セーレン・キェルケゴール:実存主義の父

2019年8月2日
セーレン・キェルケゴールの研究は、彼の人生の本質を決定づけた二つの要素に基づいていました。それは愛と信仰です。

人々は、キェルケゴールは人生最後の日までレギーナ・オルセンを愛していたと言います。しかし彼の人生の目的は、心身ともに全てを哲学とキリスト教信仰の研究にささげることでした。このデンマーク人哲学者・神学者は、愛する人と共に人生を歩むことが出来ない痛みを抱えて生きていかなければならなかったのです。しかしそのおかげで、彼は類まれなる遺産を後世に残すことにも成りました。

キェルケゴールの研究は、主に信仰に焦点を当てています彼は、絶望の中で救いと均衡に達することは、信仰を通してのみ可能であると言います。この観点は、ヘーゲルのドイツ観念論に対する反応でした。実際に、当時キェルケゴールを特徴づけたのは、彼の言う「偽善者ぶった」宗教団体に対する批判だったのです。

彼の人生を決定づけた二元性は、『おそれとおののき』、『哲学的断片』、『誘惑者の日記』などの作品の中にはっきりと見て取れます。愛、苦しみ、そして神学に身をささげることに対する不可能なほどの情熱が、哲学界でも最も重要で興味深いこの人物の過酷な人生を特徴づけているのです。

デンマークのキリスト教会が、神は理性的で善い行いに報いてくれるはずだとした一方で、キェルケゴールの考える神は献身ではなく恐れを求めていました。彼の哲学は、20世紀の実存主義の基礎を築き上げます。彼は人間の主観性を定義し、その他にもジャン=ポール・サルトル、フリードリヒ・ニーチェ、アルベール・カミュといった偉大な思想家たちを刺激しました。

「情熱を失うよりは、情熱の中で自らを見失う方が良い。」
―セーレン・キェルケゴール

セーレン・キェルケゴール 実存主義の父

セーレン・キェルケゴールの伝記

セーレン・キェルケゴールは1813年、コペンハーゲンの裕福な家庭に生まれました。彼の父親、ミカエル・ペザーセン・キェルケゴールは非常に信仰深い羊毛商で、実存に対して非常に保守的な考えを持った人物でした。母親のアーネ・セェーヤンスダッター・ルンは、若い使用人だったのをミカエルが妊娠させて妻となった人でした。この事実により、キェルケゴールは自分が罪深い行為の産物であると考えるようになります。

若きキェルケゴールはスクール・オブ・シビック・ヴァ―チューに通った後、コペンハーゲン大学で神学を勉強しました。しかし、彼の主な興味は哲学と文学であった、というのは興味深い事実です。

若いキェルケゴールにとって最も重要な瞬間の一つとなったのが、15歳のレギーナ・オルセンに出会った時でした。彼は大学を終えると、レギーナと婚約します。しかし彼の父親が1838年に亡くなる直前、キェルケゴールに神父となって神と勉学に身を捧げることを約束させます。この約束が重荷となり、最終的には愛する人との人生は破滅してしまうのです。キェルケゴールはレギーナとの婚約を破棄すると、ベルリンへと移ります。

この後の10年間が、彼にとって思想家として最も生産的な時期となっていきます。

愛、罪悪感、苦しみ

1843年、キェルケゴールは6冊の著書を出版します。その一つが、以降彼が語り続けることになるテーマ、つまりレギーナへの愛について詳細に書かれた『おそれとおののき』でした。この著書の中で、彼は自身の罪、苦しみ、そして信仰への献身について語っています。同年、コペンハーゲンに戻った彼は、レギーナがフレゼリク・スレーゲルと結婚したことを知り、これによってキェルケゴールには彼女とのチャンスがもう残っていないことが明らかになったのです。

