強い個性=短気?

強い個性=短気?

最後の更新: 22 9月, 2017

散々話し合った挙句、結局自分の間違いに気づかない人に出会ったことがあるでしょう。「私はこういう人間だ。強い個性を持っているだけだ。」というフレーズをよく使います。ちょっと待ってください。それは、間違いを正当化させるために「強い個性」を利用し、他人を不誠実に扱い、聞こえないふりをして強情になっているだけです…

あるいは、人生のどこかで、自分が同じことを言ってしまっているのに気づくかもしれません。「強い個性を持っていること」はそれ自体では悪いことではありません。問題なのは、自分の怒りの爆発を正当化するためにそれを使ってしまうことです。ほかのひとに叫んだり罵ったりする言い訳をするためにです。

そもそも、強い個性を持っているとはどういうことでしょうか?すぐに気を悪くする人とこの特性を結びつけがちです。 あるいは、言い争いになった時に、声を荒げて、相手をけなせば争いを終わらせることができると思っている人です。 話を聞かないひとのことも、「個性」がある人だと思いがちです。常に争いから争いを生きている人たちだとも言えます。周りから得る情報をただ無視するのではなく、フィルターをかけることで多くの苦痛を回避することもできたはずです。

強い個性とは何か?

自分の議論を全く譲らない人とも混同しがちです。これは、話し合いや交渉の余地を持たないひとです。おそらく、自分の家庭で見てきたことなのでしょう。あるいは、これが他の環境で生き抜いてきた方法なのでしょう。

こういう人たちは、自分を大きく見せることで他の人を小さく見せることができると思っています。しかしこれは、相手がけなされることを許したときのみうまくいくものです。他人に自分の大きさを簡単に変えさせないひともいます。そのため、強い個性を持つ人を、ナルシストや癇癪持ちと混同してしまうこともあります。

手をついて窓の外を見る女性

強い個性というのは、混乱を招きやすいコンセプトです。少なくとも、平たく言えばそうです。結局、存在し、繰り返し起こる傾向にある何かにに名前を付けるための言葉にすぎません。

強い個性を持つ人

多くの人が思うのとは違って、「強い個性を持つ人」とは積極的な人のことを指します。どこまで許すかハッキリと線引きできる人です。 ごまかしから自分を守るためにそれを使います。また、他人の言葉の害から自分を守ります。

個性があるということは、他人を声や議論で脅そうとするような攻撃的な人をとは程遠いものです。強い個性があるとは、他者を敬い敬われる人でいることです。恐怖に屈することなく、怖れを認識することをいとわないひとです。こういった人は、相手が理性と論理を持っているとき、それを認めることを知っています。

夕暮れにブランコに乗る女性

脅しやごまかしに直面しても、自分が小さくなったりしません。また、脅したり、理解されたり尊敬されるために自分を大きく見せようとしません。性格というのは、思っていることとやっていることの間に一貫性があることにもっと関係しているのです。

他人に投影することなく自分の矛盾を認識する

例えば、驚くほど熱く、自立し誰にも自分を踏みにじらせないと自慢する人に会ったことがあるかもしれません。しかし、こういうひとは、変化の最初のサインをみるなり、相手よりも先に屈し相手の人が望むことをします。自分で越えてはならない一線を越えているのです。

本当の自分と鏡に映る自分

こういう人はよく、自分がしたことを厳しく批判します。 「自分で踏みにじられるように許してしまった。自立した女性にならなくてはいけない。あなたは弱い。そもそも、自分をただ操られるようにしてしまった。そんな風にしていたら誰にだって利用されてしまう。自分を敬ってもらえるようにしないとだめ。」

それから、こういう人は自分が越えてはいけない一線を越えていることに気づくことができません。また、このような人でもう一つもタイプが、激しく自分は違うと自慢する人です。

認めて受け入れていない間違いから学ぶことはできない

間違いの中には重大な結果を招くものがあります。しかし、自分の間違いとして認め受け入れないことは、間違い以上に影響力があります。失敗したり、思っていたのとは違う方向に進んでしまったことを知るのは、悪いことではないのです。

私たちは人間です。私たちは人生の過程で学びます。経験は、学び、自分自身を理解する機会を与えてくれます。自分を試すことは、論理的で健康的です。自分自身を許すことを知りながら間違いを忘れることをしないのは、考えていることとやっていることに一貫性があるということです。この一貫性は、私たちがみな必死に求めている内面の平安の感覚を与えてくれます

不健康かつ害があるのが、矛盾の影に隠れて生きることです。現実に対して自ら盲目になることです。逆に、間違いと認め未来に対する気づきを取り戻すことは、私たちを完全な存在に近づけてくれます。

誰にでも簡単に手に入れられる、見せかけの無欠性や個性を求めていますか?それとも、自分自身さらに他人との関係も健康にしてくれる強い個性を求めていますか?


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。