熱意を持つことと執念にとらわれることの違いとは?

18 12月, 2020
熱意と執念はどちらも、これを持っている人が多大な努力をするためのモチベーションとなります。しかし、熱意が成長と自己改良をもたらすのに対して、執念は人の人生にネガティブな影響を及ぼしてしまうのです。

何かに熱中することと執念にとりつかれることは、似ているようでかなり異なる現象です。前者は自分の限界を超えていくことにつながるような、感情のエネルギーの大きな流れのことを指しています。しかし後者は意志を麻痺させたり限界点を引き下げてしまうのです。

熱意と執念は隣り合わせの現象です。どういうことかと言うと、最初は熱意から始めたことであっても、ある境界線を越えたところからは執念にとりつかれてその行為を行うようになる場合があるということです。したがって、執念とは度を超えた熱意である、と言うことができるでしょう。

言うなれば、熱意と執念は同じコインの表と裏なのです。どちらの主観的現実も、感情が大きく関与し、最大限の注意と集中が向けられて発生しています。しかしながら一方はその建設的な面を象徴しており、もう一方は破壊的な面を象徴しているのです。

“あなたは、あなたが一日中考え続けていたものになるのです”

ラルフ・ワルド・エマーソン

熱意を持つことと 執念にとらわれること 違い

熱意と執念

多くの場合、熱意と執念は外部要因によって規定された連続体から成る道に付き従います。この道は普通、好きなアクティビティや突然楽しさを見出した活動から始まります。例えば仕事がとても魅力的だと感じると、その人物は仕事に対して熱意を持つようになりますよね。

熱意を持つと、人は持てる時間の大半をその活動に充て、より高度な要求を設定したり完璧を目指して自身のパフォーマンスを改善しようと努力します。そして目標を達成すると、それによってその活動を周囲から認めてもらえるのですが、その時に問題が起こり始める危険性があるのです。

外部から認められることはネガティブなファクターとなり得ます。それまでは自発的で楽しかったものが、他者からポジティブな強化を獲得するための活動へと変わってしまうからです。もはや過程を楽しむことなどできず、結果のみが重要になっています。すると、良い結果を得ることに対する執念が生まれるのです。

執念という名の迷宮

出した結果に対する周囲の反応がよかったことから生まれた特定の活動への執念によって、楽しいという気持ちは懸念という感情へと変わります。そして他人に依存するようになり、落ち着きを失ってストレスを感じ始めます。実は、この依存が非倫理的行動に繋がりかねないことすら研究で示されているのです。

その結果、他人から認められたいという欲求は制御不能になり、落ち着きのなさやフラストレーションまでもを伴う強迫的な熱意へと変化します。さらに、この依存は感情面だけでなく、身体的な影響ももたらします。

どういうことかというと、外部からの承認を過度に求め過ぎることで、体内のドーパミン量が増え、中毒につながる恐れがあるのです。これがもちろん依存を強化し、その人物は全てをそれまでとはまるっきり異なる論理で判断するようになります。努力と疲労、そして不確かな結果が一度に訪れるでしょう。そして承認を得るためだけに不正行為を行いたいとすら思い始める場合もあります。

熱意を持つことと執念にとらわれることの違いとは?

外部からの承認をあてにすること

自分を他者の意見から完全に切り離し、他者から認めてもらえるかどうかなど関係ないのだ、と思える境地にいる人などほとんどいません。その境地に至るためには高度に成長している人物であってもかなり手を焼くでしょう。したがって、一般的な人は他人からの承認に依存していると言えます。

つまるところ、自分の成し遂げたことを褒め称えられたり認めてもらいたいと思わない人などいませんよね?例えば、ソーシャルメディアに何かを投稿して「イイネ」がもらえた時や友だち追加リクエストを受け取った時、あるいはフォロワーが増えた時などに、ほとんどの人がある程度の満足感を感じます。

そのことに気づくことこそが、他者から認められることへの執念という魔の手に落ちてしまわないための秘訣なのです。ソーシャルメディアでの率直な自分の発言に「イイネ」がつけられた時、本当に重要なのはあなたが何かを表現し、それを他人が思慮深い発言だと見なしたという事実だけだと理解しておかねばなりません。それ以外の部分は単なるおまけです。その日は良い気分でい続けられるかもしれませんが、翌日にはそのおまけは消えているでしょう。

自身が従事する活動を楽しむことができていて、結果を不安に思うことなく一貫した考えの元で実行できている時には、そこから得られることはたくさんあるでしょう。他者からの反応によって強化されてしまうモチベーションを取り除くのは容易なことではありません。しかしそのための努力をすべきです。罠にはまらないよう、常に取り組みを続けてください。そして執念ではなく熱意が誘ってくれる道を進んでいきましょう。

Piola, M. E. (2004). De la pasión por” uno mismo” a la obsesión por el otro. Comentarios sobre la ética de Emmanuel Lévinas. Utopía y Praxis Latinoamericana, 9(25), 121-128.