十代の子どもの散らかった寝室:対処する方法は?
多くの家庭においてよく口論の元になるのが、十代の子どもたちの散らかった寝室です。一部の親たちはこれを、我が子の怠惰で無関心で、そして清潔で衛生的なものを毛嫌いしている態度がもたらした結果だと考えます。さらには、子どものだらしなさを見て自分の育児の腕に疑いを抱くようになったり、自分は我が子にとって良いお手本になれていたのだろうか、と思い悩み始める親たちもいるほどです。 どこで教育の仕方を間違えてしまったのでしょうか?子どもたちのこのような振る舞いを修正することは可能なのでしょうか?
ティーンエイジャーたちの世界は、驚きと不確かさでいっぱいの巨大な箱のようです。この箱を覗き込もうとする行為はまるで、最後にはどんなものが出てくるのだろう、と訝しみながらロシアのマトリョーシカ人形を次から次へと開いていくようなものなのです。このことは特に、彼らの行動面によく当てはまります。子どもたちの取り得る行動というのは、必ずしも防いだり予測したりできるわけではないのです。
まさにこの理由のせいで、我が子が思春期という生涯の中でも最も複雑な段階に差し掛かると親たちは混乱させられてしまいます。そのため、大人の世界に馴染もうと努力する子どもたちをお節介な親たちが手助けしようとするのですが、残念なことに両者がいつもお互いを理解できるとは限らないのです。
“私の感覚では、もし世界を変えたいのであれば自分自身を変えるところから始め、その後外部に向かって働きかけねばならない。なぜなら人の能力というのはそういう風に積み上げられていくものだからだ。何というか、自分の部屋すら整理整頓できないヤツがどうやってそこから飛び出して経済システム全体の構造に意義を唱えられるのか、私にはわからないのだ”
無秩序の原因は怠惰?
思春期の間は、子どもの行動の様々な側面が批判、あるいはそれ以上に幅広い家庭内議論を引き起こします。そして寝室を片付けたり掃除しないことが特に、そういった口論の中心となるのです。そのほか、どこもかしこも散らかしてしまうこと、朝起きるのが遅すぎること、そして担当すべき家事をやっていないことなども槍玉に挙げられます。
事実、十代の子どもたちと親たちとの関係性における対立の一大要因となっているのが、子どもたちの寝坊問題なのです。大人の観点から見れば、これは怠惰のサインと考えられます。親たちは、子どもたちが成長に伴う生物学的現象に悩まされていることを考えもせず、「怠けた態度に見える」ものを批判しているのです。しかし、実際にはこれは態度の問題ではありません。
思春期の概日リズムはテストステロンとエストロゲンの影響を受けていて、これが寝坊の原因となるのです。つまり、お分かりのように、これは計画的な反抗行為というわけではありません。
もちろん、中には本当に怠惰あるいは無責任な子どもたちもいるでしょう。しかし、これは思春期に起こるホルモンバランスの変化によるものです。そのことを心に留めておきましょう。
ティーンエイジャーの散らかった寝室
乱雑に散らかった寝室というのは、親たちが積極的に取り組もうとする問題の一つです。概してティーンエイジャーは、ゴミや汚れた服を床から拾い上げることをしないまま数週間も、場合によっては数ヶ月間もその寝室で過ごしたりします。
この無秩序は、彼らのプライベート空間を超えたところにまで及びます。例えば、服を脱ぐとそれを家中のどこにでも放置しますし、食べ終わったお皿についても同じことをします。食事前の準備や夕食後の後片付けは手伝いません。そして、買い物袋を運ぶ手伝いも拒否します。これら全てが典型的な「十代の反抗」だけでなく、生活全体の乱雑さをも象徴しているのです。
そのため、見かねた親たちはこれに終止符を打とうと自ら我が子の部屋を勝手に片付けてしまいます。かなり出しゃばりなやり方で行われる場合が多いため、もちろんそれが戦争の始まりになりがちです。
清潔さの問題とプライベートな空間
衛生状態や清潔さの問題に加えて、思春期には個人的空間の管理権も変化することになります。また、これは何らかの形で家族内の力関係にも関わることです。
かつて親たちは、我が子の寝室に自由に出入りできていました。彼らの部屋に入ったりスペースを共有するのに通行料は必要なかったのです。むしろ、子どもは親がそこにいることを望み、自分の宝物を賄賂がわりに渡して部屋に留まるようせがんでいたほどでした。
しかし思春期が訪れたことにより、ゲームのルールは変わってしまったのです。子どもは自らのスペースやその中にあるモノ全ての「所有者」としての感覚を持ち始め、壁を作ります。例えば、ドアに「入る前にノックして」と張り紙をしたり、許可なく自室に立ち入られた際に猛烈に怒る(たとえ爆音で音楽を流していたためにノックの音が聞こえなかっただけだったとしても)、などの行為が見られるようになります。
