あなたへの愛は執着や孤独の恐怖を超えるもの

08 4月, 2018

あなたのことは、空の星を愛するのと同じように愛している。星は私の物じゃないって分かっているけれど、星は私の人生や夢に光をくれるでしょ。あなたのことが好き。だって、あなたが側にいると、私の世界はもっと完全なもののように思えるから。あなたの存在が私の空間にぴったりと当てはまるから。私が旅したいと思っている地図をあなたが道を描いて作ってくれるから。そして、私はそれをあなたと共有すると決めているの。

これは執着心のない愛です。各自がお互いのスペースを尊重できる、盲目な依存心のない関係です。この関係は豊かであり、相互的です。

愛はあなたに幸せをもたらしてくれるべきであり、日々最高のあなたを見つける機会を与えてくれるべきものです。もしその関係があなたに授けるものが哀しみと苦しみでしかないのであれば、それは愛ではなく、依存です。もしその関係があなたを過剰な嫉妬や恐怖、執念でいっぱいにするのであれば、それは執着心です。

執着心」という言葉は時に反対意見を招くことがあります。誰かを愛するという行為に、いつもその人と一緒にいたい、その人のことを心配する、いつもその人の顔や声、本質のことを考えるということが含まれることは否定はできません。

愛にはほんの少しの執念と欲求が付き物ですが、それは特に初期には、普通のことです。しかし、ここで話しているのは完全な意味での執着心であり、その人のために自身の個性や心の均衡を失ってしまうような種類のものです。

個人の成長や各個人の自由の余地を残さないような種類のものです。これが疑念を生み、更には束縛欲求さえ生む場なのです。

執着は非常に破壊的なタイプの中毒

白い傘のカップル

執着と中毒に共通点を見出すのは大袈裟な事ではありません。どんな時も愛する人を側においておく必要があるという盲目的な情熱について考えてみて下さい。その人が側にいないとあなたの世界は崩れ、あなたはその人に不信感を抱き始め、パートナーを束縛する必要性を募らせます。それは危険です。

誰かを欲することは悪い事でもなければ、危険なことでもありません。欲求は人生に感情や目的、快感を与えてくれます。欲求が必要性に変わった時にリスクが生じ始めるのです。これが執着心が募り、相手なしでは生きられないと考えるために自身の制御を失う時です。

相手なしで生きられるようになることは大切なことです。パートナーが数時間自分の側を離れた時に、海で彷徨う船になってしまったりできません。信頼があれば、そのような過度な恐怖を抱く必要はありません。

私達は負となる執着心なしで健全な恋愛関係を確立する前に、一人で生きることを学び、欠けたところのない、安定した存在だと感じ、自分という人間に満足することを学ぶべきです。愛しはするけれど、必要だとは思わないことです。共有はするけれど、最低限の承認を見返りに期待したりすることなく、全てを与えることは決してしないことです。

私達は幼少期に良好な愛着を経験し、親と絆を築く必要があります。それは安定した自分や、愛や自分の存在を認めてもらえていると感じながら育つ可能性を与えてくれます。このステージの後は、自分の個性や性格、自身や自分と言う人間、また成し遂げてきたことに満足できる整合性を自分で構築する番です。

自身に満足していれば、自身のことを安定していて良い自尊心を持った幸せな存在だと見なしていれば、誰かと安定した幸せな関係を築くことができるでしょう。

あなたに自分の空虚なスペースを埋めてくれる他人は必要ではありません。それを埋めてくれる人なんていないからです。自分の恐怖心を拭い去ってくれる誰かの存在は必要ありません。恐怖は健全なものだからです。孤独感を軽減してくれる誰かは必要ありません。あなたは一人ではないからです。

キス

乖離を実践するか、共依存関係を避けること

愛のことを苦しみだと理解していては、愛には何の価値もありません愛が見捨てられた感覚や裏切りといった恐怖で満たすものならば、あるいは個性のない操り人形になるまでに相手に依存する必要性で満たすものならば、その愛には価値はありません。

相手のために自身の存在を希薄にしてはいけません。魂を失った抜け殻のように消え失せてしまうことになるという高い代償がつくくらいなら、相手のために何もしてはいけません。愛着に対する中毒を乗り越え、共依存関係と闘いましょう。

こうした考えを読み、理解することは簡単ですが、例え分かっていても、こうしたタイプの関係に陥る可能性はまだあるということに変わりはありません。愛のこととなると、誰も制御のとれた状態にありません。しかし、こうした種類の状況に陥った時に、何が起きているのかに気づきどう対応するか知っていることはあなたの責任となります。

そのうち、自由に、もっと安心した状態で、もっと賢く歩き、恐れることなく誠実さをもって愛することができるように、感情的に乖離することを実践すべき時が訪れるでしょう。

パートナーに人として成長することを許すと、それが自分をより感情的に豊かで機微のある人にすることにつながり、それがまた関係自体を豊かにします。

感情的乖離を実践することは、繋がりを断つことではないということを理解しなければいけません。逆に、それは自身を尊重することであり、また相手に愛されていることを知っているという理由から、ただ孤独を避けるためではなくあなたという人間と一緒にいることを選んだ人を愛し信用しているという理由から、相手を相手らしくいさせることのできる共通の信頼を持つことです。

乖離は、あなたに全身全霊をもって誰かを愛し、欲し、誰かのために願う権利がないという意味ではありません。それは単純に誰かを所有している人なんていないということです。もし誰かがあなたを所有していたら、その人はあなたをコントロールしています。そして、もしその人があなたのことをコントロールしていたら、それはあなたをあなたらしくいさせてくれていないということです。

内側から自由になることが愛を育むのと相性が悪いということはありません。内面での自由は、最高の自分を相手に捧げながら、情熱が必要性や恐怖心なくあなたを肥やせるようにスペースを残してくれるのです。

年老いたカップル

画像提供:バブス・タール、ローリ・ブランク