独身だけど、独りじゃない

· 2017年12月30日

間違えないで下さい。私は独身ですが、空しかったり、寂しいと感じたりすることはありませんだから、憐れに思わないで下さい。レッテルを貼らないで下さい。そして、私にパートナーを見つけようとしないで下さい。私はいたいところにいて正解なのです。なぜなら、独身でいることは間違った人と人生を分かち合うようりもずっと賢いことだからです。

お分かりのように、その時に独身でいたかったり、独身である必要があることは社会ではよく理解されません。実は、かつてアリストテレスでさえ「神と野獣だけが一人でいることを好む」と言っていたくらいです。しかし、ヴォーヴナルグ侯爵のような18世紀のフランスの道徳者達は、孤独は魂にとって、体にとってのダイエットのようなものである、つまり、時々実践すべきすることであると説明しています。

私達はみな、独身になる方法と独身を楽しむ方法を時々学ぶべきです。事実、こうしたことを成就できない人はよく自分の空虚な空間を満たしたり、恐怖を治癒したり、不安を緩和したりする難しい作業にしばしば最悪な形で直面します。具体的に言えば、他人を利用したり、目にした最初の人に自らを執着させてしまったりする方法でです。

そうした人達は孤独、そして自分一人でいることができないという不能さの悪魔から自分を守るためなら、できることは何でもしたりしてしまうのです。

写真を撮る女性

独身だけど、幸せ

「独身だけど、絶好調だ。」このフレーズはより一般的にはなってきていますが、自分を正当化する必要性を伝え、パートナーや他の誰かが傍におらず独りで生きているとしても快適な孤独である、ということを明確にするものには変わりありません。それはたとえ他人が理解しなくても、彼らが楽しんでいる選ばれし経験です。

時代は変わります。それは疑いようのないことです。しかし、独身女性のイメージは独身男性のものと同じようには捉えられていません。それは、まるで女性にとっては時がもっと早く過ぎ去っているようであり、また社会的に課された体内時計にできるだけ早く適応するように尽力しなさい、と追い込まれているようなものなのです。彼女たちは良い仕事を持ち、良いパートナーを見つけ、スーパーママにならなければいけないのです。

しかし、既に述べたように、時代は変わります。そして、女性達はもうパートナーを見つけるのに必ずしも躍起にならなくてよいのです。多くの女性は見つけてもらうことを好みます。その他の女性は自分の体内時計を脇に置いて、自分の精神と感情のコンパスが差す方向へ従います。彼女たちはもちろんパートナーといることで完結したように感じることもできますが、もしその関係が失敗に終わってしまっても、自分の道を辿ることができます。彼女たちは自分に対して責任を持って生きており、孤独を恐れていないのです。また自身を見つけることができるのです。そして、これはいつも健全で励みとなることなのです。

堤防を歩く女性とカモメ

あなたは独りじゃない。あなたは命に囲まれている。

独身の友人を持つ時、私達は彼らが誰かと会う機会を常に探そうとしてしまいます。私達は彼らに独りでいることは良くないことだ、恋に落ちることはいつもそれだけの価値があることだ、そして人生は誰かと共に生きる方がずっとずっと美しいものであるということを伝えていたりします。

しかし、私達の独身の友人は「私は独身で、それで幸せなんだ」と言うかもしれません。または「恋愛と関係のあるものは何もしたくない」と言うかもしれません。何人かの人はこれを理解してくれるでしょうが、ほとんどの人は奇妙なこととして見るでしょう。なぜなら、大抵、孤独は実現可能なものとして見られるどころか、むしろ不運な挫折と見られているからです。

あぐらをかいて座る女性

そのことについてしばし考えてみると、現実には、私達は誰も決して一人ではないこと、生命に囲まれていることに気づくことでしょう。そして、私達のほとんどには所属するグループがあります。家族や、友人、知人などです。パートナーは必ずしも私達を孤独から救ってはくれず、そのためにパートナーがいるわけではないのです。時に、パートナーは私達を例えば、情緒的孤独のような孤独の最も暗い側面に連れていってしまうことすらあります。

自分を愛することを学べば、誰も独りではありません。なぜなら、私達はみな自分の頭の中に住んでいるからです。そして、考え、夢を見て、表し、感じることは孤独な行為ではないからです。私達は自分の内面の世界ではダンサーなのです。傷を癒す者であり、許しの施行者であり、自分の運命の建築家なのです。

だから間違えないで下さい。私は独りではありません。生命とつながっているからです。私には希望があるからです。私は恐れることを止めたのです。私は自分の心の空間に満足げに住む住人であり、不安なく未来に期待を寄せています。なぜなら、私は現在を有用する方法を知っているからです。

私たちはみな、沈黙と心の平穏が魂という果実を熟してくれる、孤独という選ばれた時を楽しむことができるようであるべきなのです。