幸せの先延ばし:幸せに条件を付けていませんか?
幸せの先延ばしは、多くの人がやってしまっていることです。「転職できたら、生活がよくなるのに」「休みが取れたら、楽しめるのに」「試験に合格したら、大切な人と一緒に過ごそう」などと考えたことはありませんか? もしそうであれば、あなたも誰もが陥りやすい心の状態の餌食になっています。
なぜ、このように考えてしまうのでしょうか?何かを達成したら、ある物が手に入ったら、すべてがうまくいくと信じてしまうのはなぜでしょう? 幸せや快感をなぜ、先延ばしにするのでしょう? 自分を高い(厳しい)基準に合わせるために、こうする人が多くいます。また、効果のある一種の自己破壊だと考える人もいます。
幸せを先延ばしにし、将来は完璧で素晴らしいものであると信じることは、幻想にすぎません。実際、理想的な明日という偽りにより、私達は前が見えなくなってしまうのです。
もっとお金があれば幸せになれる、あるいは、やせるまで海に行かないと決意することは、「幸せ」の本当の意味をゆがめるだけです。
これについて、詳しく見ていきましょう。
幸せの先延ばしは健康にも影響を及ぼすかも
私達は仮定法の中で生きています。私達の思考や欲求の多くが、「もし」から始まるのです。もしお金があったら、すべてがうまくいくのに。もし昇進したら、自分はできる人だということを皆に証明できるのに。もしもっと魅力があったら、パートナーがみつかるのに。このような思いから不必要な苦しみが生まれ、健康にも影響を与えます。
心理学では、このような考えや姿勢を幸せの先延ばしと言います。幸せの先延ばしは、人生で明確な状況や特定の状況をいつも待っている人を表します。一方で、特に、何かを達成するために時間や努力をする場合、待つことも正当だとされます。例えば、試験に合格するために友達との時間を減らし、勉強の時間を増やす場合です。
このような場合は、ある目的があり、何かを先延ばしにすることに意味があります。しかし単に幸せを先延ばしにしている場合は、物事を遅らせるのに論理的な理由がありません。自分に対し言い訳を作り、苦しみや不快感を大きくします。一例をあげると、やせたら、または外見が変わったら、もっといい人生を送れるのにと考えることがあります。
今の状態を認めず満足できないために、幸せを先延ばしにしてしまいます。あらゆる可能性を秘めている現在の自分に注意を向けず、楽しむことができないのです。
なぜ人は幸せを先延ばしにするの?
幸せになるのは難しいことだと思われがちですが、心理学的観点から言うと、非常にシンプルに定義されます。幸せとは、自分を愛し認めることです。意義のある生活を送り、困難な状況に向き合うための、認知的リソースや社会的なサポートネットワークがあることです。これ以上でも以下でもなく、これだけなのです。
あなたも幸せを先延ばしにしてるのであれば、次のような問題が考えられます。
- 自分が何者であるか、また自分が手にしているものに満足していません。自分に欠けているものに関して常に不安を抱えています。
- 今傷つくことと向き合うのが怖い、あるいは、自分の嫌いなことを変化させたくないという恐怖を抱えています。
幸せを先延ばしにしていては、幸せは手に入りません
オーストラリアにあるチャールズ・スタート大学の哲学教授クライブ・ハミルトンは、『Carpe diem? The deferred happiness syndrome』と題する記事を書いています。この記事によると、社会が、手に入れることのできない「ニンジン」を私たちに追いかけさせているのだと言います。
私達は常に実体のないものをつかもうとしています。それを手に入れることはほぼ不可能にもかかわらず、憧れを抱きます。幸せでないために憧れを抱くのです。このような不幸せの原因は仕事であり、生活の環境、消費社会にあり、私達は気持ちを高めて幸せになるためには何かが必要だと思い込みます。いい携帯電話、いい服、素敵な家があれば、より良い生活を送れると社会が私達に思い込ませているのです。
また、「存在すること」、自分を見つける、自分の願いや、大切な人との時間が限られていることも原因のひとつです。少しの勇気を出し、自分の好きなことやニーズに調和した生き方をし、気分を高める決断をすべきだとハミルトン教授は言います。明日のことを考え動くのはやめにしましょう。立ち止まり、今この瞬間に自分を見出すのです。