娘をずっと若くいさせようとする母親

娘をずっと若くいさせようとする母親

最後の更新: 14 9月, 2017

私達が生きる父系社会は、母と子が離れるプロセスにマイナスの影響を及ぼしています。私達の文化では、母から教えられた通り、女性に自由に自分らしくいられるように促しているように見えます。しかしながら、どれだけこの願いが普遍的なものであっても、私達の父系社会では叶えられることは稀です。

実はこの逆もまたよくあることです。娘に自立して考え生活をさせるどころか、多くの母は娘を抑えつけコントロールし続けようとします。そんな母親は被害者を装うか、恐怖を引き起こすことになります。娘が母親の考える生き方に逆らって自治権が欲しいことを匂わせると、母親は「飼い犬に手を噛まれるとはこのことね」というようなことを言ったりします。または、「いつか私に飽きてしまった時が来たら、あなたはどうやって生きていくのか見物ね」と淡く酷い将来をほのめかしたりします。

女性にとって、自分らしさを求めて母親から離れることは激しい葛藤になります。多くの女性は二つに一つの悪条件を突き付けられた状態に陥ります。娘は母親のことを愛しており、幸せにしてあげたいだけなのです。と同時に、自分の道を歩むために母娘の関係に休憩を挟む必要があることも分かっているのです。

娘に若くあり続けてほしい母親

「私のことを苦しめたくなかったら、ずっと若くいてちょうだいね。」多くの母親はほぼ無意識にこのメッセージを娘に発しています。しかし、行間を読むと恐ろしいメッセージも隠れています。「もしあなたのことを愛し続けてほしいのなら、若くい続けてちょうだいね。」

子どもを守る母親

娘に若くあり続けてほしいと思うことは、父系社会に育てられた女性に共通の欲求です。母親にとって、娘は自分自身の延長であり、自治権を要求し獲得できるような自由な個人ではないのです。もし娘が若くあり続けることができたなら、たとえ娘が大人になっても、母親は自分が人生で何を成し得たかを考える必要もなく、また自分で癒すしかないような傷があるという事実も考えなくてすむのです。

母親は、の独立欲求を大きな脅威や侮辱と捉えます。娘が母親の若くあり続けなさいという命令を拒むなら、その時点で、母親は娘を拒否し、放棄することもできます。娘にとっては、自分の道を進む前に内なるわだかまりに耐えなければなりません。

ママと別れる痛み

母親の娘を若くいさせようとする誘惑はとても強いものです。多くの女性は、自治権を放棄し母親に十分に愛し守ってもらうか、自分の道を探すために母親から離れるかのどちらかを選ばなければいけません。それは、大きな痛みや罪悪感や怒りを伴うものです。

これは些細な葛藤ではありません。実は、女性が生きる上で最も困難な時の一つです。矛盾なことに、たとえ全てがうまく行っても、深いが残ります。無条件で止めどない愛を与えてくれる母親像は永遠に消えてしまうのです。娘の欲求は常に母親のものと相反し、また母親は娘の自立を自分の心の傷として捉えるのです。

女性のグループ

母親の望みから自身を解放することを選んだ女性はみな、母親に泣きつきたいけれど母親がその時その場にいてくれないといった状況に遭遇します。しかし、このプロセスの最後には、人生で最も崇高な偉業の一つを達成することができているでしょう。それは、自分で自分を力づけられる能力、エンパワーメントを身に付けているということです。なぜなら、これは声を大にして言いますが、母親の影で生きていると、娘はある程度の自己卑下をしてしまうからなのです。

母親が課した女性像からの解放

多くの女性は自分の周りにいる人たちが感情的に気持ちよく過ごせているかに対して責任を感じるように育てられています。父系社会が課したこの役割を正当化するような説が作り上げられてしまっているところもあります。例えば、女性は本能的に母性的であり、その理由から、女性は自然と他人を守ったり、面倒を見たり、責任を負ったりする傾向にあるということが議論されています。

これが本当に多くの女性が他人の欠点や苦しみに対して責任を感じる理由なのです。そして、それはもちろん、自分の母親が感じている虚無感に始まっているのです。こうした性差別によって押し付けられた役割から自分を解放するには、疑念や苦悩に満ちたプロセスを経ることになります。女性は、自分の欲求を後回しにして他人の要望を満たすべきところを、そうできなかった度に罪悪感を感じます。自身も自治権を得ることができなかった母親は娘にいい娘であってほしいと願い、逆に娘が自分の欲求を最優先にするとひどく幻滅するのです。

麦を収穫する女性

女性にとって自分が本当は何者なのかを知り、自分の人生の主導権を握ることは、自身の母親が固く守り、反映してきた女性に対する偏見と決別しなければいけないということなのです。そして、これは初めは母親と距離を取らざるを得ないことになりますが、このプロセスを終わらせるためには価値があることなのです。

結局のところ、母親は全てを受け入れ、愛する娘の自治権に対して健全な態度を取るようになることでしょう。そうでなかったとしても、しまいには単純に全てを受け入れてくれるかもしれません。どちらにせよ、母娘の関係性は感謝と尊敬の念で満たされ、不安に満たされた鎖が解けて、より良いものへと変わることになるでしょう。


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