優越感:不安定な人の特徴
私達はみな、自分のことをとても安定した存在であるかのように演出し、そんな自分を自慢する人達を知っています。頭を高く掲げ、彼らは何でも知っているかのように振る舞い、誰も自分のレベルに辿り着くことはないかのように振る舞います。こうした人は優越感の雰囲気を醸し出していることで知られています。彼らは、自分のことを賞賛する人や被害者を側におくことで、自分が他の誰よりも優れていると思っているのです。
「エゴが顔を覗かせるのは自分がどれだけ不安に感じているかに直接関係している。」
謙遜はこうした人を象徴する特徴ではありません。彼らは常に他の人よりも目立つことができそうなあらゆるものに対してプライド高く、偉そうに振る舞うのです。しかし、そうした彼らの振る舞いに、それ以上の物があるのでしょうか?こうした振る舞いはただ深く複雑なものを隠す仮面だったりするのではないでしょうか?
優越と自己欺瞞
他人をいじめる人のことを考えてみて下さい。彼らは見かけほど強くありません。なぜなら、恐怖を植え付け、自分を尊敬させるために他人を害する必要があるからです。しかし、内面では彼らは見かけほど勇敢ではありません。彼らには隠している深刻な問題があり、それを身の周りの人に投影しているのです。
同じことが優越感を纏っている人にも起こっています。自分の友人にも示す軽蔑の裏には、隠蔽しようとしているずっと根深い問題があるのです。こうした状況は彼らに情緒的に自立した自分の仮面を着けさせようとしますが、この欲求が満たされることはありません。
人類には身の周りにある問題を否定するという偉大な能力があります。そして時に、目の前で現実を直視したとしても、依然としてそれを否定する図太さを持っています。時にそれは恐怖からであったり、時には恥からであったりします。優越感を纏った人の場合、彼らの最大の問題は彼らにとりつく心の不安定さなのです。
もちろん、自尊心がここで重要な役割を果たしています。こうした状況では、他人より優れていると感じるかそれとも劣っていると感じるかのかのどちらかです。優越感を纏った人は自分が他人よりも優れているように振る舞い、相手を辱めることで自分の不安定さを隠します。そうすることで自分がもっと自信を持ったように感じられるのです。
優越感を纏った人はあなたを見下す
人が他人よりも優れているように振る舞うようになる要因の一つは、子供の頃にいじめられていたということがあります。こうした人が大学に行く年になると、未来の攻撃やハラスメントから自分の身を守るために自分の振る舞いを大幅に変えてしまうということがあり得ます。
こうした理由から、彼らは最初から、他人を踏みにじり自信を見せつけなければならないと思っているのです。そうすることで、また他人に踏みにじられないように、本当の自分ではない誰かを演出しているのです。彼らは自分が犯した失敗は決して認めず、他人を責めます。また、自分は身の周りにいる人にとって模範になるのだというポジティブな意見をもって、知ったかぶりに傲慢に振る舞うかもしれません。
この優越感を満足させるために、彼らは自分に従い注意を払ってくれる人が必要なのです。そして、もしそれができない時には、彼らは落ちぶれ者のように感じ崩れ落ちてしまうのです。これが彼らがとてもメロドラマチックな理由であり、自分より優れている人を笑い飛ばして本当のリーダーは誰なのかを見せつけようとする理由なのです。
不運なことに、遅かれ早かれこうした状況は終わりを迎えます。そして、そうなると、彼らの自尊心は傷だらけになるのです。問題を無視することはその問題を悪化させるだけに過ぎません。そして、その問題がもう修復可能でないとなると、その問題は抵抗し難しい力と共に自分に逆らうものとなるのです。
「自己欺瞞ははじめは温かな救済の場であるが、後に冷たい牢獄となる。」
仮面を被ることは決して良い選択にはなりません。解決の糸口は、安心して自分に自信を持っていられるように感じさせてくれる均衡のとれた自尊心を探索する中で見つかります。自分を他人を傷つける誰かとして演出することは、あなたに自信を持たせてくれるようになったりしません。少なくとも長期的にはそうです。心の中では、ひどい空虚感と不安定さを感じ続けることになるのです。
ですから、優越感に浸りたい問題を抱えている誰かと一緒になることがあれば、その度に気をつけましょう。そのように振る舞ってしまっている責任は、彼らが経験してきたひどい状況のせいで、彼らにはありません。もし彼らに対し手を差し伸べ助ける機会があるのならば、そうして下さい。もしそうしないのであれば、その人とは距離を置き、彼らが自分の不安定さの問題を自分で解決するようになるまでその人が従うべき道を行かせてあげて下さい。
さぁ、あなたは今、自分の美徳(それが安定さ、強さ、勇気、または知性であれ)を大袈裟に言い、自分は他人よりも上であると振る舞う人は、実は美徳に対して自信がないからそうするということがお分かりでしょう。それは、たとえそれがもっと害を及ぼすことであっても、彼らにとっては自分を守る方法なのです。