義務を課すのはあなた自身
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私達は常にあらゆる種類の義務に追われています。職場で直面しなくてはいけない義務、毎日食事の用意をしなくてはならない家での義務などです。私達が暮らす社会は要求が多く、「魅力的でなければいけない、勤勉家でなければいけない、良い両親でなければいけない、全てをうまくこなさなければいけない」など、しなければいけないことが尽きません。
私達が日々義務に追われて順応しなければならないのには、私達が送っているライフスタイルにその責任があります。しかし立ち止まってもう少し考えてみると、義務のほとんどは本当は自らによって課されたもので、自分のではなく他人の期待に応えるためのものであるということに気づくでしょう。
「すべき」だからという理由で、好きでもないことを義務付けてしなければいけなかったことが幾度あるでしょうか?「~べき」という言葉は多くの合理的な信条の一部ですが、それは、幸せになりたければ、あるいは少なくとも悲しみに暮れたくないのであれば、満たされなければいけない隠れたニーズをほのめかしているのです。
自らに義務を課す思考
不穏な感情が沸き起こるのは大抵が義務のせいです。 認知心理学が指摘している通り、私達が考えることは感じることへの直接の原因であり、よって、どのように感じているかはどのように考えるかに影響します。ですから、もし不安や、憂鬱、怒りなどを感じる場合は、おそらく自分の頭の中で終わりのない義務を生み出してしまっているのです。
こうした義務は自分自身についてであったり、他人についてであったり、または世間一般についてであったりします。そして、その義務は私達が抱いている「物事はこうあらなければならない」といった歪んだ考えに語りかけます。そうした考えは、感情面の健康のカギを握る「無条件の受諾」への扉を閉めてしまいます。