後悔はしていない、それでも二度と繰り返さない
一人ひとり個性があり、それぞれストーリーをもち、不完全で、失敗することもあります。
だからこそ、間違いを受けとめ、永遠の後悔のサイクルにはまってしまわないようにしなければなりません。その中でも、二度と、繰り返したくないことをはっきりさせておきましょう。もう通りたくない道、上手く付き合っていける距離を保ちたい人などです。
ウディ・アレンの映画に、「人生でたったひとつの後悔は、自分が自分であるということだ 」という場面があります。皮肉のこもったこのフレーズは、事実をうまく表現しています:間違いは心に傷を残し、自尊心をボロボロにし、実在しない「再スタート」ボタンを押したい気持ちにさせるのです。
人間は機械ではありません。大切で素晴らしい力がDNAにインプットされており、間違いから学ぶことができます。そのおかげで、人類は発達し、この複雑な世界を生き延びてきました。
生きることは前進することであり、また、良くない選択や行動に出会ったとき、どう変えていくかです。
罪悪感にとりつかれ、血を流し、過去へ目を向けないようにしましょう。自分の価値を失い、成長できなくなってしまいます。
後悔と荷物
罪悪感と後悔にもいろいろあります。良くない人との人間関係、仕事上の誤った選択、管理ミス、破ってしまった約束、間違った言葉や行動などです… フィルターにかけず、単に自分の姿を鏡にうつしてみましょう。まるで大きく開いた傷のようです。
心にできたヒビに目を向け、壊れた部分を拾い集め、修復しましょう。
学術雑誌「認知心理学」で興味深い研究が発表されました。若い世代は、生きる上でおかす間違いすべてに泣き言をいうというものです。
20~45歳の人にインタビューをし、今までにした間違った決断や付き合うべきでなかった人について、一人ずつ、詳細に尋ねていきます。自己分析と評価は心と体に良いものです。これだけで、より良い選択、軌道修正に役立ちます。
高齢の人にとっては、より難しい問題です。70歳を過ぎると、今までしなかったことに対する後悔が出てきます。機会を逃してしまった、勇気を持てず、決断できなかったなどです。
間違いは必ずやってくる
間違いは必ず生じるもので、その責任を認めましょう。当然のことのようですが、その価値を見出せない、大事なステップを踏めない人がいます。
「第一の修復 」は、心理学的にも必ず必要です。良くない関係を断ったり、失敗に終わった企画をあきらめる、また、傷つけてしまった人に許しを得るという基本からです。
「間違いは生まれつき、人の考えや思いのベースで、根粒のように栄養となっている。間違ったことをするという特性がなければ、役立つこともない。正しいことと間違ったことの二択があるとき、間違った選択は正しい選択と同程度の回数であるべきだ。生きるとはそういうものである。」
-ルイス・トーマス-
次に、もっと複雑で、デリケートな深い部分へと進みます。 「第二の修復 」です。心のかけらや自己像の糸を丁寧につなぎ合わせます。
落胆の重みや恨みをかかえ続けると、新たなチャンスへの窓や心のドアを閉ざしてしまうことになります。
雑誌「個性と社会心理」に、私達にも身に覚えのある状況に関する記事がでました。「自分はどうしてこんなに騙されやすいのか?この年になって、自分はまだこんな間違いをするのか?」などという思いで自分を罰していることがあるというものです。
年齢や経験を得ると、私達は間違いをおかさなくなるという思いがありますが、そんなことはありません。そんな思いは置いておき、受け入れましょう:生きることは、変化と挑戦である。毎日、新しい人や違ったことに出会うのはそのためです。
間違うことは、成長の過程で、その一部です。試すことを拒み、後悔や恐れ、「今のままが一番良い」という島に永遠にとどまることは、あなたが呼吸し、存在していることにはなっても、生きることとは違うのです。