それと同時に、彼らの領域に清潔さが全く見られないことから、家中の全ての空間を整理整頓したくなってしまう親たちの干渉はさらに強まるのです。もちろんこれが、絶え間ない衝突の原因になります。
境界線を設け、制約を課すこと
実は、これらの変化は全て、ホルモンバランスの変化によるものです。若い男性の身体では、テストステロンが分泌されるようになります。これに性的魅力や領地防衛に関わるホルモンのバソプレシンが加わるので、少年たちは自らのスペースの範囲を設定し始めるのです。そしてその本部基地となるのはもちろん寝室です。
バソプレシンの働きにより、若い男性は自身のプライベート空間を猛烈な勢いで守ろうとするような行動を表出させ始めます。このホルモンが血流に侵入すると、その効果が何人たりとも自室に入らせない、というような行為として表れ出るのです。また、家族や友人、さらには好きなスポーツチームへの庇護欲も増していきます。
しかし、個人的空間の探求は、領土を守ろうとする習性の芽生えだけでなく、ティーンエイジャーたちが家族の輪から離れ始めているという事実をも示唆しています。音楽でもポッドキャストでもテレビ番組や本に関しても、自分だけの好みを見つけ始めます。またこれは、誰にも邪魔されずに性的なことを夢想したり自慰行為を楽しめるような安全な場所を必要としているという意味でもあるのです。
ホルモン、体臭、シャワー
シャワーが常にティーンエイジャーたちの親友であるとは限りません。多くの子どもたちが問題なくシャワーを浴びてくれる一方で、入浴を避けがちな子たちもいるのです。また、体臭が強烈な子もいれば、全く臭わない子もいます。
ホルモンは、十代の身体の概日リズムや行動に大きく関わっているのと同様に、体臭やシャワーとの愛憎関係(あるいは個人的な衛生習慣全体)にも影響しています。
体臭は、アンドロゲンとエストロゲンの活動により悪化します。これと同時に皮脂腺がフル稼働するため、顔や頭皮を含む全ての身体パーツが普通より脂っぽくもなりますし、また、汗が酸性になるため、足など複数の部位が強烈な臭いを放つようになります。
このように十代の子どもたちの身体からは突如赤ちゃんのような甘い香りが捨て去られ、体臭と脂漏とが倍増するので、本人が望むか否かに関わらず入浴が絶対的に必要となるのです。幼い子どもであれば1日2日はシャワーを抜いても平気ですが、ティーンエイジャーたちは毎日シャワーを浴びねばなりません。
初期の臭いの大半は、思春期の性の目覚めの瞬間と関連しています。このホルモン変革の結果、男性と女性とを区別して性の対象を特定させるための臭いが生成されるのです。これは、体臭によって将来のパートナーを見つけ出すような動物に典型的です。
ティーンエイジャーの散らかった部屋に秩序をもたらすには、忍耐力を持つことが重要
親は十代の我が子たちに及ぼされるホルモンの影響を考慮しなければなりませんが、だからと言ってルールを作ったり子どもたちに制約を課したりすべきではないという意味ではありません。
しかし、散らかった寝室の問題について子どもと話す時には忍耐強さを待つべきです。つまり、こういった行動は生物学的な要因が引き起こす自然なことなのだと理解しておかねばなりません。
若者というのは一般的に、自分は全てを知っていると信じており、あらゆることを自らの手で支配できると思い込んでいます。残念ながら彼らは頻繁に失敗しますが、それを親の前で認めるようなことはしません。強情さ、間違いを認められないこと、そしてミスを犯すこと、これらはみな十代の反抗の一部なのです。
思春期の子どもたちの世界では、三角形の中で双方向型のゲームが行われるのが当たり前です。もうすでにご存知かもしれませんが、人間関係の中に三角形ができてしまうと対立が生まれやすくなります。なぜなら、三人のうちの二人が団結して残りの一人と対抗するような図式ができやすいからです。そうなるとケンカが起こったり、少なくとも三人目の人物が仲間と認められなくなってグループから排除されそうになる、といった事態に繋がります。
文脈や状況が変わっても、このコミュニケーションのゲームは繰り返されます。
簡単に言うと、若者たちは十代のうちにたくさんのことを吸収せねばなりません。そのため、彼らの生活に関わる大人たちは忍耐力を持ち、たとえドアに「入る前にノックしろ」サインが張り出されたとしても、彼らの寝室が散らかっていたとしても、シャワーを浴びてくれなかったり意見が合わなかったとしても、寛容にならねばならないのです。これら全てが彼らの成長プロセスの一環です。親であるあなたご自身もかつてはティーンエイジャーだったのですから。