不安に宛てた正直な手紙を書いてみよう
ナラティブ・セラピーとは、こちらの「不安に宛てた手紙」のような手法を用いるセラピーです。これは、現在自分と不安とがどのような関係性なのかを知ることを目的として行われます。人間は常に変化し続ける生き物ですが、今こそ自分たちと不安との関係を再定義すべき時が来ているのでしょう。つまり、自分自身に対してより居心地良く、そして正直に感じられる場所へと不安の立ち位置を置き換えるべきだということです。
人間と不安との関係性は常に複雑でした。時にはねじれた関係性だったり、またある時には必要な後押しをしてくれる相棒同士のようにもなり得ます。不安に宛てたこの手紙は、不安がどれほど私たちに痛みをもたらすものであるのかについて話し、そして特にまだ答えの出ていない事柄を検討する内容です。
“不安は強大な愛の破壊者だ。不安は、まるで溺れかけの男にしがみつかれた時のような感覚を人に与える。そしてその男を救いたいと思いながらも、彼から絞め殺されるであろうことをわかっているのだ”
–アナイス・ニン–
不安に宛てた手紙
手紙というものは大抵、「親愛なる友へ」のような形で始まるものですが、これは不安へ宛てた手紙です。そのため、「友へ」などと書くのは難しいですし、「親愛なる」相手だと考えるなどもってのほかです。愛は本来人を傷つけるものではない、というセリフをあなたは何度耳にしたことがありますか?そうは言っても、不安という刃はかなり鋭くて、心の奥底にまで突き刺さることがあります。
そのため、「異質な旅仲間へ」とでもするのが良いでしょう。その第一の理由は、不安とは様々な局面で人について回るものですし、その存在に疑いの余地はほとんどないからです。人生のたくさんの経験の中で不安が目につきやすい位置にいることは確実なのです。
“異質な旅仲間へ、この手紙は、あなたが今現在どこにいるのかを再確認するためのものです。今この瞬間、あなたが私について回っていることが私の心をどれほど痛めつけていることでしょうか。人は変化するものです。そして全員がそのことについて考える時間を持つべきなのです”
突然の出会い
手紙には、不安との初めての遭遇についての記述を含めないわけにはいかないでしょう。初めての瞬間、その唐突さは人の記憶に巨大な負の影響を与えます。
突然に、残酷なほどに不安は人の身体を揺さぶるので、あなたはめまいのような、溺れているような感覚を味わいます。突然死が差し迫っているかのように思え、そこから逃れるためにあなたの心臓は激しく拍動し、不安によって睡眠や食欲が侵食されて身体全体に苦痛がもたらされるのです。その時の感覚は、「我を忘れた」などという言葉では到底表現しきれません。
そしてだいぶ時間が経ってようやく、あなたはこの現象の正体に気づきます。それは想像していたような心臓の異常や不治の病ではありませんでした。「不安」こそが犯人だったのです。そして、「私の身体は健康であるならば、なぜ今?」「不安がこの全てを引き起こしているなんて、一体どうやって?」「不安を取り除くために何をすべきだろう?」などの答えの見つからない疑問と苦痛とが始まります。
知ることが、不安を正しく評価することにつながる
この不安宛ての手紙を書くよりずっと前には、あなたは不安を憎み、排除しようとすらしていたことでしょう。「私に何を望んでいるの?」と何千回も叫んでしまった人もいるかもしれません。もちろん、痛みや疲労感、孤独をもたらすなど、不安を憎む理由は山ほどあります。そのせいで特に大切な人たちから距離を取る羽目になっている場合は、不安を嫌悪せずにいるなど難しいでしょう。不安は、その名を口にしてはいけないという暗黙の誓いを私たちに強いるのです。
そうは言っても、憎しみというのはそれほど長続きする感情ではありません。その強烈さは人を疲れさせます。事実、あなたはすでに大きな怒りでヘトヘトになっていたはずです。その後、不安は無期限に自分について回り続けるだろう、としぶしぶ受け入れることになります。そして上述のような解決することのない疑問が自問自答されるのをできる限り辛抱強く聞き続けるのです。
おそらくすでにご存知でしょうが、不安というのは「全てが順調だったというのは確かなことなの?」「なぜ今なの?」といった疑問を繰り返すことで反応する傾向があります。そしてこの繰り返しにより、あなたはついにこの不安の正体に一歩近づくのです。この感情が存在していたのは、長いこと黙らされていた自分自身の声を拡張するためだったことがわかるようになります。なんども打ち消されてしまっていた声がやっと、形はどうあれ聞かれるようになったのです。しかし、それでもいまだにあなたは「この声は本当に聞かれる必要があったのだろうか?」と腹立たしく訝っています。
聞いてくれ、友よ
そうですよね、困難な道のりを共に歩む忠実な旅仲間であったとはいえ、まだ不安を友人として扱うことなどできませんよね。しかし、実はこの親愛なる友はむしろ、何をやらせても上手くこなせる、優れた聞き手なのです。心の中の声にも外部の声にも耳を傾けることができます。
そうです、優れた聞き手というのは真の友人を意味します。今現在、いっぱいいっぱいになっていてそこに意識を向けねばならないがために自分では気づけておらず、そのせいで価値を見出せていない、何か好ましい物事の存在を私たちに知らせてくれる友だちです。時には対立を起こそうとする面も明らかになるとはいえ、それでも不安はあなたの友人なのです。一緒にいるのが不愉快な時でも、この友情を尊重できるようにならねばなりません。
不安に宛てたこの手紙を、今この瞬間あなたが不安についてどう考えているかの記述で締めくくりましょう。結局、その部分こそがこの手紙を書いている真の理由なのです。それでは、不安に直接語りかけ、以下のような文章とともに言いたいことを書いてみてください。
“不安よ、友よ、正直言って私は時々、あなたと一緒にいるのが嫌になります。しかしまた、私はあなたがここにいる理由やあなたならではのやり方で私を助けようとしてくれていることを理解してもいます。最終的に私が自分自身の声に耳を傾けられるようになったらすぐ、あなたが消え去ってくれることはわかっているのです。私はもしあなたがいずれ戻ってきたら、その訪問の意味を理解する前に腹を立てすぎたりあなたを追い出そうとしたりはしないようにするでしょう。でも、それはきっと私にとって難しい挑戦になるはずです。だから約束はできません”
不安宛ての手紙を書こう
この手紙を書くということは、不安との内面的な対話に入り込み、自己認識への新たな道を切り開くことを意味します。不安のような症状は氷山の一角に過ぎない場合がしばしばです。つまり、あなたの無意識の暗闇の奥底にあるものの一つだということです。したがって、どのような心理療法プロセスを取るにせよ、それには裏に潜む心理的葛藤を明らかにする工程が含まれねばなりません。
冒頭でお伝えしたように、ナラティブ・セラピーはこの不安宛ての手紙のような手法を用いるセラピーです。これらの手法は、主観的な感覚を言葉に変形させるプロセスを楽にするものとして非常に優れています。そのため、今回は是非あなた自身でも不安へ宛てた手紙を書いてみることを強くお勧めします。つまり、あなたと不安との現在の関係性をはっきりさせてみてください。あなたならどんな言葉で手紙をスタートさせますか?