賛辞とは私たちを脅かす風

賛辞とは私たちを脅かす風

最後の更新: 26 1月, 2018

成長とともに私たちは自立心を身につけます

生まれて数ヶ月で、私たちは「はいはい」で動き回ることができるようになります。10歳頃になれば、大人の付き添いなしで外出できるようにもなります。やがて実家を離れ仕事を見つけると、さらに自立した生活が始まります。

このように私たちの人生は、段階的な過程の積み重ねで成り立っています。この人生の中で私たちは多くの賛辞や不平不満を集めながら生き、責任感の大切さを学びながら身につけます。

自立への道を進むうちに避けて通れないのが他人からの影響ですが、これには上司が私たちに与える仕事のような意図的な影響や、逆に上司が部下の意欲と行動パターンを強化するために、心のこもっていない賛辞を送るといった微妙で捉えがたい影響もあります。

ルイスの話

ある日、ルイスはがっかりした様子で帰宅しました。ルイスの母親は息子が落ち込む様子を見て、どうしたのかと尋ねました。ルイスは授業中、先生が黒板に書いた問題を解くことができなかったので、クラスメイトに役立たずと言われたことがとても悲しいと母親に伝えました。

母親はルイスに言いました。

「家の近くの松林に散歩に出かけ、地面に落ちている松ぼっくりを拾ったら、自分が考える悪い言葉のすべてを松ぼっくりに言いなさい」

ルイスは困惑した様子で母親を見ました。その週の土曜日、ルイスがボールで遊んでいると地面に松ぼっくりが落ちていたので、その松ぼっくりを手に取り、多くのひどい言葉を松ぼっくりに言いました。

その夜、夕食の時に母親がルイスに、松ぼっくりに話したかと尋ねたので、ルイスは話したと伝えました。すると母親はこう言いました。

「次の土曜日にもう一つ別の松ぼっくりを拾いなさい。でも今度は、松ぼっくりに自分が思いつくだけの褒め言葉や良い言葉を話しなさい」

ルイスは母親の言う通りにしました。翌日母親が、松ぼっくりに話しかけたか聞いたのでルイスは話しかけたと伝えました。

母親はルイスに尋ねました。

「ルイス、あなたは別の日に松ぼっくりにひどい言葉と褒め言葉を言ったけれど、それぞれの松ぼっくりに何か違いはあった?そしてあなたはその違いに気づいた?」

ルイスはその違いには気づかなかったと言いました。

母親はこう続けました。

「人間も同じなのよ。私たちは悪い言葉を言われても、また心のこもっていない褒め言葉を言われても、自分自身の本質は何も変わらないものなの。だから松ぼっくりの変わらない芯の強さを学ぶべきなのよ。」

木の女性

私たちは皆ルイスと同じ

私たちも人生の中で、幾度となくルイスと同じような体験をしたことがあるでしょう。周りの人からの言葉が私たちの心の深くまで浸透し、負の影響を与えることがありますが、それを事前に防ぐことはできません。しかし自分が受け取る周りからの言葉やメッセージを、適切な視点から客観視することはできます

誰かが私たちの肖像画を描くように、彼らの定義に私たちを当てはめようとするとき、相手の定義や記述が正確であるとは限りません。これは相手が私たちを屈辱しようとしている時や褒めようとしている時も同じです。

実際ルイスも、友達から「役立たず」の烙印を押される前までは、問題を解くことができない程度で、自分を役立たずだとは思わなかったでしょう。

白い花と女性の顔

この類のメッセージに直面する時、内なる自分との対話を心がけることが大切です。他人による基準と判断を課せられる必要はありません。一日の数時間を一緒に過ごすだけの他人は私たちの全てを理解してはいないため、彼らの言葉が私たちが望むものであるかどうかに関わらずほとんどが的外れです。

心のない褒め言葉で今日のあなたを満たしてくれる人も、明日になればあなたを侮辱する可能性があることを忘れないでください。また逆もあります。賛美の波と言う慈悲を受けて進む船、または褒め言葉と言う風に吹かれる葉にならないでください。

周りの言葉からは自分が望む情報だけを受け入れ、他人の言葉のすべてを受け入れる必要はありません。他人の手に自分自身を委ねず、自分をしっかりと確立して生きていくことが大切です。もしも他人の手に委ねる必要があるときは、自分の存在を心から感謝してくれている人たちだけにしてください。


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