マスクを通して見る世界:心理的影響
ハイジェニックマスク、サージカルマスク、FFP1、FFP2、FFP3などなど…知る必要がなければと願うような言葉を私達は知ることになりました。現実は私達の言葉を変え、心理的影響を及ぼします。私たちはマスクを通して世界を見るようになってきており、マスクはこれからの生活の一部になりそうです。
日本人、中国人、韓国人が感染予防として日常的にマスクを着用しているように、「アジアの手本」に習おうという人もいます。アジア圏の人々にとっては、マスクの使用は義務や新しい行動パターンからは程遠く、古くからの文化に根付いたものです。
風邪を引いたり、同じ場所にいることにより病気をうつすことは、配慮に欠ける行為だと考えられているのも理由の一つです。また、アジアの大都市での空気汚染やゴビ砂漠からくるダスト粒子もマスクをつける要因になっています。マスクは日常の一部になっているのです。
反対に、西洋ではマスクの使用は一般人には推奨されないという公式な情報があったため、マスクはどこか不安やパニックを生み出しました。しかし、今や将来繰り返し必要になると考えられています。
マスクを通した世界、その影響は?
マスクを通した世界は、マスクのない世界とは違います。不快で、妙で、日常からどこか外れています。さらにマスクだけではなく、グローブ、消毒液、さらには保護メガネまで使われている場合もあります。
命そのものを守るバリアの役割を果たす、医療従事者にとって当たり前のものが、私達一般人にも必要不可欠になっています。
今、医療に関わっている英雄のような人ではなくても、その生活はあらゆる面で変化しています。マスクは現在のパンデミックの象徴なのです。昨今、私達につきまとい現実を完全に変えた象徴です。これらすべてが、私達の生活に深い心理的影響を及ぼしています。
不確かさと恐怖:マスクを着用しなかったら? 手に入らなかったら? マスクが自分を守ってくれなかったら?
疑念、心配、悩み…これらは私達の日常につきもので、多くの人の不安を大きくします。コロナウイルスの感染に対する恐怖心から、手指消毒やソーシャル・ディスタンス以外にも様々な方法で予防しようという気持ちにさせられています。
初めはマスクの着用が嫌でも、社会的プレッシャーや人がマスクで顔を覆っているのを見ると、自分も買わなければならないと考えるようになります。しかし、マスクがどこにも売っていないことから、不安、恐怖、手に入れたいという強迫観念が大きくなります。
今、市場ではマスクが不足しているため、多くの人が手作りを始めています。しかし、この手作りマスクは、ストレスを大きくする原因にもなります。それは、手作りマスクはあまり効果がなく、自分は保護されていないと考えるためです。これにより不安を抱えることもあります。
現実は変わった
マスクを通して世界を見ると、それが心に影響を与え、すべてが変わったことが分かります。家を出る時は携帯、財布、鍵、そしてマスクを持って出かけます。それがハイジェニックマスク、サージカルマスク、FFP3 かは関係ありません。生活は全く違って見え、すべてが妙に歪んで見えます。
私達はこれが一時的なものだろうと思っています。一定の時間が経てば、突然現れたウイルスの毒性は失われると信じています。そして科学により、ウイルスに対抗する治療法やワクチンが開発され、日常に戻ることができると期待していますよね。
しかし、マスクのある日常はウイルスの存在を示すものです。マスクは、「敵から自分を守らなければならない」ということを明確にし、それを私達に思い起こさせます。
この事実が私達に悪影響を与えるのです。これを普通だと受け入れる人もいますが、この新たな習慣に慣れず、不安やストレスを抱えながらマスクを着ける人もいます。
マスクはパンデミックを防げないが、恐怖を取り除いてくれる
WHO代表テドロス・アダノムは、一般人による医療用マスクの多用を懸念していると言っています。どうにかマスクを手に入れようとする人達のせいで、本当に必要な人の手にマスクが届かないからです。
しかし現在、各国がマスクを作り始めています。間もなく、自国で作られたマスクが薬局などで買いやすくなるでしょう。ここで、マスクではパンデミックを止めることはできないという明確な事実を無視してはいけません。マスクでウイルスを100%止めることは不可能です。しかし、マスクは恐怖を取り除くことができます。
マスクを通して見る奇妙な世界は、これまでと大きく変化しました。大多数の人が、他の予防法に加えた方法として、また恐怖心の軽減のためにマスクを求めています。
まとめると、このパンデミックの影響がいつまで続くかは分かりません。また、マスクの使用が一時的なものであるか、一定期間や特定の状況においてこれが日常になるのかも分かりません。
そうであっても、否定できないことが一つあります。それは、人生は予期せぬ時に変化するもので、私達は新たな環境に適応する備えをしておかなければならないということです。