悩める天才ジョン・ナッシュの物語

2018年4月28日

ジョン・ナッシュは1994年にノーベル経済学賞を受賞したことでその名が知られるようになりました。そして、その後「ビューティフルマインド」という映画でも、数学の天才である彼の物語を取扱っているので知っている人も多いと思います。

ジョン・ナッシュは1928年6月13日にバージニア州の小さな町で生まれました。彼は若いころから内向的な性格で社会性に欠けており、孤独な幼少期と思春期を過ごしました。他の子どもと遊ぶことは少なかったですが、彼の母親は、遊ばずに本に興味を持った彼に強制することはありませんでした。

あなたが思っている他の多くの天才と違い、ジョン・ナッシュの成績は良いものではありませんでした。彼は社会性が著しく欠けていたので、教師も彼の学力に疑いを持っていたのです。そのような背景もありましたが、彼は自分の部屋にこもり一人で科学的な実験をすることに熱中していました。

「人はいつも精神的な病気を患っている人は苦しんでいるという考えを押し付ける。しかし、私は怒りは逃避になるとも思う。もし物事が上手くいかなければ、あなたは何か良いことを想像するだろう。」
-ジョン・ナッシュ-

ジョン・ナッシュ:「変な」子供

10代の頃、彼は数学への興味を見せ始めました。そして、特に化学への興味を示しました。そんな彼に、一部の人間は彼が学校で爆弾を作り、それがミスによって爆発して誰かが死んだと噂を立てるような嫌な人達もいました。

1945年、ナッシュはカーネギー工科大学への奨学金を獲得しました。そして、化学工学を専攻するつもりでしたが、数学学科長のジョン・シングに数学を学ぶように説得されました。1948年に彼は数学専攻で卒業し、修士号の学位を取得する為プリンストン大学での奨学金を手に入れました。

そして、1949年、彼が博士号の準備をしていた時に、約50年後に彼のノーベル賞に繋がる非協力ゲームに関する論文(Non-Cooperative Games)を執筆したのです。卒業後、彼は冷戦に関係した科学的研究を行うランド研究所で働き始めましたが、その2年後にはMIT(マサチューセッツ工科大学)で教授として働き始めました。

ジョン・ナッシュ

統合失調症の影

ここまでは映画のストーリーと一緒ですが、ここからはその表現が少し異なります。彼はエレノア・スティアとの間に子どもがいましたが、未婚出産だったのでそれが大きなスキャンダルとして取り扱われてしまいました。その後、彼の父親も亡くなり、1954年にジョン・ナッシュは同性愛者への暴力で警察に逮捕されてしまったのです。そして、その影響で彼は職を失うのです。

1957年に、エルサルバドール系の生徒であるアリシアと結婚し、子供を授かります。しかし、出産の後、すぐに彼は彼女と離婚してしまいます。ナッシュはその頃統合失調症を患っており、アリシアはそんな彼に我慢が出来なくなってしまったのです。その後、彼はヨーロッパを訪れ、政治難民の地位を得ようと試みました。

彼は幻聴に悩まされており、まるで神様のように自分自身を選ばれた人間だと思うようになりました。それと同時に、「私の考えに反対していた人から、私の脳に直接電話のようなものがあった。」と、ソ連とバチカンの陰謀を疑うようにもなったのです。

統合失調症からの回復

彼は統合失調症から回復し、正気を取り戻しました。それに対して多くの人が奇跡だと述べています。彼は様々な病院に8回入院して、大量の医薬品や電気ショックのような激しい治療を受けました。このことについて、彼は単純に今まで聞こえていたことに耳を傾けるのを辞めたと言っています。

ある日、彼は処方された薬の服用を辞めました。ハビ・アイェンとのインタビューでは、彼は医学が利益よりも害をもたらす部分があると指摘しました。また、投薬を辞めることは非常に繊細で危険なプロセスでもあると述べました。このような側面があったにもかかわらず、彼は治療を中止して、数年後に完治したのです。

ジョン・ナッシュとラッセル・クロウ

病気になった後、ナッシュはしばらく元妻のアリシアと暮らしていました。彼女によると、「平和的な生活を過ごすのが一番」と何も奇跡のようなことは無かったと発言しています。

1996年に、世界精神医学学会のフェリエ・リエ・マックは彼を「希望の象徴で、心にある無限の宇宙の探検家」と称えました。彼のストーリーには勇気づけられるようなものとトラブルのあるものが含まれています。しかし、統合失調症を患うことは人生の終わりではないという証明でもありました。また、より効果的な治療を求めるインスピレーションにもなったはずでしょう。