私たちは他人の行動をどのように説明しているのか

2019年9月6日
人間は、自分自身の、そして他人の行動を説明するとなると、自然と御都合主義的尺度を使用してしまう傾向があります。

信じ難いことですが、そして他人に関しては理解できても自分自身のことに関しては気づきにくいことではあるのですが、自分の行動や他人の行動を説明するときにご都合主義的尺度を使ってしまうというのは非常に典型的な習性なのです。

人間という生き物は、ある状況が自分自身の行動に対して持つ影響力を強調してしまいがちです。しかし、これが他人の行動に関する説明となると、180度変わってきます。周囲の状況ではなく、その人物の素質やパーソナリティ特性を指摘し始めるのです。従って、特に想定外の状況が起こった際、自分の行動に対してその状況がどう影響するかは知ることができるでしょう。しかし、同じことを他人に対して行うのはこれよりも困難なのです。

このような言い方をすると、いささか幼稚に聞こえるかもしれませんが、1つみなさんが気づいていないことがあります。それは、無言のバイアスです。心理学では、これを行為者-観察者バイアスと呼びます。この現象に関するよく用いられる説明が、自分が行動するときと自分が観察者になる時とでは、異なった観点を持つ事になる、というものです。言い換えると、それぞれの状況で自分の考えや感覚は変わるものであり、それによってどのように行動を正当化したり描写したりするのかが条件づけられているということです。

みなさんも、自分が必ずしもいつも同じような行動をとるわけではなく、自分の行動は周囲の状況に左右されやすいものだということは分かっているはずです。しかし、これが他人の行動となると、果たしてその人たちはいつも同じように行動するのか否かを知るための情報が何も見えなくなってしまうのです。さらに、自分が何かを行うときには、自分の注意はその「状況」に向けられています。しかし、行動をしているのが別の人物だった場合、自分の注意はその「人物」に向けられています。私たちはこれを根本的な帰属の誤り、と読んでいます。これが、自分の視点が変わってしまう原因です。

パートナーの行動を説明する

こういった説明は、恋愛関係に関してはとても興味深いものとなります。社会心理学のある研究では、他人の行動を説明しようとしたときに再度考えさせられてしまうような結果が出ています。

自らの行動あるいはパートナーの行動に関しての説明は、行動の裏にある本当の理由ではなく、関係性の良し悪しに左右される傾向があることが明らかになっています。もし関係性がうまくいかなくなった時には、互いに原因があると考えてしまうカップルの方が多いようです。

フィンチャンとブラッドベリの研究では、関係性に満足している場合は、パートナーのポジティブな行動を、内部的な制御可能な理由で正当化する傾向にあることが明らかになりました。同様に、ネガティブな行動に関しては外部的な、制御できない原因に結びつけてしまうようです。

しかし、関係性がうまくいっていないときに起こる最も興味深いことは、帰属を逆転させてしまうことです。つまり、もし2人の関係性が悪くなっている場合、相手の良い行いは外部要因によって引き起こされたものであると考え、悪い行いに関しては内部要因が引き起こしたものだと考えてしまうのです。

他人の行動 どのように 説明しているのか

社交レベルでの行動の帰属

また、ある集団がなぜ特定の行動をとるのかを説明しようとする時にも興味深いことが起こります。こういった集団は、人種的マイノリティから無職の貧困層にまで渡ります。基本的に、こういった現象に対する説明は事実よりもその人の価値観や考え方、そして政治観に影響されてしまいます。

他人を集団として捉えた際の彼らの行動に対する説明は、主に自分がその集団とどれくらい密接に関連しているかによって変わってきます。集団のメンバーは、集団の行動をメンバー以外の人よりもポジティブに受け取るのです。

他人の行動を説明する

フルチャンとレイチャーの研究では、保守派とリベラル派では、貧困や富といったネガティブな社会現象を異なる方法で説明することが明らかになりました。

保守派は、裕福な人々が裕福なのは彼らがお金を貯め、一生懸命に働いたからだと主張します。しかし、リベラル派は裕福な層を残酷で無慈悲だとみなしています。これが貧しい人々になると、リベラル派はこの状況を資源や機会の不平等のせいだ、と説明します。ところが保守派は、貧困は野心の欠如や怠慢が招くものだ、と考えるのです。

他人の行動 どのように 説明しているのか

抗議活動に関しては、保守派は、人々が抗議活動を行うのは何か病理的特性のせいだ、と述べますが、一方リベラル派は社会状況が人々を抗議活動に向かわせるのだ、と考えます。

まとめると、真実として知覚している現実は、実は真実よりも自らが投影するものとより深く関連しているということです。他人の行動を説明する時には、このことを念頭に置いてみてください。