セーレン・キェルケゴール 実存主義の父

彼の著書の中でも優れているものと言えば、『哲学(的)断片』、『人生における諸段階』、『不安の概念』などです。『不安の概念』では、彼は人が危険に直面したときに経験する思考や現実について説いています。

様々な不幸で一人ずつ家族が亡くなっていき、最終的に生き残ったのはセーレンと兄弟のピーターだけでした。彼らの父親は、二人が呪われていること、罪の影が常に二人の上にかかっていること、そして若くして死ぬだろうということを言い続けました。皮肉にも、その「預言」は現実になります。キェルケゴールは42歳の若さで亡くなってしまうのです。

死因ははっきり分らぬままでした。彼はある障害や様々な病気に苦しみ続けました。それでも、彼は私たちに偉大な文学的・哲学的遺産を残しています。そして、彼のレギーナに対する深い愛情は、その遺書にレギーナの名前が残っていたという事実が証明しており、晩年のキェルケゴールについての興味深い点です。

セーレン・キェルケゴールが残した遺産

ウイリアム・ジェームズは、次のキェルケゴールの言葉を良く引用しました。「人生は後ろを振り向くことでしか理解できない。しかし、人生は前を見て生きていかなければならない。」デンマーク人哲学・神学者の偉大な言葉です。

彼は、生きるということは正しい選択肢を選ぶことを知ることである、と世界に教えてくれました。私たちが下す一つ一つの決断が、私たちが誰なのか、そして何を残していくのかを定義する実存を形作っていきます。またキェルケゴールは、人々が不安と苦しみについて理解できるように労力を注ぎました。どちらも人生の一部であり、痛みから解放される唯一の方法が信仰である、とキェルケゴールは言うのです。

セーレン・キェルケゴール 実存主義の父

ペンネームと実存主義

セーレン・キェルケゴールは、ほとんどの著書を様々なペンネームを使って出版しました。ヴィクトル・エレミタ、沈黙のヨハンネス、アンティ・クリマクス、ヴィギリウス・ハウフニエンシスなどがその例です。彼がこれらの仮名を使用したのには、非常に具体的な目的がありました。それぞれに異なる思考を象徴させるということです。

この手法が、彼の言う「間接的コミュニケーション」を形作りました。仮名を使うことによって、異なる視点について掘り下げていくことが出来たのです。それと同時に、キェルケゴールの一つの目標は、人々に生き方を教えることでした。そのために、「実存の三段階」という概念を作り上げます。

  • 第一段階は「美的実存」と呼ばれる。悦び、快楽主義やニヒリズムに基づいた生活を送ること。
  • 「倫理的実存」は、人々が自らの責任を負うことが出来るようになる段階。この段階では、人は善悪の見分けがつき、正しく行動できなければならない。
  • キェルケゴールにとって最も高い段階「宗教的実存」。この中で人は神と個人的な繋がりを作り上げ、それを通して最も崇高な目標を達成する。

不安の哲学者、皮肉の哲学者

アルベール・カミュは、キェルケゴールを「皮肉の哲学者」だと定義しました。キェルケゴールは常に信仰を第一に置く一方で、デンマークのキリスト教会を批判し続けました。彼は自分の愛する人と一緒になることを拒否しながら、彼女を愛することを止めず、レギーナは彼の作品のインスピレーションであり続けたのです。

同様に、常に宗教的精神を養うことを強調しながら、彼自身は美的、倫理的実存の段階にとどまり続けました。

もう一つの側面が、後にカフカ、ウナムーノ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインといった偉大な著者たちを刺激した考え、つまり消えることのない感情である不安です。不安は、人生には様々な選択肢があることに気づかせてくれるものでもあります。虚無感の中に飛び込んでいくこともできれば、一歩下がって別の解決策を見つけることも出来ます。苦しまなくても良い選択肢は常に存在するものですが、苦しみそのものは、私たちを成長させてくれるものでもあるのです

    • Garff, Joakim (2007) Søren Kierkegaard: A Biography.  Princeton University Press