人が忘れてしまっている3つの教訓

28 2月, 2019

忘却というものは面白い現象です。記憶は、学生の時に痛いほど学んだ通り、無秩序状態で、気まぐれで、復習に忠実です。内に秘める感情の混ざり合った記憶にも忠実です。それは特定のことに関する記憶かもしれません。例えば、初めてサーカスに行ったときの記憶です。あるいは、複数の出来事に関する記憶のこともあります。 愛情と忍耐でもって語られた、寝る前に聞いたお話達などです。良いお話ほど最高の眠りにつかせてくれるものはありませんよね。

時がたち、手の届かないところまで成長しようとする私たちの試みを、祖父母は不安ながらに見守りますまだ小さいかのように見ていつつ、同時に大きな存在になることを想像しています。だから、家中を探して壁に鉛筆で印をつけて、昨日よりどれだけ大きくなったかの証を残します。

成長していく中で、忍耐は衝動より重要であることを人は学びます。人生はとても美しくもあるけれど、曲がり角ごとに驚きを隠していることを学びます。空が曇り空になったり、雨が降ったり、かと思えば太陽が照らし出したりするのを目にします。また、自然が周期になっていることを味わい、私たちが経験する多くの過程もそれと同じように機能していると気づきます。王などは存在せず、いるのは親で、親は失敗も間違いも冒すということを理解します。しかし、親の愛より完璧なものはほぼ見つかりません。

学ぶだけではなく、人は重要な考えを忘れることがあります。それでは、忘却の地へ少し足を踏み入れてみましょう。一体どんなことが見つかるのでしょうか?

 

森


折り合いをつけるために忘れる

子どもはとても良い交渉者です。子どもたちにとって、否定は交渉の原理です。頑固でしつこくて、自分の潜在能力を信じています。子どもは自分がたくさんの武器を持っていることを知っているのです。その1つ目は、適切な時に欲しいものを望むことです。親の気分が良くてより柔軟な時か、疲れていて反抗心が低い時です。また、親が重要な問題に取り組んでいて、優先順位が交渉をできるだけ早く終わらせることである場合です。

2つ目の武器は、しつこい要求です。

ダメなの?じゃぁ、今まで見た中で一番かわいい子犬の目でお願いしちゃうもんね。まだ駄目?僕の顔よく見てよ。見てってば!まだ、駄目って思ってるの?じゃぁ、交渉するしかないね。僕の要求をのんでくれたら、一日中いい子にしてるって約束するよ。まだ駄目なの?そうか、じゃぁ、真剣にこのことに取り合ってくれるまで、僕道の真ん中にずっとたってるんだから!

親として神経質になってきます。この状況は好ましくありません。

欲しいものが手に入れられないのは嫌だって、わかってもらいたいの。

もし僕のことを引っ張って歩かせようとしたら、僕嫌がって地面に寝っ転がるみたいな行動に出るからね。

周りの人の注目を集めて緊張してきます。

わかった、わかった、あとで公園に行かないって僕を脅すなら、起きるよ。でもね、聞いてよ、今は僕の望むものはくれなかったけどさ、あとで公園に行くのは約束だよ、ね?

かわいらしい子犬のような目で言うんです。

大人になると、こういった頑固さを忘れてしまう傾向にあります。特に、現実ではなく他人からネガティブな反応を受けた場合です。恐怖や快適さが障害になって、すでに持っている答えで良しとしてしまいます。そうして自分の欲求を忘却の彼方へ送ってしまうのです。

何かがわからないときに聞くことを忘れる

成長すると、自分自身の像を形成します。他人がどのように自分を見るかははっきりとはわかりません。ただし、それを直感で知ることは出来ます。しかし、私たちが投影する自己像に含みたくはないような特性も存在します。自分はうそつきや操作的な人じゃない。傲慢な人じゃない。もちろん無知でもない、もしくは少なくとも、他人ほどは無知じゃないはず…。

私たちの姿勢が人生における知識や社会的支援を形作る大きな要因ですが、知識自体が最も重要であるとされた時代もそんなに昔ではありませんでした。例えば、採用に関しては、知識は考慮されるべき要因でした。だから、無知に見えることは良くないことだったのです。

子どもたちはどうするでしょうか?どんどん質問をしてきます。題材が繊細であろうが、面白かろうが、つまらなかろうが関係ありません。子どもはどうやって、何故、どういった理由か、その起源、及ぼしえる影響を知りたくてたまりません。大人が心の底では理解しているように、子どもたちも自分が物事を知らないと推測します。大人と違うところは、自己像に自分たちの質問がどのように影響するかということを理解していないという点です。子どもにとって、知識への興味は自分のイメージよりずっと大事なのです。これは大人が忘れてしまいがちな魅力です。

自分の考えていることを口にすることを忘れる

9時です。もうすぐ着くのに、足が少しふるえます。どんな人達だろう?自分と同じような人かな?もう少し良い服を着てくればよかった。さぁ、深呼吸をして。いち、に、さん

婚約者の母親がドアを開けます。笑いかけてくるので、笑い返します。中に招き入れてくれるので、ドアマットでこけないように注意します。丁寧な質問が投げかけられて、ちょっとした躓きもありながら気づくと嫌いな食べ物が目の前に並べられています。正直、全く好きではありません。しかし、「家庭の十八番料理」を拒むことは出来ません。作った人が一生懸命準備した料理です。目を閉じて口に運びます。

 

2回目に尋ねたときも同じような状況になります。しかも、今回は量が2倍になっています。このように、失礼にならないようにしすぎてしまう状況は人生に他にもたくさんあります。他人を傷つけることを恐れすぎてしまうのです。

子どもは自分が好きではない状況にはなかなか我慢できません。考えることを忘却の彼方へ送り込むことができません。自分の意見を忘れることがないのです大人への自然な進化を遂げると、前頭前皮質の進化と特定の社会規範を身につけたことによって、同じようなふるまいをより自制を効かせて表現することができます。つまり、誰も傷つけないように気を付けることができるということです。

せなか


新しい経験に関して話すことを忘れる

子ども時代というのは様々なものに特徴づけられ、これは発見の時です。初めて物を床に投げて、何が起こるか観察します。初めて自分だけで歩いたり、初めて親抜きで友達の家にお泊りしたり。

これらの初めの出来事は、経験の興奮をもたらすだけでなく、実際に起こる前に色々考えるために想像力を掻き立てます。子どもが飽きたからと新しいことを試す機会を逃すことはあまり見かけませんよね。子どもの好奇心は知っているものに留まる安心感よりも力強いのです。さらに、子どもが変化を恐れるということは事実です。しかし、熱意をもって変化を経験するということも本当です。これによって、子どもが真の危険に自分たちをさらすことはごく稀です。

自分の価値観を忘れてしまう忘却の彼方

こういった意味で、今日という日は昨日よりも良い日になるということを、人は忘れてしまいがちです。これは、人生の有限性を目の前に突き付けられて初めて気づくことです。死期迫る自分に近しい人を目にして気づきます。年を取ると子どもに帰ったようになるのです。忘却だけでなく夢に対する必要性を再発見するのです。

さらに、子どもは他人の尊敬する部分を大っぴらに話せるということが言えます。自分が何かできないことを認めることに不安を感じていません。誰かが自分より何かに優れているということを口にすることも恐れていません。もちろん、自分の成長を見込んでできるようになると口にすることで、未来のパフォーマンスが向上します。最後に、多くの子どもたちは自分の潜在能力に無限の信頼を置いています。自分が尊敬しているような存在になれると考えることをやめる理由はありません。自分の望むものを否定する理由はないのです。