ヴァージニア・ウルフ:隠されたトラウマの物語

2020年2月14日
ヴァージニア・ウルフは文学界に大きな貢献をした、才能ある作家です。しかし、彼女は子どものころに経験した性的虐待による心の病に何年も苦しんだ後、悲劇的にも自ら命を絶ちました。ヴァージニア・ウルフについて、詳しくは続きをご覧ください。

今回は、20世紀における最も重大な著者の一人の悲劇の人生についてお伝えしたいと思います。この作家は、ジェームス・ジョイスやフランツ・カフカ、トマス・マンなどの偉大な作家とも肩を並べる著名な人物です。

彼女の作品が革新的な理由は、内的独白の使用にあります。これは登場人物の最も個人的な考えを読者と共有するために、彼女が巧妙に使いこなした文学手法です。今回取り上げるのは他でもない、魅力的で才気あふれるヴァージニア・ウルフです。

彼女の人生は、子どもへの性的虐待の恐ろしさや悲惨な結果を黙殺することの危険性を示す実例です。この悲劇的な事実を隠すため、彼女は遺伝的な心の病に苦しんでいるのだと言われていました。

伝えられたところによると、ウルフは日々のささいな口論にも敏感だったようです。信じられないことに、子どものころに受けた性的虐待は、彼女が死ぬまで苦しんだ精神病や、ついには自殺を図った理由ではないという考えを未だに主張し続ける人がいます。幸い現在はそういった考えが誤りであると言えるほどに十分な事実が判明しています。ウルフが非常に幼い年齢から受けてきた性的、心理的虐待が、心の病の原因となったのです。

この革命的な女性の作品や人生を振り返ってみることにしましょう。多くの苦しみを味わったにもかかわらず、彼女は物を書くことによって素晴らしい物事を成し遂げました。”Orlando”(『オーランドー』)という作品では女性の身体で生きる男性の姿を巧みに描き、また”A Room of One’s Own”(『自分ひとりの部屋』)では女性としての自らの権利を主張しました。

ヴァージニア・ウルフの子ども時代

ヴァージニア・ウルフは1882年1月25日にロンドンに生まれます。両親の結婚は複雑なものでした。彼女が生まれた当初、両親にはすでに以前の結婚からの連れ子がいました。父親は高く評価された編集者、批評家、伝記作家でした。

ヴァージニアの母は彼女を気にかけることも、二人の時間を一緒に過ごすこともありませんでした。父親は彼女を委縮させるような存在でした。子ども時代の家庭は、ヴァージニアにとっては牢獄のようなものだったのです。

母や姉の早すぎる死、そして後の父の死が彼女に甚大な影響を与えることとなりました。愛する人を失うと心に傷を負うのが常ですが、彼女の父は亡くなった人のことを口外することを禁じ、それが事を悪化させました。これがヴァージニアの人生の、悲惨な、強要された秘密の始まりでした。彼女はまだ若い頃からどんな感情も表現することを許されなかったのです。

ヴァージニア・ウルフ

大人になってからの人生

父が亡くなると、ヴァージニアは兄弟姉妹と一緒に暮らしはじめました。彼女が精神的な破綻に悩まされるようになったのはこの頃で、生涯これに苦しめられることとなります。なんとか克服したこともありましたが、それもほんの短い間のことでした。

彼女のブルームズベリーの新しい家は、兄の大学時代の旧友が顔を合わせる場となりました。その面々には、バートランド・ラッセルなどの著名な知識人もいました。エキセントリックな小説家や詩人、画家などが集まり、「ブルームズベリー・グループ」として知られるサークルを作りました。ヴァージニアはそこでレオナルド・ウルフと出会い、後に結婚します。

二人はヴァージニアが30歳のときに結婚します。その頃、彼女はすでにいく度もの神経衰弱に悩まされており、その後は酷いうつ病の期間を過ごしました。夫は彼女の気分の記録をつけていました。ヴァージニアは物を書くことによって、悲惨な経験や抑圧された感情を表現することができました。

夫との関係は安定しており、互いに心地よいものでした。1917年、彼らはホーガス・プレスという出版社を立ち上げ、ウルフの作品だけでなく、キャサリン・マンスフィールド、T.S.エリオット、ジークムント・フロイト、ローレンス・ヴァン・デル・ポストなどの優れた作家たちの作品の出版にも成功しました。

