それは偶然ですか?運命ですか?

· 2018年1月17日

偶然はいつも好奇心や魅力を生み出します。時には、全てが不思議と同時に起こったように見え、何の関係のない状況でも一致したと感じるのです。その結果、人はこのように偶然発生したものを何か力強いものと結び付け、それが偶然によるものなのか、運命によるものなのかと疑問に思うのです。

偶然は心配と疑問の大きな要素でもあります。それは哲学からオカルトなど、様々な視点から研究されてきました。そして、人生が始まった時から存在するものです。なぜ生まれたのか?、なぜこの家族と、この国で、このような状況で、なぜ他人とは違うのだろう?、そこには理由があるのか、それとも単なる運命というものなのか?などと思ったことがあるはずです。

「偶然のようなものはありません。私達には単なる事故でも、とても深い要素が運命からきているのだと感じるのです。」-フリードリヒ・シラー-

偶然と運命の両方は、統計によって支持されるものから、超常現象のようなものまで、ありとあらゆる種類の理論をもたらしています。精神分析家、フロイトの最初の信者、そして思考についての心理学のの生みの親であるカール・ユングは、この現象に彼のキャリアの多くを捧げ、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)に興味深いを理論を提唱した一人なのです。

偶然と運命はどのように説明されているのか?

偶然と運命に関して初めて疑問を投げかけたのは医学の父、ヒポクラテスでした。この賢明なギリシャの医者は宇宙における全ての構成要素は、「隠れた親和性」と関係していると語っています。言い換えると、私達はただ知らないだけで、そこには全てを説明できる法則があるという事なのです。

宇宙に向かって歩く男性

ドイツの有名な哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーは同じように考えました。「個人の運命は必ず他の誰かの運命と適応しており、それぞれが自分自身の物語の主人公であって、同時に他の人物の物語でも役割を持っている。そして、これは私達の理解を上回るものなのです。」

ジークムント・フロイトの概念が影響を与え始めた頃、カール・ユングはその概念に「集合的無意識」という決定的な概念を与えました。彼はそれを、私達の意識を超え、全ての人間に共通する内容と定義しました。それは、記憶、ファンタジー、そして私達が皆持っている気づいていない欲望を含んでおり、集合的無意識は人間の無意識なコミュニケーションの起源で、私達が偶然と呼んでいる多くを説明するのです。

後に、カール・ユングはシンクロニシティの概念を「出来事の一時的な同時発生」と定義しました。それは、お互いを補う要素を含んだ2つの状況の合流と言われており、時間が経つにつれ、ユングの理論は呪術的思考へと導かれていきました。

運命は存在する?それとも作られたもの?

ユングの理論はとても魅力的ですが、それだけが偶然と運命を説明するものではありません。精神分析の父であり、ユングの先生でもあるフロイトにとってそれは真逆でした。彼の考えでは、運命は全く存在しないもので、人間は発生した全てのものに意味を与えようとする頑固な主張を持ったものと語っています。また、それは神経症が人々にトラウマ的な状況を繰り返す影響を持っているからだとも述べています。

タンポポの綿毛

古典的な精神分析では、何もそのもの自体に意味はもっていないと言われています。人間の欲望やトラウマがそれに意味を与えているというもので、人間は何もないところに意味を見出す傾向があるということです。「道を歩いていた時に誰かとぶつかった。そして、その人は私の人生の愛へと変わった。」と人は言います。しかし同時に、30回ほど誰かとぶつかり、それが愛へと変わらなかった事があるでしょう。実際には、「私の人生の愛」というのは幻想なのかもしれません。美しいものですが、他のファンタジーと同じものなのです。

神経生物学者達は、脳内にドーパミンが増加する時、全てのものにパターンを見つけようとする傾向がある事を発見しました。それは、ただの偶然に意味を与え、それが奇妙な事や実際には関連がないものでも関連性を見つけようとするのです。

おそらく、私達が運命として見ている状況は無意識の導きによるものでしょう。私達は気づく事なく、一定の状況や経験を求めているのです。そして、人間は私達の思うほど運命というものから自由ではないかもしれません。無意識なファンタジーや欲望は私達が運命と呼ぶものをデザインするのです。不思議な色合いを持つ道を与える事で一定の満足感が味わえるということなのです。

空を泳ぐイルカ