許すことは理解するという事
許すことは、美徳だと言われます。どんな事でも許すことが出来る人もいる一方で、故意に傷つけようとしてきた相手を許すのは非常に難しいという人もいます。どうすればその両者の中間に立つことが出来るのでしょうか? 許すという事は、理解するという事です。
それは他人があなたにした事を忘れるという意味ではありません。筋の通らないことを当然の事のように受け入れるのではなく、それでいて怒りの感情をひとまず横に置くことを理解することが大切なのです。心の健康を保つためにバランスの取れた「許し」をが出来るようになりましょう。
「勇敢な人だけが許すという行動を取ることが出来る。臆病者には出来ない。本来持ち合わせていないのだ。」
₋ ローレンス・スターン ₋
許しは心の中から始まる
許すことは人の行いを気にしないようにするという意味ではなく、苛立ちや不快感をそのまま流してしまうという事です。これらの感情は即座に怒りへと繋がり、生活や自分を傷つけた人との関係性に支障をきたします。事実、許すという行為は起こったことを水に流すことで、それは未来の自分自身を守る事へと繋がります。
人を許そうと努力したり考えたりはしますが、自分自身を許すことを忘れてしまいがちです。完璧な人などいません。誰もが間違いをおかします。私たちは達成不可能な基準を定めそこに到達しようともがくことが多々あるため、このことを理解する事がとても大切なのです。このあがきは挫折感、不安感、そして自分に対する怒りをもたらします。
自分は他の人と同じただの人間なのだという事を認める事が、自分を許す第一歩となり、次へと進むことが出来るのです。何か間違いをおかしたと思ったら、その事を繰り返し考え続けるのではなく解決法を探しましょう。
行き先のないグルグル回るだけの思考パターンは打ち壊してしまいましょう。代わりに先を見通した問題解決法を見つけることが大切です。道は2つです。間違いを正すか、その方法がないならこの先同じ間違いをおかさないよう何が出来るか考える事です。
許しは、誰でも失敗する事はあるという事を理解する事
自分は完璧ではないのだという事を認められたら、他人も同じくそうなのだという事をしっかり覚えておきましょう。他人の失敗より、自分の間違いを受け入れる方がずっと簡単です。自分に対する期待と同じように、他人にも大きな期待を寄せてしまったりします。
「許すことは他人の限界や欠点を重要視したり、深刻に考えない事である。代わりにユーモアを持って"君がそういう人間じゃないことは知っているよ"と明るく受け入れる事である。」
₋ ロバート・スペーマン ₋
他人に対して実際は出来ない事を、出来るはずだと期待してしまう事は多々あります。ですが人がいつもあなたの期待に応えられるわけではないことを理解しましょう。そうすることで、人の失敗や間違いを許すことが出来るようになります。自分に対しても同じことです。怒りを水に流せるよう努力してみてください。
もう一度言いますが、他人の間違いについて頭の中で繰り返し考えても、何の意味もありません。もしどうしても気になるのなら、なぜその人がそうしなければならなかったのか理解しようと努力してください。それは人との関わりをオープンにし、起こった事の解決法を探すことに繋がります。
許しは理解する事:物事全てを受け入れろという意味ではない
人の行い全てを許すべきだと言っているわけではありません。自分の権利と必要性を尊重しましょう。他人から受けたダメージを無条件に受け入れ続けていたら、自分の幸福感や自己肯定感を傷つけてしまいます。
「人の過ちを許し続ける事は、過ちを犯していない人への不公平である。」
₋ バルダッサーレ・スティリオン ₋
自分の心に耳を傾ければ、どのように行動すれば良いかヒントを得ることが出来ます。他人との境界線を上手く引けるようになり、自分を守ることが出来るようになります。
完全に全てを許さなければならないわけではないという事を学ぶために、何が起こったのか、自分の怒りの裏には何があるのかを良く考えてみてください。そうすれば、本当に責任を取るべき人に、起こった事の責任を取らせることが出来ます。
誰が悪いなどと指を差して責めるわけではなく、責任を公平に分配するという事なのです。誰かをただ許す前に、彼らの行動、皆の期待、好ましい結果について話し合いましょう。自分と他人の必要性のバランスを図る事が重要なのです。