性的虐待

ヴァージニア・ウルフは7歳のころから、20歳ほど年のはなれた義理の兄から性的虐待を受け始めます。それが始まったときにはまだ両親が生きていました。ヴァージニアが両親に伝えなかったのだと言う人もいますが、両親は何が起きているのかある程度知っていたということも考えられます。

ヴァージニアは10歳のころ、自分の経験を書いたり話したりするようになりました。性的虐待は彼女に強烈な心の傷を残し、24歳になるまで続きました。それは周囲の人間が知っていたにも関わらず止めようとしなかった、おぞましい「秘密」だったのです。

悲劇的な最期

ヴァージニア・ウルフは、今日では双極性障害として知られる精神病に悩まされていました。最後の作品となった小説の原稿を終えると、ウルフはうつ状態に陥りました。第二次世界大戦が勃発し、ロンドンの自宅が破壊されると、ウルフの病状は悪化しもはや働ける状態ではなくなりました。

1941年3月28日、ヴァージニア・ウルフはコートを着ると、そのポケットに石を詰め込み、近所のウーズ川に身を投げました。夫へと宛てた別れの手紙にはこのように書かれていました。

「親愛なるあなた、

私は確かにまた気が狂ってきていると感じます。もうあれほどのひどい状態を乗り切れないと思うのです。それに今回は回復できないでしょう。声が聞こえてきて、集中できません。だから私は、最善と思われることを行うつもりです。あなたは私に可能な限りの至上の幸せをくださいました。あなたはあらゆる意味で、私の全てでした。私たちは、ふたりの人間がそれ以上幸せになれないほどに幸せでしたね。この病気が現れるまでは。これ以上は闘えません。あなたの人生を台無しにしていることは分かっているし、あなたは私なしでやっていけるでしょう。きっと大丈夫です。

ほらね、わたしはこの手紙すらきちんと書けないの。読めないのです。私が言いたいのは、私の人生の幸せはすべてあなたのお陰だということ。あなたは私にひたすら辛抱し、とてつもなく良くしてくれました。そう言いたいのです…みんな知っていることです。誰かに私が救えたとしたら、それはあなただったでしょう。全てを失った私に残っているのは、あなたの優しさだけです。これ以上あなたの人生を無駄にすることはできません。

ふたりの人間が私たちほどに幸せになれることはなかったでしょうね。」

―ヴァージニア・ウルフ―

ヴァージニア・ウルフ

ヴァージニア・ウルフの心の病

今日の心理学者や、精神病医、そして教育者たちは、性的虐待が子どもや10代の若者に与える深刻な影響を理解しています。幸い、ヴァージニア・ウルフの心の病を確定する学術研究もいくつも存在します。その原因は、彼女を守るべき人たちの暗黙の了解のうちに行われた、二人の義兄の手による虐待だったのです。

近年は、子どもの性的虐待のことをオープンに話すことができます。このような悲惨で耐えがたい犯罪を黙殺しようとする試みなど、絶対に終わらせなければいけません。

ヴァージニア・ウルフの心の病は遺伝だったという主張には証拠がありません。彼女の精神的な問題は長期に渡る虐待が原因であったと考える方が、ずっと辻褄が合います。

研究者たちは、子どもの性的虐待が人の成長に与える影響を調べるため、現代文学の観点からみたケーススタディとしてヴァージニア・ウルフの性被害を調査しました。ヴァージニア・ウルフにみられたメンタルヘルスの症状の多くは、子どもの性的虐待に関する臨床研究と一致していました。

ウルフの遺産

悲劇的な人生を送ったものの、ウルフは文学界に重大な爪痕を残しました。それだけでなく、男女平等への戦いにも大きくメスを入れています。彼女の代表作“A Room of One’s Own” (『自分ひとりの部屋』)では、女性のもつ主な問題は経済的に自立していないことだと主張しました。女性は自立することによって自分のスペースを持つことができます。ウルフの場合、それは安心して小説が書ける場所です。

“Orlando”(『オーランド―』)では、ウルフはあえて男性を女性の役に置きました。この世の中、女性であるよりも男性であることの方がどれだけ簡単か世界に示したかったのです。ヴァージニア・ウルフには、同性愛や性的関心など、タブーに触れる勇気がありました。ウルフのその他の代表作には、“The Waves”(『波』)、“Mrs. Dalloway”(『ダロウェイ夫人』)などが挙げられます。