なぜ、今ここを生きようとしないのか?

02 4月, 2020
今ここに焦点を当てて生きることは、なぜこんなにも難しいのでしょうか? 今を最大限に利用することにはたくさんの利点があるのですが、なぜかそれが難しいのです。

carpe diem”これはローマの詩人ホラティウスの言葉です。「今を楽しめ」という意味で、今を最大限に使おうということです。実は、これは“Carpe diem, quam minimum credula postero”という文の一部です。これを訳すと「今日をつかめ、明日を信じるな」がもっとも適当でしょう。それでも私達は今ここを生きることに抵抗し続けています。

正直、今ここを最大限に使うより、明日を待って今日を過ごした方が楽ですよね。なぜこうなりがちなのでしょう?このように今ここを生きることができない人がいます。今だけを考えることができません。過去について考えすぎていて、自分の思考との闘いすべてにおいて負けてしまうのです。

また、今を生きる力が「文明化」により奪われたのかどうかは不明であるという点は非常に厄介です。感じることをやめて、考え始めるためにこうなったのか、私たちは分からずに生きています。 なぜ私達は今ここを生きることに抵抗するのでしょうか? 人間の進化は関係しているのでしょうか?

 

批評により今ここを生きることに抵抗する

バルセロナで行われたカンファレンスで、エックハルト・トールは、人は精神的、物質的、感情的にとらわれているという不幸について語っています。これを一時的なものとして考えるのをやめ、共存することが重要だと彼は言います。今ここにただ存在すれば良いというものではなく、精神的に満たされていなければなりません。

これは、「自己陶酔」やまひ状態に関するものではありません。その反対です。人生において、私達が「何かをし」なければならないことは間違いありません。

ここで大切なのは、行動をする時に感じることです。私達は批評しがちですが、自分の感情にレッテルを貼るのは避けましょう。自分を批判してはいけません。現在こそが、コミットメントと誠実性の立派なカタチなのです。

「経験や苦悩のない人生は人生でない」

-ソクラテス-

 

今と繋がり、エゴや罪悪感をなくす

精神的に囚われていない状態は、赤ちゃんや自然、動物に接する時の心地よさに似ています。批判せず自慢しない人と過ごしてみるとドキドキします。力をもらうと感じる人もいれば、自分が弱く感じる人もいます。また、自分が批判されていないと分かると、リラックスし現在と繋がることができる人がいます。

一方で、何かを証明しなければならないと感じる人もいます。この場合、今ここを生きることを避けているだけでなく、強い不快感につながる過剰なエゴやナルシシズムが存在します

力をもらうと感じる人は、今より良い仲間を探し、問題を持ち込む仲間とは距離を置いた方が良いかもしれません。また、ひとりでいる時に自己批評しないようにする必要があるかもしれません。自分がしたこと、あるいはしなかったことに罪悪感を持つのはやめましょう。どんな状況であれ、自分が主人公だということを忘れてはいけません。

道徳的、そして知的に自分の心の状態に左右されるのではなく、ありのままを認めることにより、今ここと繋がることができます。さらに第三者としての視点から世界を見て、真の知恵と知識を使い分けることも大切です。

今ここを生きる

 

脱離と西洋文化の関係により、今ここを生きられない

西洋的思考では、脱離を理解するのは容易ではありません。解放することを拒み、しがみつこうとします。

西洋では、家族、友達、恋人は、永遠に続くものだと考えられがちです。しかし実際は、これにより何が起きても苦しむことになります。そしてこの苦しみは自分が脱離ができないことから生じています。彼らにとって、自由になり、今と繋がることはなぜか難しいのです。

すべては自分にかかっている、あるいは幸せになるためには人や物に頼らなければならないと考えることはもっと悪く、今ここを生きることを難しくします。

また死の回避は不可能で、これが自然な流れであることは誰もが理解しています。しかしこれを分かっていても、愛する人を失った時に立ち直るまでには数か月あるいは数年がかかります。これは死そのものを悲しみ痛みを感じているのではなく、死を受け入れることを拒んでいるからです。死別の悲しみにおいて、受容は非常に難しいものです。しかし、これが命の当然の流れであると受け止めなければなりません。

 

自分のメンタルヘルスのために今ここを生きる

西洋人は、消費と生産の時代を生きています。これにより、今ここを生きたいと思うことさえ贅沢になっています。会社へ行く途中、芝生の匂いを嗅ぎ、朝を楽しむ時間がある人がいるでしょうか?

