思慮と恐れ

· 2018年6月16日

思慮とは、人間の個性に根付いた美しいものです。思慮を大事にすると、為すことすべてに後輪がさすようです。アリストテレスはそれを、寛大で正しい行動だと言いました。教会の人間の四徳のうちの一つです。

最近では、この思慮が別の意味で使われています。注意深さと結び付けられます。行動する前に考える人、悪いことが起こるのではないかと心配し、やめてしまうことを思慮と呼ぶようになっています。思慮深い人は、状況に応じ、速度を緩めたり、注意深くもなります。

 

「思慮に少し狂気を合わせることも時には必要である。」

-ホラス-

 

昔、思慮深い人は他にも美徳を持ち合わせると言われたものでした。一方で、思慮という言葉は、決断力やモチベーションに欠け、不安であるという意味でも使われます。その違いを知ることがとても重要です。

 

ポジティブな思慮

思慮にはとてもポジティブな面があります。先見の明、先を見通す力です。ただの予想とは違います;論理的な理由があります。この動きで自分がどう変わるか、状況を判断し、自分に反映させるのです。

決断する時、思慮と先見の明が基盤になります。これらの美徳が成功の道へとあなたを導き、より多く、正しい選択ができるようになります。問題を解決する助けにもなります。もし、間違った場合にも、思慮がそれを和らげるのです。

綱渡りの女性

思慮の反対は衝動です。リスクや危険を伴う決断をする時、思慮がカギになります。知性、自省、自制と深く結びつく美徳です。複雑な状況で、価値を発揮します。

 

過度の思慮と感情

注意深いことと思慮深いことは違います。状況によって、思慮は勇気も与えます。そうでなければ、思慮はただの恐怖心ということになります。

過度の思慮は美しくありません。感情を処理するときに問題になってしまいます。思慮も行き過ぎると、現実が私達を脅しているように感じてしまいます。その結果、災いや不快の原因となるような行動を避けるようになります。そして、変化を拒みます。彼らの言う思慮深い選択とは、自分が知っている世界にしがみつくことです。

このような気持ちになる人は、正しい決断や成功へつながりにくくなります。停滞してしまいます。全てのリスクを避けることは不可能です。リビングやベットさえ、100%安全だとは言えません。天井の落下、飛行機事故、泥棒の侵入…いつも、危険にばかり目を向けていると、平和に暮らすことは一生無理でしょう。

 

思慮か臆病か?

過度の思慮はちょっと違った形で表れることがあります。一つは完璧主義です。完璧主義者はすべてに甲冑を求めます。全てにおいて、ミスを避け、コントロールしようとします。注意力よりも恐怖心が大きいようです。この行動の裏には、被害妄想があります―手綱を緩めると最悪の事態が起こる、という考えです。

恐怖と向き合う男性

行動しないことへの言い訳として思慮を使う人がいます。この人たちは注意深いのではなく、臆病でノミの心臓の持ち主です。いつでも、心構えができているとはかぎりません。ただ、それが、自己成長につながる可能性を秘めていることもあります。結果が予測できないために「ノー」と言う人は、人生に 「ノー」と言っているようなものです。

精神が健康な人は、チャンスを受け入れます。これは、無謀とは違います;計算、予想し、計画を立てるのです。為すことすべてに保証があるわけはないのです。

思慮深い人は、ミスがつきものだと分かっています。知恵と経験をもって、それを恐れる必要はありません。思慮は恐怖でなく、責任なのです。