難民のストーリー―無人地帯に置かれて

17 2月, 2019

攻撃がありました。母親が幼い子供の手を取ったその瞬間、その子の誕生を見届けた人の腕の中で、子どもは息を引き取りました。別の少年は、今日親の元を離れていきました。もう一度会えるかどうかはわかりません。泣きながらさよならを言って、より良い未来を願いました。彼らは難民です。

難民のストーリーは、何千もの人の痛みを語ります。それは、夢を見る人々、あなたと同じようなことを願う人々です。苦しみのせいで笑い方を忘れてしまった子どもたちです。

難民とは

生まれ故郷で、人種やイデオロギーが原因で迫害されてしまっているために、移民を余儀なくされた人達です。また、彼らの国には、それなりの生活への供給や保証がありません。

難民は私たちの仕事を奪いに来るのではありません。思い付きで来たわけではありません。テロリストでもありません。

 

「理解しなくてはいけません 

地上より海の方が安全でなければ子どもをボートには載せません

貨物列車の下で手を焼く人もいません

移動した距離にただの旅以上の意味がなければ、新聞紙を食べてまで昼夜トラックで移動し続ける人もいません

フェンスの下をくぐりたい人もいません

憐れまれて叩かれたい人もいません」

-雑誌「フォガル」から『故郷』-

 

運ぶ


難民として生きることの心理的な影響

難民として生きることは、無人地帯に生きるようなものです。自分の故郷でも見つけた場所でも普通の生活はできません。あなたが保護を求める国の多くはあなたが来ることを望んでいません。かなりの不安と鬱を生み出します。また、復讐の感情も沸いてきます。

さらに、絶え間ない爆撃に耐えなくてはいけません。これらの理由から、かなりの警戒と慢性的なストレスを感じるようになります。それによって、統合失調症や外傷後ストレス障害などの深刻な病気を引き起こしてしまうことになります。

社会的・心理的不安を持つ人が合法でも倫理的でもない行動を起こすことは驚きではありません。あるいは、愛する者の安全、救済、正義を与えるというようなグループと結託することも驚きではありません。自分の周りですべてが崩れ去っているときに、そのような味方を求めないほうがおかしいでしょう。

しかし、我々にはそれが見えていません。相手の目のシミはすぐに判断してしまうのに、自分自身の記憶には目が向きません。極端な考えが力を得ていきます。彼らだって、社会的・心理的な不安を持ち安全を求めている人間ではないですか?

 

針金


難民のストーリーにおける私たちの役割

地獄のようなボート旅や、マフィアの鼻の先で何年にもわたる砂漠の旅を乗り越える少しの可能性が、自分の故郷に留まるよりも良く思えたとき…フェンスも、国境も、法令も、警察も、 有刺鉄線も、地中海ですら、より良い生活を求める家族をとめることは出来ません。

顔を背けることは問題を解決することではありません。対立に融資することも意味がありません。なぜ難民を受け入れずに、武器の供給に貢献するんですか?この裏表のある道徳心は非常に心配です。

何故でしょう?それは因果応報だからです。ブーメランを遠くに飛ばすほど、より早さを増して戻ってきます。この大量移民の現実を拒否してしまえば、同じようなことが起こるでしょう。あるいは、その存在すらを否定して、自分の国で受け入れなかった場合です。まさにアメリカが行っているようにです。また、難民を許容し受け入れたあとに、社会に組み込まない場合も同様です。

社会に難民を受け入れ組み込む必要性

上記のいずれか、またはどちらも全く行わなかったら、時限爆弾を作っていることと一緒です。誰かがあなたの家を破壊して、子どもをさらって、家族を爆破したらどうしますか?すべてを失って、より良いものを求める術がなかったらどうしますか?自分に起こったことを目の前にして無力感を感じたとき、どうしたら良いですか?自分の周りの人が何が起こっているかわかっているのに何もしなかったらどうですか?

答えは簡単です。自分の人生に意味がないと思う時、人は自分を破壊し、復讐や救済を求めます。これこそ、私たちの介入が重要になるときです。

多くのテロ攻撃は、「わたしたちを殺そうとやって来たひどい外国人」によってではなく、その国の市民によって行われています。移ってきた国から受け入れられていないと感じた人たちの次の世代の人達です。本当のフランス人、ドイツ人、アメリカ人として認識されず、シリア人、イラク人、ソマリア人としても受け入れられなかった、2重に拒否された人達です。彼らは、自分たちを武器として利用しようとする人たちと友達または信者だっただけです。

ここは、自分の身は自分で守るしかない、アイデンティーや帰属感が欠落した場所です。

私たちは他の人間より優れているわけでも違うわけでもない…

私たちはそのことを忘れてしまったかのようです。76年前、465,000人のスペイン人が内戦から逃げるため保護を求めてフランスの国境へ向かいました。そのうちの220,000人は、そのままフランスにとどまっています。

集まる移民


パブロ・ネルーダも言っています。「愛は短く、忘却は長い。」

移民のボート
不法なスペイン移民が、ベネズエラに到着する様子(1949)

私たちが自分を観察するために少し立ち止まれば、もっと明確になってくるはずです。若い人たちは国を去ることがあります。アメリカ、中国、フランス、アイルランド…より良い未来を求めて移民します。移民のストーリーは、自分の子ども、自分自身、誰のものでもあり得るのです。

泣きながら助けを求める声をかき消されてしまった人々に代わって、自分たちの言葉を聞いてもらえるかどうかは私たち次第です。ヨーロッパでは、10,000人以上の子どもが行方不明になっています。家族はいつか会える日を願っています。そして、命と引き換えに自分の体の一部を売る人もたくさん存在します。

ユニセフによれば、2015年、子どもに関連する1,500以上の深刻な法違反がありました。殺人、人体切断、誘拐などです。それらのうち400のケースで子供が殺害され、うち500人の子どもは、体の一部が切断されています。この子どもたちはテロリストですか?チャンスを与えてあげてください。

救済のための最も簡単なことは、彼らに心を開くことです。

Malkki, L. H. (1995). Refugees and Exile: From “Refugee Studies” to the National Order of Things. Annual Review of Anthropology. https://doi.org/10.1146/annurev.an.24.100195.002431

Shacknove, A. E. (1985). Who Is a Refugee? Source: Ethics. https://doi.org/10.1086/292626

Werker, E. (2007). Refugee camp economies. Journal of Refugee Studies. https://doi.org/10.1093/jrs/fem001

Strang, A., & Ager, A. (2010). Refugee integration: Emerging trends and remaining agendas. Journal of Refugee Studies. https://doi.org/10.1093/jrs/feq046