現代社会では皆が常に動いています。これによりどんなに不快感がもたらされても、多くの人にとってこれが日常になっています。

多忙な日常を過ごし、週末、次の休み、さらには退職を楽しみにするようになります。職場に向かいつつ、夕飯を何にするか考えます。日曜日には月曜日に対する不安を抱きます。今が非常に退屈で空虚に感じ、逃げるしかなくなるのです。

「過去に浸ってはいけない。未来を夢見てはいけない。現在に心を向けよう」

-仏陀-

 

自分の価値観について考える

現代社会では、パフォーマンスに価値が置かれることをご存知でしょう。職場でどう功績を上げるか、いくら稼ぐか、何時間働くかに目が向けられます。これにより、確実に今ここを生きることが難しくなります。人によっては、今ここを生きるという哲学は怠惰で軽率だと考えるかもしれません。

現在に意味を与えるのは過去や現在です。この流れは静ではなく動の一部です。未来の設計には、自分がどこから来ているかを知ることが大切です。環境的視点から考えてみると良いでしょう。あなたが今環境に対しどのように接しているかが未来に影響します。

疲労と闘っているのであれば、一度立ち止まって人生とは何かを考えることが重要です。ここで、人生に意味を見出せないこともよくあります。人生に意味を与えることは、自分の思うように生きるために非常に重要です。自分の行動や選択が何に動機づけられているかを知ることが欠かません。

輝かしい目標が必要だということではありません。人生に意味を与えるとは、自分にとって何が重要かを知り、それを優先にそれに沿って行動することです。家族、愛、子どもがあなたの人生の意味かもしれません。明確な目的があってこそ、目標の達成のために時間をとり、一生懸命働くことができます。

今ここをつかみ取り楽しむことができると、その記憶は将来あなたにとって非常に価値あるものになるでしょう。それがあらゆる感覚とつながるようになります。これを「熱い記憶」と呼ぶシャーマンがいます。「熱い記憶」とは、知性から生じる「冷たい記憶」とは違い、忘れられない記憶で、心地よさを生むものです。

一方で、パフォーマンスを大事にして忙しく働きすぎるために、生活の小さな幸せを感じることができない場合、自分の人生には内容がないと感じてしまいます。これが、一般に「中年の危機」と呼ばれるもので、このような生き方の結果生じています。

今ここを生きる

 

人はなぜ、今ここを生きることをあきらめるのか?

今、幸せで生きていると感じることは、喜びの源になります。しかし立ち止まり感謝することができなければ、これが叶うことはありません。作家のサラ・バン・ブラナックは、ありがたいと思う5つのことを毎日日記につけることを推奨しています。これにより、自分は思っているよりも豊かであることに気づきます。

私達は長い間、「あなたの現在は、過去に左右されている」「将来はあなたの手にかかっている」などという言葉を聞いてきました。この言葉により、現在の価値は不要、目に見えないもの、非活動性と結び付けられています。そこで私達は皆異なり、人より弱い人がいるということを忘れてはいけません。つまり、不確かな思いであふれている人にとって、このような言葉は不安やパニックの原因になりかねません。

人生で起こることすべてと向き合うことが、癒しへの唯一の道です。今ここを生きることで、出来事や状況において本当の自分の感情を知るチャンスが得られます。そうすると、思っているよりも実際は悪くなかった状況や問題があったことに気づくでしょう。多くの場合悪いことが起きているのは頭の中だけです。先入観や偏見、破滅的な考えを解き放つことを恐れず、オープンな心で世界に目を向けましょう。

「Carpe diem! 生きているうちに、喜び、その日を楽しみ、一生懸命に生き、あるものを最大限に活かそう。人生は思っているより短いものだ」

-ホラティウス-