愛が依存になる時

· 2017年11月14日

依存」という言葉は環境によって課された特定の状況、制限、または規制のことを指します。例えば、生きているためには、私達は食べたり、飲んだり、寝たり、息をしたりすることに依存しています。

こうした意味で述べたのは、誰もが生存するのに絶対的に必要なものについてのお話です。生きていくためには特定の物が必要で、依存していると認識することは全くもって理にかなっており、利益になることです。

その一方で、相対的に必要なもので、私たちが依存していないものもあります。そうしたものは人生をより良くするための好みです。それらがなくても、人生を通常に生き続けることができることでしょう。

例えば、もし壁に釘をめりこませたかったとしたら、金づちが絶対に必要だということは馬鹿げたことです。なぜなら、例えば重い石など他のものも道具として使えるからです。金づちは相対的に必要な物です。しかしながら、石に比べれば望ましいものです。なぜなら、もちろん、金づちの方がより心地よい物だからです。

この違いが理解できれば、心理学の分野、特に愛についても容易に適用することができます。私達は幸せになったり生存するためには愛が必要だと誤って信じています。しかし、この分野における研究がなされていながらも、その研究のどれもが、被験者の幸福やその欠如が人生において愛があるか否かにかかっていると結論づけることができていません。

ハートの錠

人生において愛、特に誰かからの愛が必要だと考えると、相手に依存してしまうことになってしまいます。それはあたかも、そうした愛がなければ自分の人生で普通の道を歩むことができないかのようです。依存はあなたを鎖で縛るのです。

あなたはまるで生存し潤うために水が必要なように相手が必要となります。しかし、その必要性は単に頭によって作り出されただけなのです。

 

愛か依存かをどうやって区別するのか?

感情的依存の牙にかかっていると気付けるような目印があります。

 

相手が自分をひどく扱うことを許している

相手を理想化するあまり、愛において、特にこの人と共になると、「全ては耐えるに値する」と考え、相手が自分のことを見下したとしてもそんなことは関係ない、相手が変わってくれるだろうと考えてしまいます。しかし、心の底では、そんなことは決して起こらないと分かっており、苦しんでいるけれど相手に立ち向かったり、その関係を去ったりすることをひどく恐れたりします。耐えられない仕打ちに耐える方がいいと思ってしまうのです。

 

相手がいない時不安になる

愛や相手を必要なものとして見ているため、相手が常に側にいないと怖くなります。なぜなら、それは愛を失うかもしれないということを意味するからです。または、相手がどこにいて何をするのかをあなたがコントロールできないということを意味するからです。それはまるで、飲み水を見つけられなくて喉の渇きから死んでしまうようなものです。それと同じくらい不安になりますが、違いは水は現実において必要不可欠なものだということです。

 

愛なしでは人生には意味がないように感じてしまう

相手なしでの未来という考えを非常に恐れます。愛や相手なくしては、幸せになれない、何も楽しむことができない、永遠に独りなんだ、等と考えてしまいます。こうした極端に非現実的な思考の全ては、あなたが機能するためには愛が必要だと言う信念の産物なのです。しかし、依存がそれに対する答えではありません。

がんじがらめの二人

その関係が始まってから自分らしくあることを止めてしまった

かつて情熱的に行っていた事を計画したり、そうした活動をもうしなくなり、また友達とすらあまり会わなくなってしまっています。今は、パートナーが好きなことを好んでするようになり、まさか興味を持つとは思ってもいなかった物に没頭すらしています。つまり、あなたは以前のような偽りない人間ではなくなってしまったのです。むしろ、パートナーに執着するようになり、心の底では、これがあなたを空虚な気持ちにさせているのです。

 

依存を止めるいくつかの対策

もしあなたが上記のどれかに当てはまり、自らを閉じ込めてしまった檻から抜け出したいのであれば、独りになるという恐怖に立ち向かわなければいけません。この依存を終わらせるカギは既にあなたのポケットの中にあるということに気づいて下さい。ただそのカギを使えばいいのです!

  • 過剰にロマンチックな思考を調節する。ロマンチック主義はコントロールが可能な限り、正常な量であれば美しく楽しいものです。しかし、もしこれが手に負えなくなった場合、「あなたなしでは、私には何の価値もない」「あなたなしでは私は死んでしまう」「あなたがいないことが苦しい」等といった間違った考えを巡らせ始めるようになるかもしれません。私達の文化が根付かせたこうした考えは、常にある喪失の脅威という不安を膨らませることしかしません。
  • あなたはパートナーの所有物ではない。そして、相手もあなたの所有物ではない。「私の彼氏」「私のパートナー」「私の夫」といったことを言いますが、この「私の」というのは単なるコミュニケーションツールです。現実には、その人は自由であり、あなたに属しているわけではありません。彼らがあなたの人生と関わるようになったのは彼らがそうしたかったからであり、そうしたいと思った時にあなたの意思とは関係なくあなたの元から去ることができます。従って、自らを執着から引き剥がし、彼らは今あなたのパートナーであり、ある意味あなたと人生を共有しているけれども、いつか彼らはこの世に生きる別の人になるかもしれないこと、そして彼らなしであなたが生きていくことになるであろうことを理解し始めるべきです。
花畑の女性と蝶

  • 自分の信念を見直すこと。なぜその人の愛が必要なのでしょうか?その愛をどうするつもりなのでしょうか?どうしてその愛が欲しいのでしょうか?それは満足と幸せをもたらしてくれますか?それともそれを超えるものなのでしょうか?幸せになるためにあなたにとってパートナーが必要といったことはどこに書かれているのでしょうか?
  • 自分の行動を変える。こうした非現実的な思考と信念を改め始めたのなら、それらを行動として実践する必要があります。パートナーがどこにいるかをチェックしたり確認したりすることを止め、相手に対して不必要な説明をすることは止めましょう。

相手と一緒にいることを楽しみながら、尚且つ、自分独りでいることも楽しんで下さい。パートナーがいるからすべきことをするというのではなく、自分の好きなことをして下さい。パートナーがあなたの新たな変化を受け入れたなら、それは素晴らしいことです。もしそうでなければ、逃げて下さい!その人はあなたにふさわしい人ではありません。そして、あなたもその人を必要としません。幸せになるために他の誰かに依存する必要はないのです。