義務を課すのはあなた自身

2017年9月28日 in 心理学 0 シェア済み
ストレスを抱える女性

私達は常にあらゆる種類の義務に追われています。職場で直面しなくてはいけない義務、毎日食事の用意をしなくてはならない家での義務などです。私達が暮らす社会は要求が多く、「魅力的でなければいけない、勤勉家でなければいけない、良い両親でなければいけない、全てをうまくこなさなければいけない」など、しなければいけないことが尽きません。

より良い人間だと感じたいのであれば、義務は全うしなければいけない期待です。しかし少し考えてみて下さい。誰があなたにそのような義務を課したのでしょうか?本当は誰がそのような期待をしているのでしょうか?
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私達が日々義務に追われて順応しなければならないのには、私達が送っているライフスタイルにその責任があります。しかし立ち止まってもう少し考えてみると、義務のほとんどは本当は自らによって課されたもので、自分のではなく他人の期待に応えるためのものであるということに気づくでしょう。

「すべき」だからという理由で、好きでもないことを義務付けてしなければいけなかったことが幾度あるでしょうか?「~べき」という言葉は多くの合理的な信条の一部ですが、それは、幸せになりたければ、あるいは少なくとも悲しみに暮れたくないのであれば、満たされなければいけない隠れたニーズをほのめかしているのです。

自らに義務を課す思考

不穏な感情が沸き起こるのは大抵が義務のせいです。認知心理学が指摘している通り、私達が考えることは感じることへの直接の原因であり、よって、どのように感じているかはどのように考えるかに影響します。ですから、もし不安や、憂鬱、怒りなどを感じる場合は、おそらく自分の頭の中で終わりのない義務を生み出してしまっているのです。

考える男性

こうした義務は自分自身についてであったり、他人についてであったり、または世間一般についてであったりします。そして、その義務は私達が抱いている「物事はこうあらなければならない」といった歪んだ考えに語りかけます。そうした考えは、感情面の健康のカギを握る「無条件の受諾」への扉を閉めてしまいます。
義務が自分自身に向けられた時、私達は他のあり方を差し置いてこうあらなければいけないと考える。
自分らしい自分を受け入れないことで、自尊心に欠陥が生じ、自らが課した期待に全て応えようとして不安を感じさせます。また、期待に応えられなかった場合には憂鬱な気分にさせます。「こうした状況ではきちんと振る舞うべきだった」、「毎日仕事を完璧にこなすべきだ」、「失敗はするべきではない」。これらは私達が自分らしくない人物になろうと義務を課してしまう時に巡らせる不穏な思考の例のほんの一部です。

他人や世間一般へ向けられた義務は結果的に怒りとなります他人や人生に自分の個人的な条件を満たしてほしいと思うことは、空を赤紫色に変えようとするのと同じくらい非現実的なことです。

どの義務にも歪んだニーズが隠されている。私達はそのニーズをより完全に感じるために頭から消してしまう。
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自分に向けられた義務には承認と完璧さへのニーズが隠されています。例えば、「この会社で認めてもらいたいから、仕事を完璧にすべきだ」というようにです。自分の環境をある特定の形にしようとする時には、心地良さへのニーズがあります。「退屈だし、イライラするし、いろいろな事に遅刻するから、交通渋滞は存在すべきでない」などのようにです。

「~べき」を「~したい」に置き換える

自分の内なる対話を世間の在り方にもっと適応するように変えることができれば、より幸せになれる道を見つけることができるでしょう。そして、この「~べき」から「~したい」への変化はただ口頭で終わるべきではありません。自分の言っていることを信じなければいけません。そして、不健全でネガティブな感情が健全なものに変わるまでその信条に則って行動しなければいけません。

自分に要求されている全ての義務は自らが課しているものです。たとえどこにも義務から逃れる道がないと思っていてもです。それを考えてみれば、今の人生を生きるように仕向けたのは他の誰でもないのです。

空を見上げる女性

私達がなす事全ては自身の決断の結果であり、だからこそ唯一変えなければいけないものは私達自身なのです。
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仕事に行ったり、子供の世話をしたりなど、避けられない義務もあると思うかもしれません。しかし、もしある特定の仕事を選び、親になることを選んだのなら、それはまた自分で自分に義務を課したことになるのです。あなたの行動の全てには然るべき結果が伴います。もしローンを払い続けたいのであれば、または、お行儀の良い子供を育て続けたいのであれば、それに伴うように行動しなければならないのです。
誰もあなたに今の生活を選ばせたのではありません。むしろ、それはあなたが自由に下した一握りの決断の結果なのです。
いずれにせよ、たとえある道を選ぶ義務があると感じることがあったとしても、結局はあなたが最終決断を下すのです。それが一番好ましい事だったからにせよ、誰かや何かに影響されたからにせよ、そうしたかったからにせよ、怖かったからにせよです。

不安や義務感を感じないようにするために、あなたの内なる対話を変えることから始めましょう。「~べき」という言葉が頭に浮かぶ度に、要求の罠に落ちないようにその言葉を素早く「そうした方がいい」や「そうしたい」という言葉に取り替えましょう。そして最後に、「でも望み通りに行かなかったとしても、それで世界が終わるわけじゃない」や「こういう風にしてうまく行かなかったら、また別の方法がある」といった文を「~したい」という言葉に添えておくべきでしょう。

ほんの少しの練習と慣習化で、これほど要求の多い世界でもっと穏やかに感じ始めることでしょう。

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