心をこめて与えたものは何倍にもなる

· 2017年11月26日

あなたは今までに何の見返りも期待しない誰かに、愛と真心をもって助けられたという感覚に襲われたことはありませんか?その気持ちはあなたがこれまでに感じたことのある気持ちの中で最も満たされるものの一つです。なぜなら、そのおかげで、私達は他人とつながっているように感じるからです。

同じように、自らが助けを必要としている人を見返りなしに助けた後に押し寄せてくる感覚は、時にもっといいものだったりします。他人に与えるものに心血を注ぎましょう。その報酬は、自分一人のために得るものよりもずっと素晴らしいものになるでしょう。

自分のすることに心血を注ぐ事

心をこめて与えることは、受け取る人だけでなく、与える人にとってもプラスとなります。同等の見返りなしに何かを与えるということは、プラスの結果をもたらします。このことによる主な成果の一つは、自分に満足し、自尊心が高まることです。自己愛が高まり、一人の人間として心の安定を得ることができます。

合わせた手に止まる蝶

あなたにとって大切な誰かのために何かをする時、将来的に「どんな利益を得られるだろうか」と考えてはいけません。なぜなら、これはあなたが心血を注いではいるけれど、かなり自分勝手になっていることをほのめかしているからです。実際は、大切な人のために行動を起こすときに得られるのは、ただ単純に何かを誰かの人生にもたらしたという気持ちなのです。

これを理解している人は、自分がされたことに対する感謝の仕方を知っており、同じ様にお返しをすることができます。私達は謙遜さをもって行動しなければいけません。他人を助けることによって私達は人生の真価に気づくことができるようになるのです。

他の人にしてもらうことをありがたく思う事

与えることや、自分がすることに心血を注ぐことによって得られる利点は、他人が私達にしてくれる努力を評価する能力にも反映されます。「感謝は尊貴な魂の証である」と言われることもありますが、実際のところ、私達の生活を楽にするために、他人がどれだけ犠牲を払っているかは知りません。

立ち止まって、他の人が私達のために日々してくれていることを考えてみると、大して重要ではないと思われるような行動の価値をますますありがたく思わずにはいられません。これらは、彼らが私達を必要としているように、私達も彼らを必要としているということをふと思い出せてくれる出来事です。

何かを報酬として得られるに違いない、などと考えるのは止めましょう。なぜなら、自分のおかげで誰かが幸せになるということは、たとえそれが一瞬だけだったとしても、かけがえのない気持ちだからです。そして多くの場合は一瞬だけにとどまらず、やりがいがあり長く続く充実したものへとなり得ます。考えてみて下さい。何かを達成するために闘う時、到達した目的地よりもそれまでの道のりに対して誇らしく感じたりしませんか?

期待しなければ報酬は大きなものに

自分のすることに心血を注ぐこと、そして見返りを期待しないことで報酬が大きくなる、ということに気付くことで、私達は他人に対してもっとオープンになります。フランス人作家のフローベールは「心は、売り買いされるのではなく与えられる富である」と言いました。そういう意味では、誰かが私達に対して心を開いてくれたり、逆に恐怖を感じることなく他人に対して心を開くことができるというような報酬は、物という形での報酬よりもずっと強く、長く続くものです。

心の種を撒く

だから、私達にとって大事な人から触発されるのは良い事なのです。なぜなら、彼らが気にかけていることはあなたの幸福以外の何物でもないからです。したがって、目標は単純に最高の自分を与えることです。そうすることで、自分が持っている物やあげたりする物ではなく、自分という人間をもってして評価してもらえることになるのです。こうすることが強い真実の愛で他人からの愛を手に入れる方法なのです。

自分のすることに心血を注ぐ。このことに疑念を持ってはいけません。そうすることで、あなたはきっともっと満足し、あなたのもとに報酬が何倍にもなって返ってくることでしょう。