自己犠牲精神の慢性化:自分の価値を知ろう
自己犠牲精神が慢性化すると、自分を失うことになってしまいます。私たちは人間であり、自分の時間や労力を自分以外の物や人に費やしたいと思うのは自然なことです。しかし、良いことをしているつもりでも、慢性化した自己犠牲が私たちを蝕んでしまうことを理解しなければなりません。
もし、他人の望みや発言によって自分の信念や価値観を犠牲にしても良いと感じているなら、考え直してみてください。他者を気にして自らの考えを放棄したり自分自身を否定している事実を軽く見てはいけません。
“成功への正しい見解を教えてくれるのは失敗だ”
慢性的な自己犠牲とは?
他人のために自分を犠牲にしたり、全てを自分のせいにしてしまう行為は、以下の二点を意味します。
- 価値観の対立を克服する必要性。自分自身の価値観と、犠牲を捧げてしまう相手の価値観の対立です。
- 自己を放棄することを受け入れてしまうこと。自分の考えやニーズ、あるいは希望を放棄しているということです。
犠牲とは、誰かのため、あるいは何かのために自分の幸せやニーズを放棄することを指しますが、自己犠牲はこれ以上の行為で、自分の一部を捧げてしまうことを意味します。
心理学用語では、自己犠牲とは他人の幸福のために自分の関心を放棄することで構成されます。
自己犠牲は、自らのニーズや個人的な願望を否定することで成り立つので、本質的に自己の一部分が失われてしまうことを意味します。自分の尊厳、そして時にはアイデンティティさえもを放棄しているということです。
一方で、自己犠牲は自分自身よりも自分以外の物や人に価値を見出すことを意味するので、連帯や利他主義の姿勢を示すことにもなります。
利他主義的な考え方は人々から高く評価される傾向にあるとはいえ、自分の一部を犠牲にしたり、健康な心身を犠牲にしてしまえば相当なダメージが及ぼされます。
したがって、他人のために全てを諦めてしまうような人が自己犠牲を行うと、自己破壊や機能不全といった事態になりかねないのです。
自己犠牲が病理的利他性になってしまう時
自己犠牲の具体例を挙げればきりがありません。例としては、特定の状況を考慮せずに自己を犠牲にしてしまう人々、例えば子どものためだけに生きる親や、自分自身の幸せや健康は放棄してパートナーに全てを捧げてしまうような人々です。
短期的にはこういった行動の多くはそれほど問題ではありません。むしろ自然で正常なことだとさえ見なされています。
問題が生じるのは、自己犠牲が病的なレベルに達した時です。こうなった人々は自らの本質を失ってしまう恐れがあります。
自己犠牲は、自己を過小評価することと同義です。これにより価値観が変化したり自分は価値のない人間だ、と考えてしまうようなら、それが病的な状態に変わりかねません。
慢性的な自己犠牲は、病理的利他性へと発展する恐れがあり、そうなると自分には何の価値もないと信じ始め、自己へ関心を向けることを止めてしまいます。
このように、自己の本質を失うことは、自身のニーズが一切満たされないことを意味します。そしてその代わりに他者の意見を常に優先するのです。これはネガティブな思考につながりかねません。
こうなると、実質的に彼らは完全に自身への関心を失います。さらに価値観や美徳は喪失し、合理的な思考ができなくなり、自尊心が損なわれます。簡潔に言えば、自己犠牲が慢性化することでその人をその人たらしめている特徴が取り払われてしまうということです。
“人々は、思わずためらってしまうような苦労の多い道筋をほとんど見ようとはしませんが、それらによってこそ最も重大な成功を手にすることができるのです”
-アン・サリバン-
自分が過度な自己犠牲を行なっているかどうかを知る方法は?
自分がやり過ぎかどうかを知るためのサインがいくつかあります。
- 誰かを手助けしている時、自分自身のために費やすための十分な時間や労力、リソースがない、と気づく。
- 他の人々のニーズを自分自身のものより上位に置くと罪悪感を感じてしまう。
- 時折、心の中が空っぽだと感じる。これは、愛されたい、気にかけられたい、注目して欲しい、といった自己のニーズを満たすことができていないことを示唆しています。
- 誰かを幸福な気分にさせるために、ある種の犠牲を払う必要性を常に感じている。
- かつては自主的に行なっていた自己犠牲が今では日々の業務のようになってしまっている。
- 「いいえ」と断るべきだとわかっている場面で「はい」と答えてしまうことが多いと感じる。
アイン・ロードなどの作家たちが自己を犠牲にしてしまう傾向への対応策を提唱しています。それは、個人的な野心や道徳心を強めることです。これは基本的に、自分には自らの価値を感じる権利があるのだ、と自らを納得させることを意味します。自分自身を尊重し、自分よりも重要な人など一人もいないのだ、と考えるようにしなければなりません。
最後に、自己犠牲が慢性化しないように自らをケアすることが大切です。自分を失う羽目にならないよう、いわゆる「わがままさ」も身につけるようにしましょう!