心の病の哲学
心の病の哲学は、学際的な学問領域です。哲学、心理学、脳科学、倫理のメソッドや観点を組み合わせ、心の病は分析されているのです。
心の病を理解しようとするところから生まれる、存在論的、認識論的、規範的問題に取り組むのが心の病の哲学です。この哲学の中心となっているのは、心の病という概念に適切で客観的な科学的定義をつけることは可能かという問題です。
まず、心の病を精神的な機能不全と理解すべきかを考えなければなりません。また、心の病の哲学は、心の病が正常と異常の間にある点として定義すべきか、あるいは何を含み何を除外すべきかの明確な基準がある精神的なものと認識されるべきなのかを分析します。
心の病の哲学:診断プロセスへの批判
心の病という考えを批判する哲学者は、「心の病」を定義することは不可能だと考えます。また、心の病というカテゴリーにより、今ある基準や関係が変わると主張します。
さらに、心の病の理解に伴い、価値観がどう働くかについてもたくさんの疑問があります。この価値観が一般的に心の病の概念にどのように影響するかが、研究の的になっています。
ニューロ・ダイバーシティーを支持する哲学者は、社会は全体として心の病という概念を改めるべきだと考えます。統計的に「異常」にあたる人を非難しないよう、人がもつ様々な認知タイプを反映することが社会には大切だという考えです。
診断の問題
さらに、心の病の診断に影響する認識論的な問題があります。長い間、心の病の疾病分類(枠組み)、特に観察可能な症状を伴う精神的な機能不全に関するDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)が、問題の中心となっています。
DSMの枠組みでは、確認リストにある一連の症状の有無から、精神的機能不全を見分けます。しかし、行動を基礎とした症状で心の病を診断することに反対派の人は、精神的メカニズムが機能不全であることを意味する、適切な理論的枠組みがなければ症状は意味をなさないと主張します。
そこで診断体系は、本当に心の病をもつ人と、人生の中で困難な時期にいる人を見分けるものでなければなりません。しかし、今のDSMではこれが不可能だと言います。
心の病という概念の信ぴょう性は?
心の病における価値観の役割や特性に関する疑問もたくさんあります。まず、心の病は価値観において中立的な概念であるかという疑問があります。そこで、心の病の疾病分類では、価値に関し中立な障害の定義を作る試みが行われています。
DSMなどのマニュアルにおける概念が、普遍的な、根底にある人間の実際を反映することができれば、それが理想です。そして、ここに定義される精神障害は、心の中で起こっていることに対し、文化的に相対的な価値判断であってはいけません。
心の病の概念の哲学的批難
ミシェル・フーコーは、心の病という考えや精神病棟を最初に批判した人物の一人です。精神病棟は、歴史的に合理モデルを適用する場所であり、すでに力のあった人物に特権を与えたとフーコーは主張します。
このモデルにより、合理主義の人の輪から多くの人が排除されたと言います。社会が、「望まれない」人々を精神病棟に収容したのです。そして、すでに存在していた力を強化する方向へ動かしたのです。
心の病という考えは、人種、性別、社会的階級、性的指向と同じ目的で使われる社会的構成だとフーコーは考えます。そして、力を広げるために、心の病の概念を使う人や組織があります。その目的は、力のある人によって作られた社会的順序を保つことです。
心の病に対する構成主義者の考え
社会的構成と心の病に関する問題で、構成主義者には様々な立ち位置があります。例えば、あまり過激でない構成主義者は、文化が「理想的な関係」をもたらしたと言うでしょう。そして、社会はこれを使い、人間の行動にラベル付けをします。
この観点でいうと、行動的シンドロームはどんな文化にも存在します。そして、それぞれの文化で理想的な関係の理論ができ、それにより「病気」となるラベルが異なります。文化が異なると、その価値観により、違う様式でシンドロームが作られます。
「うつ病の症状」という一連の行動ラベルがあるのは、医師がまとめたからです。その理由はたくさんありますが、ここでは説明しません。ただ、ある一連の行動、感情、思考がこのようにまとめられるのは、医師や専門家がこの集団をつくったかだらと言うことができます。
例えば、心臓発作に関する行動特性を知りたいのであれば、特定の行動につながる因果関係を見ていけば分かります。しかし、心の病の症状には、臨床的表象とは無関係でひとまとめにされている理由が見当たらないのです。
この観点から言うと、シンドロームは、イアン・ハッキングが「インタラクティブ・タイプ」と呼ぶものに似ています。ナチュラル・タイプは、外的な意見と無関係に存在する集団です。一方で、インタラクティブ・タイプは、構築された観点に基づき経験をします。つまり、タイプに合わせるように自分の感情や気持ちを変化させるのです。
心の病におけるインタラクティブ・タイプの例
例えば、(現在は解離性同一性障害と呼ばれる)多重人格障害をインタラクティブ・タイプと考えます。言い換えると、多重人格障害は、脳科学者が解析可能な人間の神経学の基本的な問題ではありません。
多重人格障害という概念が特定されると、多くの人に多重人格障害というラベルが貼られます。そして、この考えにより、脳に探知される原因がなくても診断名が付くようになります。
また、このラベルにより心の病の他の解釈の可能性が消されることとなり、これは哲学の中でも本質ではなく、多元論的でもありません。
まとめると、心の病の哲学とは、多くの意味で、医師がつけるラベルや医学の外で人を理解する方法を心理学に加える考え方ということなのです。