記憶は経験を消化すること

· 2017年10月18日

記憶は変えられないということが様々な研究で証明されています。しかしながら、記憶の中で思い出が歪曲され新たに作られることもあります。言い換えると、過去に経験したことが正確には覚えていない記憶に傷跡を残しているということです。しかし、起こった出来事の理解はそれをどのように解釈したかにかかっています。

実は、記憶のほとんどの大筋は事実ではありません。実は、記憶はそれが自分にとってどのような意味があったかなのです。

例を見てみましょう。

2人の子供はとても幼い頃に両親に捨てられました。2人ともこれにより大きな打撃を受けていますが、1人はなぜそんなことが起こったのかを理解するプロセスを分かろうと決意します。

何年か経って、このうちの1人は全てを哀しい出来事として覚えていますが、彼女はその状況を知っており、理解しています。一方で、その体験を消化できていないもう1人は単純に曖昧で不正確な記憶しかありません。しかし、彼は強い痛みと怒りも抱えています。

結局、大事なことは決して自分が何を経験したかではなく、その状況をどのように消化することができたかなのです。悲しみや不安といった気持ちの原因の多くは、未だに人生にネガティブに影響している過去の経験から来ています。これがその経験がきちんと消化されていない理由なのです。

経験とその解釈

人間は単純にデータを蓄積しアクセス可能にするコンピューターではありません。記憶は人間の生活の中でとても特別な役割を果たしています。過去は実は複雑な概念です。既に経験したことであっても、それは自分の現在にとても大きな影響を及ぼし得るのです。たとえそのことに気付かなくても、こうしたことは起こります。

二つの鏡と男性

このことを理解するには、古い建物の比喩に学ぶことができます。

はじめに基礎を築き、その上に各階を建てなければいけません。もしも基礎がしっかり築かれていなかったら、建てた階のどれかがおそらくハッキリした理由もなくひび割れ始めるでしょう。もしくは、建物全体が地震の際に崩れたり、倒壊してしまうかもしれません。

これがそっくりそのまま人間にも起こるのです。人の基礎は人生の初期に築かれます。それは一般に、私達がもうとっくのとうに忘れてしまっている時期のことです。それ以降、それぞれの経験が積み重ねられ、既に形成された基礎となる意識にならって解釈されます。もし土台が何らかの理由で影響を受けている場合、ひび割れや不安定な状態が大人になってから表れる可能性があります。

良い事は、この建物の比喩はこの概念を理解させてくれるけれども、人間はもっと複雑でもっと柔軟な生き物であるということです。理解するという行為のおかげで、過去に起こった出来事をより建設的で有益な形で解釈することができるのです。つまり、経験した出来事は、それをどのように解釈するかによって、自分をより良い人間にも悪い人間にもしてくれるのです。

麦畑の女性

経験したことを再解釈することもできる

生来、私達はネガティブな経験は避け、忘れようとしがちです。もしも見捨てられた体験や拒否、トラウマとなる体験をしている場合、それらを隅に置いて、あまり考えないようにすることでしょう。こうすることで、自分の精神衛生にプラスに働きかけることのない思考の連鎖に埋もれなくてすむのです。

しかし、経験を消化する時間を自分に与えない時、その経験は本当に忘れてしまうのではなく、無意識の中で生かし続けます。これは理由がないように見える悲しみや不安へと変わっていきます。

経験した事以上に大事なことは、記憶を建設した方法なのです。もし出来事を解釈するのに被害者の観点を採用してしまうと、自己憐憫のレンズを通して過去の経験を見るようになります。防衛的な見方を採用すれば、経験は他人を信用しない理由や、復讐を求める理由へと変貌していきます。これは仮に相手があなたに対して何もしていなくても起こります。

経験を解体する方法を学ぶことが大切なのです。これは起こった出来事について考え、理解へと導く視点を取り入れなければいけないということです。ただ何が起こったかを考慮に入れるだけでなく、あなたを傷つけた人達の立場になってみることを考慮に入れることが大切です。

もしかすると相手をそうさせたのは残酷さや自分勝手さではなく、相手自身の限界や欲求不満だったということが分かるかもしれません。また、自分に対して正しいことを貫く最善の方法は忘れることではなく、自分は嫌な経験を積んでいるけれども、それを乗り越え幸せになるに値する人間なんだと見なすことだということも分かるようになるかもしれません。