人間関係における敵意=終わりの前兆
人間関係における敵意は、相手にダメージを与えようという故意で意図を伴う侮辱的態度として姿を現します。この現れ方は様々で、例えば密かにその意図が表現されることもありますし、うわさ話や誹謗中傷という形で、あるいはもっとはっきりと言葉の暴力や身体的暴力という形で表現される場合もあります。
敵意は、味わうのが非常に不愉快な感情です。対立状態、闘争状態、あるいは競争状態がこの感情の出所というわけではありません。むしろこれは、本来「フレンドリーな環境」だったはずの文脈で恋人や友人、あるいは兄弟姉妹などから直接的に向けられる感情なのです。
“敵意、悪意、そしてサディズムは無力感や自己嫌悪の結果として生まれます。つまり、これらは全て過度に批判的な社会的現実への適応の結果生み出されるものであり、生まれ持った攻撃性によるものではないということです”
-アルノ・グリューン-
人間関係における敵意とはどのような感覚?
敵意がどんなものなのかを理解するには、それを経験してみるのが一番わかりやすいでしょう。しかし敵意を向けられた後にその感覚を忘れられる人はほとんどいません。攻撃の対象になるというのは非常に不愉快ですし、相手は受身的態度なのでこちらとしては自分を守ることも難しいのです。特に、その攻撃が自分にとって大切な誰かからのものだった場合はなおさらです。
敵意を向けられると、以下のような経験をすることになります。
- こちらの態度や意見に対し、絶え間なく不明瞭な攻撃や無礼な行為をされる。
- こちらの発した言葉を武器として用いて攻撃してくる。まるで、こちらには言う意図の全くないことを「暴こう」とするためにトラップを仕掛けられているような感覚。
- こちらの生活の何らかの側面に関する、その瞬間のシチュエーションとはほぼ関係ない、あるいは全く関係のないような批判を浴びせられる。例えば、こちらがその場にいる状況で、過去の細かな話や経験を勝手に、かつ意外な形で他人に話されてしまう、など。
- 会話や言い争いの範囲を超えた、意見を変えさせようとする直接的あるいは間接的なプレッシャー。
- こちらの欲求や精神状態を勝手に評価される。頼んでもいないのに「心理分析」されてしまう。
- こちらの抱えている問題は「それほどひどいものではなく」、達成したことは「それほどすごくはない」と感じさせるために、互いの生活を比較されてしまう。
- 誰か特定の人々、特にこちらに欠けている長所を持つ人々と一緒にいるときにどれほど心地良い気分になれるかを暗に伝えてくる。
- 最後に、「話を聞いてくれない」、「よそよそしい」、などと文句を言われる。
これらは敵意を見つけ出すための手がかりのほんの数例に過ぎません。敵意を伴う行動にはたくさんの形態が存在するのです。そしてもちろん、それぞれの敵対行動によって強度は異なりますし、現れ方も異なります。
なぜ相手に敵意を持ってしまうのか?
多くの場合、社交スキルが欠如していることが敵意を持ち続けてしまう要因です。 こういった人々は怒りや憤りを感じているのですが、そのことに関する率直で正直な対話を始めたり維持したりすることができません。そのため、その怒りを敵対的な形で示してしまうのです。
しかしながら、このような態度は建設的どころか破壊的ですし、互いの間の架け橋を強めるどころか弱めてしまう不正直な態度です。多くの場合、この種の関係性を長い期間続けようとするのは合理的ではありません。なぜなら、最終的に破局に至ってしまうほど互いを傷つけ合い続けてしまうことになるからです。
人間関係における敵意:有害で非効率的なコミュニケーション形態
敵意を抱く人物に共感を寄せるのは誰にとっても困難なことです。しかし、大切なのは気持ちを理解してあげようとすることではなく熟考を促したり心理士の助けを借りるよう勧めてあげることなのです。第三者が介入することで、敵意や憤りとは異なる形で怒りを吐き出させることができます。
以下に、明らかなあるいは密かな敵意が芽生える原因として考えられるものをいくつか挙げました。
- 敵対行動を取る多くの人々が、幼少期に受けたネグレクトや虐待による重大な心理的傷を負っています。その事実やそこからもたらされる痛みを意識しようとしませんし、また、それに対してどう対処すべきかもわかっていません。
- 心理的傷が、衝動性や怒り、皮肉な言葉などによって生まれる場合もあります。敵対的態度を取り続ける人は、自らの無礼さが招く長期的な影響を無視することが多いのです。
- 敵対行動を取る人々は、有益なコミュニケーションスキルを知りません。勝つことか深い辱めを受けること、いずれかの解決策しか無いような対立関係に繰り返し巻き込まれます。
- 敵意を抱いている人々は、しばしば率直さと攻撃とを混同してしまいます。さらに、意見をいつ、どのように表現すべきかがわかっておらず、あるいはどんなときに自らの行動が緊張感を生んでしまうのかを理解できていません。
- 人との関わりに関する自らの欲求が満たされていないことに気づいていない場合が多く、これにより自尊心がさらに減退してしまいます。
- 攻撃を加えた相手から対抗されることを想定していません。そしていざ相手から反抗されると、自己批判や反省をするのではなくむしろ敵意自体が大きくなっていきます。
最後に
これらすべての要因が寄ってたかって互いへの嫌悪感、無礼さ、不信感を増加させ、効果的な問題解決や許し合う気持ち、そして心からの協力などが妨げられてしまいます。
したがって、もしご自身が何らかの恨みを抱いており、それが解決されない怒りとして密かに表出してしまっているのであれば、いったん立ち止まって敵意に満ちたやり方とは違う戦略を選択してみてください。専門家にサポートしてもらうことも考えてみるべきでしょう。