「助けない」こと:最良の人助け

2017年9月26日 in 心理学 0 シェア済み
蛍を集める少女

人助けは、実は過大評価されがちです。人助けは優しさであり、団結であり、そしてホスピタリティーであると私たちは考えますが、それが共通の目的をシェアする人間同士の協力になるとは必ずしも限らないのです。むしろ、相手の人が「できない、時間を掛けすぎる、うまくできない」と思っている課題を助けるために行われることが多いようです。

このようなふるまいは「有害な人助け」と呼べるでしょう。なぜならその人自身に挑戦と向き合う機会を与えず、相手の問題を勝手にかたづけてしまうことになるからです。その人自身の能力を発達させることを妨害するだけでなく、「あなたはできないと思っています」というメッセージを相手に伝えてしまうのです。

こうすることで、良かれと思ってやることでも、相手を人として無視し、彼らの能力、意見、ふるまい、才能を無駄にしてしまうのです。

社会的な目で見ると、助けはポジティブなものです。しかし、少し厳しい目で見るならば、本当は助けを必要としていないときに「善きサマリア人」が相手の問題の多くを解決してしまったことで、能力が未発達のままになってしまった人の例を見つけることができるでしょう。

今日、過保護な親を持つ人たちは「ソフトジェネレーション」と分類されます。これは、親が雑用を代わりにやってしまい、問題を解決し、挫折とのコンタクトを一切断たれてしまう人々が含まれます。

助けないことが人助け

他の人のために何かをやってあげることは、それが共同作業や協力の形であればポジティブなものです。例えば、ビジネスを立ち上げるという共通のゴールを2人の人がシェアしていて、 一人が立ち上げを行っている間、もう一方が毎朝宣伝効果を上げ活動をする、などが考えられます。

これは、当事者両方を豊かにさせる本当の共同作業の例と言えるかもしれません。なぜなら、共通の目標から利益を得て、そのおかげでビジネスが成功する可能性が高くなっているからです。

手を差し出す二人

しかし、助けが一方的な場合、それは害を及ぼします。相手の能力を弱め、破滅的な考えを植え付けてしまうためです。例えば以下のような思考を産む可能性があります:

  • 自分は助けが必要なんだ。
  • 相手は自分を助けざるを得ないんだ。
  • 相手にとって自分を助けることは大事なことなんだ。

それゆえに、こういったタイプの助けからは誰も利益を得ません。まず、助けられている人は相手なしにはできないというメッセージを受け取ります。それは、彼らの自尊心に大きな痛手となります。2つ目に、人助けする人に不安の種を植え付けます。相手が何か頼んだら断ることができない、また、自分たちなしでは相手は何の進歩もしないと思い込むようになります。

このせいで、二人の個人的な関係がどれほど難しくなるか、あなたも想像できるでしょう。助ける側はいつも心配そうに相手のことを気にかけ、彼らのニーズを自分のものより優先します。それなのに、これが拒否される結果に終わることもあるのです。

ヘリコプターファミリー

ヘリコプターペアレント(モンスターペアレントの一種)は、有害で過保護です。自分たちの子供が苦しむということが耐えられません。ただ、彼らの言う「子供が苦しむ」というコンセプトはとても歪曲されています。

子供時代にトラウマのようなものを経験し、自分の子供には同じようなことを経験してほしくないという親によく見られる傾向です。そのため、極度に過保護に子供を育てます。子供たちが自主性を発達させる年齢に近づくまで、子供の代わりに全ての問題を解決します。子供たちがすでに自分で解決することができる問題までもです。

これは、子供がなにも学ばないことを意味します。親が子供たちの人生を代わりに生きているため、子供たちは間違いを犯しません。その結果、何かを学ぶための唯一の方法である挫折を感じることも、間違いを正して学ぶこともしなくてよくなります。

少女と心配する両親

大きな可能性を秘めた子供の発達も、この時点で止まってしまいます。大人になっても決断をすることができず、さらに自尊心の問題を抱えてしまう傾向があります。誰の助けもなしには問題に直面することはできないと自分に言い聞かせるようになります。

人生の様々な面で愛情に飢えてしまいます。そのため、自分の親がやってれたように扱ってくれるパートナーを選ぶようになり、結局彼らの能力は成長しません。

本当に必要な人助けとは何か?

もし本当に手を差し伸べたくて、逆にその人と「協力」したいのであれば、その人の「成長したい、自信を持ちたい」という思いに沿って行わなくてはなりません。何がうまくできたかを強調することでかれらの自尊心を高め、 可能性を提案することでかれらの決意を養い、似たような問題を課すことで彼らの能力を養うことができます。

辛抱強くいること、人生はたくさんの不満であふれているけれど、誰もそれで死んだりしないということを受け入れることが重要です。

障害を完全に取り除いてしまっては、相手が自分で解決法を見つけるのを妨げていることになります。彼らは行動を起こす必要がなく、頑張ることもなく、別の方法を考える必要もありません。なぜなら、すでにあなたが完成したものを与えてしまっているからです。

手を合わせる子供と父親

たとえば、子供が仕事を見つけられないとします。そこで日々を過ごすためにあなたがお金を毎月あげてしまったら、子供がわざわざ仕事を探し続ける必要があるでしょうか?そんな必要なんかないのです!しかし、これは彼らにとっても不都合です。なぜなら、あなたがお金を与え続けたとしたら、親からの金銭的援助がなくなった時どうなるでしょうか?

この例では、例えば履歴書の作成、職業の選択、仕事探しのお手伝いをすることがよりポジティブな「協力」法です。こういった姿勢で親が望むことで、子供たちはやっと自分自身の人生の主体性を得たように感じることができます。そう思いませんか?

あなたへおすすめ