オリーブ・オートマン:青いタトゥーの女性

· 2018年5月30日

オリーブ・オートマンはあごに青いタトゥーを持ったミステリアスな女性として知られています。子どもの頃にインディアンのヤバパイ族に拉致され、その後にモハベ族に連れていかれました。最終的に彼女は兄弟によって救出され、その経験を基に、彼女はサバイバルと人間の強さについての講演を行うようになりました。

もしかすると、もうこの話を耳にしたことがあるかもしれません。この話の主人公である彼女の穏やかな顔は私達を惹きつけます。しかし、彼女の目、そして原住民族のタトゥーは彼女の全体的な見た目とは相反します。彼女は、19世紀の教育を受けている美しい女性以上の経験を持つ人物なのです。

オリーブ・オートマンは2つの悲劇を経験し、それは彼女の人生に影響を与えました。まず、彼女はヤバパイ族の襲撃によって家族とはぐれてしまいます。そして、そのあとモハベ族という部族に第二の家族として連れ去られてしまったのです。

オートマンはその時代の一般的な女性とは違います。彼女は人生の大きなトラウマを乗り越えた人間なのです。彼女を助けようとした人はたくさんいました。そして彼女は無事生き延びたのです。そんな彼女の人生についての詳細は、マーゴット・ミフリン「Captivity of the Oatman Girls」(1856)と「The Blue Tattoo:The Life of Olive Oatman」という本を読んでみてください。

今回は、その中でも彼女の人生であまり話されていないことについて紹介したいと思います。それは、オートマンは救出されてからモハベ族と暮らしていた時ほど自由を感じたことが無かったという事実です。実際に、約100年後にオートマンがネイティブアメリカンと住んでいた場所には彼女の名前が付けられました。そして、興味深いことにそこで住んでいた時、彼女は今までで一番幸せを感じていたのです。

アリゾナ

オリーブ・オートマン:何年もの捕虜、そして何年もの自由

1850年、コロラド州の乾燥した壮大な風景の中、遠く離れた孤独な道のりには動物や車、そして「新しい世界」に定着しようと期待する人達のいるキャラバンがありました。しかし、新しい世界にはすでに原住民がおり、征服しようとやって来た外国人に土地を渡すつもりはありませんでした。

その「征服する為にやって来た外国人」の中にいたのがオートマン一家です。彼らはジェームス・C・ブリュスター牧師が率いるモルモン教の教徒でした。ブリュスターの厚かましい「前進突撃」という姿勢は彼らに災害を招いたのです。

結局、ブリュスター一行は土地のことを何も知らず、警告を無視しながら進みました。彼らの目的は固く、すでに土地に所有者がいることに気付いていませんでした。その所有者こそが、野性的かつ暴力的なヤバパイ族だったのです。

そして、ヤバパイ族はやってきた者をほとんど殺し、オリーブ・オートマン(当時14歳)と彼女の妹であるアン(8歳)の2人の女を奴隷として連れて行くことにしました。

そのトラウマ的な悲劇はまだ終わりません。ネイティブアメリカン達は白人を軽蔑し、彼女たちは何年も虐待、空腹、そして屈辱によって苦しめられました。しかし、彼女たちの運命は、近くに住んでいたある部族によって変わることになるのです。

オートマンとインディアン

モハベとの生活

その部族はモハベ族でした。彼らは2頭の馬と引き換えに彼女達を助けたのです。その取引が終わった後、オリーブとアンの新しい生活が始まりました。そして、その生活は全く異なったものだったのです。

彼女達はエスパネセイとアスパネオという家族によって引き取られ、小麦やポプラの森のある美しい土地に住むことになったのです。その場所では、彼女達は毎晩フレンドリーな人達と一緒に眠りにつくことが出来ました。

そして、モハベのコミュニティの団結を示す為、彼女達は伝統的なタトゥーを与えられました。このタトゥーは死後の団結を保証し、モハベの宗教的シンボルとされていたものです。

この数年の間に、彼女はヤバパイ族に家族を殺され、新しい家族にも出会いました。しかし、それだけではなく、さらに困難なこともありました。何年も干ばつが続き、多くの子どもが飢餓で死んでいきました。その中には妹のアンも含まれており、姉である彼女は元々の宗教(モルモン教)で妹を埋葬する許可と土地をもらい、そこで植物を育てたと言われています。

オリーブ・オートマンのタトゥー

オートマンが20歳くらいの頃、モハベの村にカリフォルニアのユマ砦から伝達人がやって来ました。伝達人は白人の女性がいることに気付き、返してもらうようにモハベ族に頼みました。

しかし、上記でも書いたようにオートマンはモハベ族に捕虜として捕まっていたわけではありません。モハベ族はいつも彼女にいつでも好きな所へ行っていいと伝えていたのです。しかし、オートマンは白人の言う「文明」には興味を示さず、戻ろうとしませんでした。彼女の人生は上手くいっており、彼女は幸せだったのです。

それでも、弟のローレンスが彼女を見つけた時、彼女は帰る決断を下しました。ローレンスはヤバパイ族の襲撃によって親が殺された時にオリーブ達も殺されたと思っていたのです。彼女はモハベを離れることにして、弟と帰っていきました。それは、とても困難な決断で、後に彼女はその決断によって後悔することになったのです。

オリーブ・オートマン

青いタトゥーの女

そして、彼女は「青いタトゥーの女」と呼ばれるようになりました。用意されたヴィクトリアンドレスは彼女のあごにあるタトゥーは隠すことが出来ませんでしたが、腕や脚に入ったタトゥーについて他の人は気づきません。そして、ドレスに隠されたそのタトゥーは二度とコロラドの太陽を拝む事はありませんでした。

彼女が文明社会に戻った時、オートマンにとって、周りの全てが早く動いているように見えました。彼女の話は本になり、彼女はそのお金の一部を受けとりました。そのお金で大学に行き、弟の訓練の費用もそれでまかない、その後、彼女はアメリカ全土で講演を始め、ヤバパイとモハベでの経験について語ったのです。

本に綴られていること、そして講演で観衆が期待していたのは、インディアン達の野蛮さや無知、そして非人道的な話でした。そのプレッシャーの中では、彼女は嘘をつくしかなく、モハベ族に受け入れられたことは言えませんでした。

そして、1865年に彼女は裕福な牧場主と結婚することになります。そして、結婚する時に、彼は彼女にあることを一つだけ頼み事をしたのです。それは、過去を忘れることでした。彼女はタトゥーを隠し、講演も辞めて徐々に彼の言うとおりにしていったのです。

おそらく彼女は人生の最悪の束縛に屈服し、新しいタトゥーを入れました。そのタトゥーには痛みだけでなく、モハベ族との楽しく幸せだった数年間の記憶が刻まれています。

その後、オリーブ・オートマンは人生の大半をひどい頭痛とうつ病と共に歩み、カナダの病院で過ごしたこともありました。病院では彼女のモハベの家族への憧れを治療しようとしましたが、彼女は65歳でこの世を去ったそうです。