残酷さへの最善の対処法は親切心

· 2017年10月5日

様々な理由から、人は他人が苦しんでいるそのダメージから利益を得られるのでは、と考えながら人生を送ります。そして、そうしたことを考える人にとってはそれが幸せとなり、実際にそうした事態を引き起こします。こうした人々への最善の対処法は彼らに親切心をもって教訓を教えることです。これは適切な行為であり尊重です。

善悪の概念は、人間の魂がどちらにも傾きやすいところから、歴史を通して人々に多くを語らせてきました。また、善悪の定義は、文化や社会、その他にも様々な要素に大きく依ります。

この記事では、このトピックに対し論理的で科学的な解説をするのではなく、個人の内省を目的としたいと思います。人が悪事を働き害を及ぼす具体的な状況と抽象的な状況からまずは見ていきたいと思います。私達は一体そうした行為にどのように対処すればよいのでしょうか?

なぜ親切心が教訓なのか

何が人に害を及ぼそうとさせるかを理解することはできませんが、なぜ親切心が最大の教訓とみなされるのかには多くの理由があります。根本的には、親切心をもって対処すると、相手が与えた害から相手を解放するのではなく、あなた自身が害によって引き起こされた負の感情から解放されるということです。

手に乗せられた土と花

相手を許すということが往々にして大変難しいことであることは理解できます。しかし、害を働いた人を忘れたり信用したりせずとも、許すことができるということをただ覚えておけばよいのです。許すことであなたはナイーブになったりもっと脆弱になったりするのではありません。許すことは、受けた傷を開きっぱなしにするような重圧から自分を解放することなのです。

親切心は心から来るもの

最も一般的な意見は、私達は生来善でも悪なのでもなく、むしろ情操面で成長するにつれて親切心や残酷さを育んでいくというものです。ですから、親切心は心から来るもので、心によって満たされるものだと言えるでしょう。もし、人生を通して、あなたの意図が誰も傷つけることなく前へ進むことなのであれば、害を及ぼすことしか望んでいないような人へどのようにして復讐ができるでしょうか?

ハートのモビール

彼らと同じ非道なレベルに落ちぶれることは何の変化ももたらしません。それは受けたダメージを治すことにはならず、また一時的な解放を与えてくれるだけです。憤ることは破壊的なことです。それはあなたを変えてしまい、あなたにとって何もプラスの結果を生み出すことはありません。そして、相手はあなたが自分と同じレベルにまで落ちていくのを見届けるのです。そうなれば、あなたは全てを失うだけでなく、何も得られなかったことになります。

ガンディーがかつて言っていたように、状況がどれだけ大きかろうが、複雑であろうが、困難であろうが、または小さいものであろうが、私達自身が世界の変化になれていたらそれは有益なことでしょう。また、カントの「美徳とは、己の仕事を普遍の仕事にするところにある」という道徳にも言えるところがあります。

身の周りにある残酷さに耐えないこと

私達は憎悪や暴力、恐怖に囲まれています。ですから、社会や個人の幸福に貢献するという価値観、周りに存在する憎悪的な態度を加速させないようにする価値観を自らに教育しなければいけません。事実、そうした価値観を経験した人は「目には目を」といったやり方には意味がないことを学んでいます。なぜなら、そうしてしまうと全世界が盲目になってしまうからです。

風船を木から取る少年たち

私達は周りに存在する残酷さに我慢できません。そして、相手を罰することもできません。親切心は模範となって導いてくれます。そして、有毒な感情に取って代わられることはありません。有毒な感情に触れて変化をもたらすします。その出来事を記憶に留めながらも、負の感情を消滅させてくれるのです。

憎しみに満ちた行為に直面したら、善行を持って対処して下さい。そして、もし受けた痛みが大きすぎて正しい道を選べるか分からなくなってしまったら、傷を癒す時間を設けてください。忘れるのではなく、自身の行動を怒りや激怒といった感情から突き動かすのではなく、理性をもって導いて下さい。もし他に何も対処法がないのなら、何も教育的なことができないというのなら、最後の砦として、害を及ぼすことなく距離を取って下さい。それがあなたのスタイルなのだから。