別を鋭い視点から切り込んできたのに対し、『アス/US』ではさらに幅広く監督のビジョンが描かれています。
本作では、深いトラウマを抱える母親のいるアメリカ人家族に、数々の奇妙な出来事が襲い掛かります。物語はある夏の一晩に起こります。別荘を訪れた家族。玄関前に現れた不気味な家族をよく見ると、自分たちに瓜二つの ”わたしたち”、そう、”アス/US” だということに気が付きます。しかし、自分たちにそっくりな”わたしたち”は決して穏やかではなく・・・
タイトルの『アス/US』は、アメリカ(United States)を意味するUSという意味も込められています。これは、作品の中でも重要なポイントで、母親のドッペルゲンガーが「私たちはアメリカ人だ」と言うときに明らかになります。そう、彼らは主人公と同じようにアメリカ人であると同時に、アメリカン・ドリームのために支払う代償でもあるのです。
『アス/US』と“二重性”の概念
「二重の」を意味するdoppel(英語のdoubleに対応)を含む単語である”ドッペルゲンガー”ですが、二重性は芸術の世界、特に文学で最も頻繁に扱われる概念の1つです。自分とそっくりの姿をした分身を意味するドッペルゲンガーは、二重性の概念、闇や悪と強い結びつきがあります。
二重性は時代と共にあらゆる意味合いがあり、ドストエフスキーが『嗤う分身』(原題:The Double)で表したものと、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの代表的な小説の1つ『ジキル博士とハイド氏』のメッセージは異なります。
また、二重性は黙示的なものもあれば明示的に表現されることもあります。鏡、反射、影、邪悪な双子などといった形で盛り込まれることも。ナルキッソスが水面を覗き込み、自分自身の姿に恋をするという有名なギリシャ神話は、このテーマの最も古い例の1つと言えるでしょう。
ジョーダン・ピールもこの古きテーマを本作品で扱っていますが、彼はこれを現代版に“アップデート”しているのです。二重性のテーマに最初に気が付かされるのは、主人公たちが鏡張りのミラー・ハウスに迷い込むシーンです。それは実際には何も変化がないにも関わらず、現実が歪む錯覚に陥る場所です。
無数の鏡に取り囲まれた少女。たくさん映る自分の姿ですが、その中の一人が自分と違う表情をしていることに気が付きます。
彼女が見たものは、邪悪な自分の姿なのでしょうか・・・これは正にジョーダン・ピールが『アス/US』で描いた概念なのです。ヒントは随所に散りばめられてあり、それはこの映画では、”見た目通りのものは何もない” “偶然の一致などない”ということを裏付けています。二重性のテーマは映画を通して読み取ることができ、現実の世界とパラレルワールドが見事に対比されています。
また、この映画の見どころは二重性だけでなく、美しく描かれたメタファーにもあります。ジョーダン・ピールはそれを現代の「ウィリアム・ウィルソン」のように使います。
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メタファーの作品
作品内には「Jeremiah 11:11」という言葉が(そして11という数字が)しばしば登場しますが、それは何を意味しているのでしょうか。実は、これは旧約聖書の三大預言書の1つであり、そこには次のような言葉が書かれています。
『見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。』
映画の中では、私たちを裁く神は登場しません。神になろうとした人間だけです。映画の核心には恐ろしい真実があり、主人公たちに望みはありません。この聖書の言葉は映画の最後にしか分からない隠された真実を要約したようなものです。
この作品を観ていると、『不思議の国のアリス』のホラー版を観ているような印象がありますが、アリスのようにウサギの穴を真っ逆さまに落ちたり、鏡を通り抜けたり(ある意味では起こりますが)することはありません。しかし、この映画では恐ろしい真実が明らかになるのです。
こう考えると、『アス/US』にウサギが登場することには深い意味があり、『不思議の国のアリス』の中の幻想的な世界へのヒントであり、それが『アス/US』では現実世界のパロディーになっています。
また、本作品には様々な暗示や隠しメッセージがあります。80年代のアメリカでは、国内の貧困救済を目的とした「ハンズ・アクロス・アメリカ」というチャリティー・キャンペーンが行われていました。参加者は両手をつなぎヒューマンチェーン(人間の鎖)を作り並んだのです。
しかし、参加者が思うように集まらないことからこのキャンペーンは失敗に終わり、人々は日常生活に戻ったのでした。『アス/US』でもこの同じキャンペーンが登場しますが、決して平和なものではなく、流血の惨事と化すのです。
『アス/US』社会政治的論評、風刺、ホラーのミックス
『アス/US』は、間違いなくホラーのジャンルに分類され、ドッペルゲンガーという古くからのテーマを用いることで資本主義に対する鋭い批判を展開しています。しかし、ジョーダン・ピールの用いる軽快なリズムと観客の視線を操る術は、ほんの一瞬であっても、ホラーというジャンルを忘れさせるものとなっています。
例えるのであれば、ジョーダン・ピールは、最も激しくドラマチックなシーンでドラムの演奏で恐怖を引き出すことができるオーケストラの指揮者です。最も決定的な瞬間を、最も強烈なノイズで静かにさせることができるのも彼のなせる業。そして、ホラーの中にもユーモアを紛れ込ませることができるのもこの監督の特徴なのではないでしょうか。
『アス/US』に含まれるユーモアは、観客を恐怖から解放し、ほっと一息つける機会を与えてくれるのです。だからこそホラーファンはもちろん、普段はホラーが苦手な人にもぴったりの映画なのです。
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心から怖いと思う作品は今まであまりありませんでしたが、『アス/US』は別格です。怖いと震えあがっていると思えば、思わず笑ってしまうシーンなど、感情が忙しい映画でもあります。同時に、ユーモアには政治的な意味が多く隠されていて、その隠された解説がこの映画の大きな部分を占めるものでもあります。
前作『ゲット・アウト』のように、この作品でもジョーダン・ピールは人種差別を批判しています。黒人俳優をキャスティングしたのも偶然ではありません。あえて黒人俳優を選んだことで“反逆”の態度を示したのではないでしょうか。
映画業界は長い間、白人偏重の傾向であったことは否定できません。ジョーダン・ピールは今まで取り残されてきた人々を採用することで擁護し、裕福な白人家庭と対比することで未だ根深く蔓延る不平等を訴えているのです。
白人の中には、“白”以外のものすべてに魅了されてしまう危険な傾向がある人もいます。悪意のない興味だと思いたいものですが、そこには暗い人種差別の歴史があり、決して無視してはいけないものなのです。
しかし、『アス/US』はそこでは終わりません。ジョーダン・ピールは『ゲット・アウト』のように人種差別を批判するだけでなく、さらに先を目指しました。結局のところ、資本主義の世界では肌の色や財布の中の金額は関係なく、娯楽や物質的な物に使えるお金の有無も関係ないのです。
現代によくみられる物質主義の批判や、日常の行動の多くがいかに不条理であるかという批判は、脚本、シネマトグラフィー、そして映画の隅々までに編み込まれています。
『アス/US』は現実、資本主義、そして「他者性」の問題に対する私たちの偽善を戯画化したものです。そのすべてが、大衆にアピールされた映画であり、そのサスペンスに引き込まれ、次の恐ろしいシーンまで笑わせてくれるのです。
間違いなく2019年の最高の映画の1つである『アス/US』。非常に多くのことの教訓であり、今日の世界の在り方を反映している終末的なコメディでもあるのです。