もう一つの「赤ずきん」:中傷されたオオカミの話

10 10月, 2017

児童文学の赤ずきんちゃんは、最もよく知られたお話のひとつで、長くにわたって語り継がれています。お話のオリジナル版は、女の子の視点から語られています。残忍なオオカミにおどされた女の子です。

私たちがいつも聞いているのはこのバージョンで、赤ずきんちゃんバージョンが本物だと思っています。多くのひとは、オオカミがこの話に関して何か言うことがあるなんて考えもしません。しかし、この物語で糾弾された犯罪者であるオオカミには、何か面白いことをストーリーに加えてくれる可能性があります

1988年に、リーフ・ファーンはこのストーリーを逆転させることにしました。つまり、ストーリーをオオカミの視点から語ったのです。オオカミに彼の側の話を語らせました。オオカミの話を聞くと、判断を下す前に両者の話を聞くことが必要であるということを理解できます

中傷されたオオカミの話

森は私の家だった。私はそこに住んで、森の世話もしていた。森をきれいに保つよう心掛けていた。

ある晴れた日、訪問者が残していったゴミを拾っているときに、足音が聞こえた。とっさに木の後ろに隠れて見てみると、バスケットをもって道を歩く小さな女の子が見えた。

わたしはすぐに女の子のことを不審に思った。おかしな恰好をしていたからだ。見つかりたくないかのようにその子の頭はフードで隠れていた。

誰なのか確かめるため、木の陰から出て行った私は、名前やどこに行くかなどを尋ねた。女の子はおばあちゃんの家に食べ物を届ける途中だといった。女の子は正直そうに聞こえたが、変なフードをかぶって私の森にいることを疑わしくも思った。だから、許可なしに森を行くのは危険だとただ注意した。 特にそんな目立つ格好では危ないとも伝えた。

赤ずきんをかばう狼

 

私は彼女を行かせた。それから急いで自分の知っている近道を通った。こうすれば、女の子より早くおばあちゃんの家に行けるからだ。この優しいお年寄りを見たとき、私は問題を彼女に説明した。老女は自分の孫は教訓を得る必要があると同意してくれた。外で待つかわりに、彼女はベットの下に隠れることにした。それから、わたしが彼女の洋服を着て、ベットに横になった。

不愉快な子…

女の子が表れたとき、彼女を寝室に招いた。ベットに座るなりはじめにしたことが、大きな耳に関して失礼な発言をすることだった。以前にもこの子は私に失礼な発言をしていた。私は自分の耳を弁護するためにできることをしようと思い、大きなサイズのお陰でよく聞こえると伝えた。

それから、彼女の声のトーン、話をするときのそのトーンの使い方が好きだと伝えたかった。何を話したいのか注意して聞いてあげたかったというのもあった。だが、女の子はすぐに大きな目にコメントした。想像通り、私は女の子に反感を覚え始めた。女の子はいい子に見えて、実際には全く優しくなかったのだ。それでも、反対側のほほ差し出せと言われるのを守るかのように、聞き流して「大きな目のお陰で女の子がよく見える」と伝えた。

次の侮辱には本当に傷ついた。私の歯がきれいではないことには気づいていたけど、女の子のコメントはとても不快なものだった。だから、自分をコントロールするためにできることはすべてしたが、ベッドから飛び出してしまった。怒りに任せて、女の子を食べるために歯があるんだよと言ってしまった。

オオカミに連れ去られる少女

根拠のない偏見…

オオカミは小さな女の子を食べたりしない。「狂った」女の子は、家の周りを叫んで走り回り始めた。私が女の子を落ち着かせようとそのあとを追っていると、突然ドアが開いて、森林警備隊が手に斧をもってあらわれた。

不運なことに、私はすでにおばあさんの洋服をとってしまっていた。すぐに、自分がトラブルに巻き込まれていて無防備であると気づいた私は、他に選択肢もなかったので、空いた窓から飛び出し、できるだけ早く走った。

私の話はこれでおしまい。でも、老女は本当の話をしてはくれなかった。それから少しして、私が悪者で意地悪だといううわさが広まり、みんな私を避けるようになった。赤いフードの女の子のことは何も知らない。私はあれ以来、心が休まることがないのだ。

耳を傾ける技術

この赤ずきんちゃんの話で分かるように、別の人が違った視点から出来事を見ているかもしれない、という可能性を無視して、一方の話を真実として受け入れてしまうことがあります。どの人も、自分の現実を自分の方法で生きています。経験は一人一人異なりユニークなものです。

他の人の話のを知るためには、まずそれに興味を示し、時間を取って話を聞くことが必要です。だから、何かをただ事実として受け入れないでください。誰かを判断するときに気を付けることで、誤解を避けることができるかもしれません。

オオカミと赤ずきんの仲直り

話を聞くことは、自分から話したり意見を言うことよりもっと難しいものです。私たちは、理解するためではなく、返事をするためだけに聞いていることがよくあります。何かしゃべりだす前に、相手の人が何を言うのか耳を傾けるべきです。

まず聞いてから判断を

無視され中傷されたオオカミは、彼の話を誰かが気にすることなく有罪とされてしまいました。誰かがオオカミに尋ねるか自分で話す機会を与えていたら、彼の視点がわかり、あんなにすぐに非難したりしなかったでしょう。

たいていの場合、赤ずきんちゃんは無実でもなければ、オオカミも有罪ではありません。

私たちは話を聞くことなく多くの「オオカミ」を非難しています。同じように、私たちの話と違うバージョンを聞いた人たちの目にオオカミとして映ったことのある人もたくさんいるでしょう。

関わった人の数だけたくさんの見方がストーリーにはあることを覚えておいてください。しかるべき時の判断の前に、別の視点からの話を聞いて、違う当事者に質問することで、あなたの人生のオオカミは穏やかに生きることができます。