「アポリア」から得られる矛盾の知恵

鶏と卵はどちらが先でしょう? アポリアのように矛盾や内省を促す質問はほとんどありません。これらにより、日常における矛盾について考えさせられます。詳しく見ていきましょう!
「アポリア」から得られる矛盾の知恵
Valeria Sabater

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Valeria Sabater.

最後の更新: 21 12月, 2022

アポリアの語源はギリシャにあります。アポリアとは、相反していながら受け入れることが可能な2つの事柄と向き合う時の、不確かな状態や困惑した状態を言います。例えば、ウィリアム・シェイクスピアの名言「生きるべきか死ぬべきか」や、古典的な質問「鶏と卵どちらが先か?」などがこれに当てはまります。これらの解決不可能な質問は哲学的ジレンマであり、解決に向かうことができないものです。

しかし、プラトンやソクラテスの時代には、これらの推論は深い弁証的問題やディベートを始めるのに適した方法でした。これにより、意味があると同時に意味をなさない複雑な推論、世界のあいまいさや人生の矛盾を考察したのです。

さらに、私達もまた耐えがたいアポリアに囲まれています。例を挙げるのであれば、私達は非常に個別化したグローバル社会を生きています。人間だれしも自由です。しかし、これと同時に、人を一般化し型に入れようとする無限のメカニズムや様々な状況の犠牲者でもあるのです。

アポリアという盾知からは、知恵を得ることができます。最終的には意味はあまりないのですが、価値ある内省の機会を与えてくれます。

アポリアとは何か?その存在意義は?

アポリアについて取り上げる時、ギリシャの哲学者ゼノンのパラドックスの話をしないわけにはいきません。その一つが「アキレスと亀」です。これは動きなどとというものは存在しないという議論に基づいています。ストア派は動きを休止状態の連続(画像の集合)だとしていました。

そのため、亀は足の速いアキレスと同じくらい、あるいはそれより速く進むことが可能だと言うのです。動きは時間と同じように、単なる幻想にすぎないからです。これを前提として、ある人が矢を放つ時、矢が実際に動くことはないと彼は説明します。動きは、無限の休止点の集合だとしているのです。このような推論をどう思いますか?古典力学やニュートンの法則に基づけば、完全に反論することができるでしょう。

しかし、休止状態の連続というゼオンの観点で考えると、理解することは可能です。そして、これらの例えについて考えると、アポリアの感覚をつかむことができるでしょう。

考えてみてください。この言葉は、2つの矛盾する思考に直面した時に感じることのある不確実な気持ちを指しています。両社ともが興味深く、どちらも妥当だと言えることもあるのです。直接的に何かに関わる重大なことではありませんが、考えさせられる難題です。

アポリア 矛盾

何かを発見するために分解すること:日常の生活における矛盾の価値

「アポリアティック」は、もっと頻繁に考慮されるべき形容詞です。実際、この特性、推論の訓練、内省を得るのは良いことであり、選択肢や観点にはもっといろいろなものがあるということを発見するために、多くの現実の解析を可能にします。

アポリアにおいて「分解」には2つの意味があります。まずは、身の回りのすべてに矛盾があることへの気づきです。そして、本質的に相反していても受け入れることは可能な考え方があるということを日常的に認めることです。さらに、相容れることができない場合も、互いのアプローチから学ぶことは可能です。とにかく、一番の目的は、難題と向き合い、熟考し、反するものを生活の一部として受け入れることです。

アポリアの種類

現在、アポリアは難題の類義語として用いられがちです。この場合、行き止まりや明確で論理的な解決のない課題を意味します。しかし、ギリシャの哲学にとって、これはなぞなぞや会話をうながすもの、アイデアや理論、知識へのアプローチの交換のようなものだったのです。

アポリアは思慮のないゴルディアスの結び目のようなものと捉えるべきではありません。その反対で、分析や推論を促す不確かな状態を言います。そこで、2つの分類を理解することが重要です。

アーギュメント・アポリア:疑問

このタイプのアポリアの出発点は、宙に浮かぶ問題で、明確な答えはないと分かっていながら、考えさせられるものです。目的は、考えや主張を奨励することに他なりません。

おもしろいことに、アポリアの多くが質問で始まります。「鶏と卵はどちらが先?」「目で見た物を常に信じていいのか?それとも、個人の解釈や判断を通して物を見ている?」「オレンジという色の名前は、果物からついた?それともその反対?」

トーナル・アポリア:意見

2つ目のタイプは、どこか攻撃的アポリア、あるいは少なくとも、課税のようです。この場合、求められるのは会話ではなく、真実です。「卵ではなく鶏が先」というように、どちらかに決めなければならないかのようです。矛盾はなくなりませんが、その言い方には決定的な雰囲気があり、もう一方の考えを説得しようとします。

いずれにしても、最も適切なアポリアは質問から始まるものでしょう。質問は、対話や内省を促す唯一の方法だからです。

 

まとめると、プラトンやアリストテレスが弟子に用いた修辞的質問である古典的隠喩を超え、否定できないある事実があります。それは、現代社会において、人は複数のアポリアを広めることを好むということです。政治、社会、広告業界などは、いくつもの矛盾を用い、人々を混乱させ続けています。

私達の立場からすると、何も解決できないというのは事実です。矛盾は続くことがあり、すべての立場を理解しても、困惑した状態から抜け出せません。これらの相反する世界に気づき、推論し、内省することで、矛盾の知恵として、すでに知っているものを豊かにすることができるのです。


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  • Aguirre Santos, Javier. (2007) La aporía en Aristóteles. Libros b y k 1-2 de La Metafísica,. Camino al ser. Dykinson, 2007. 355 págs.
  • Kofman, Sarah (1983). “Beyond Aporia?”. In Benjamin, Andrew (ed.). Post-Structuralist Classics. London: Routledge. pp. 7–44.
  • Vasilis Politis (2006). “Aporia and Searching in the Early Plato” in L. Judson and V. Karasmanis eds. Remembering Socrates. Oxford University Press.

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