アレハンドラ・ピサルニクの名言

アレハンドラ・ピサルニクの名言

最後の更新: 14 9月, 2018

アレハンドラ・ピサルニクの言葉は感受性豊かで、他にはない明快さがあります。アルゼンチン出身で、ロシア移民の家庭に生まれました。不安定で幸せとは言えない人生を送りました。

アレハンドラ・ピサルニクは、幼少期・青春時代を通して傷を負っています。喘息や吹き出物に悩み、太り気味でした。反対に、姉は、親から見ると「完璧」でした。そのため、彼女は反抗的で内向的になりました。これは小さな女の子が置かれるべき状態の正反対です。そして、幼い頃からアンフェタミンやバルビツレート(覚せい剤、麻薬)を服用するようになりました。

「なりたい自分の仮面をかぶり、過去の自分をおどかそう。」

-アレハンドラ・ピサルニク-

精神分析が行われた後、彼女は一時的に落ち着きました。そこから、知的な才能を発揮し始めたのです。アレハンドラ・ピサルニクは自身の人生を元にした美しい詩を生み出し、それらは忘れがたい言葉ばかりです。彼女は36歳の時、自ら命を絶ちました。ここでは、記憶に残る彼女の言葉を紹介します。

アレハンドラ・ピサルニクの言葉

真実:生きるために働くことは、生きることよりも馬鹿げている。働くことの類義語として生計を立てる」という表現を定義したのは一体誰だろう。そんな馬鹿者はどこにいるんだろう。

彼女の反抗的な面、批判的精神が表れています。この言葉だけで、アレハンドラ・ピサルニクの怒る様子が想像できます。仕事を批判しているというよりも、仕事と人生が同一視されていることを問題視しているのです。人生とは働くことだと仮定することで、生計を立てる、または仕事場でしか能力を発揮しないという状況に陥ってしまいます。

花と本

詩の意味

詩の意味について多くを語っています。なぜ、詩は存在するのか?アレハンドラ・ピサルニクはこれについて、美しく優美な答えを出します。詩は人を癒すことが目的です。癒し、修復、浄化のパワーを込め、詩的な言葉は作られます

彼女はこう表現します「詩は有能なセラピーだと言われる。これには、詩は追放であり、修復でもあると言う意味がある。詩を書くことは、傷の本質的な部分を修復することだ。人は皆、傷を負っているから。

二面性と存在

アレハンドラ・ピサルニクは、私達の中に存在する二面性について言及しています。同じ時にある二つの思いです。アイデンティティは流れるように変化し、完全に定義されることはありません。彼女の中にも、傷ついた少女と不屈の女性が存在していました。

想像の世界をさまようなんて素敵。自分の死体から起き上がり、自分を探す。旅人となり、風で崩れた場所で眠る彼女へ向けて出発する」これには、今は過去の自分とは違うけれど、永遠に存在し続けるという意味がこめられています。死ぬこと、そして、新たなものとして再び誕生すること、それでも死体を内に抱えていることです。

女性

 

探すこととめまい

アレハンドラ・ピサルニクの残した美しい言葉のひとつです。「探すこと。動詞ではなく、めまいである。行動ではない。誰かに会いに行くことではなく、誰も来ないため、ただ横になっていること。」ここで言う「探す」には、やってくるものや人への期待が込められています。

本当に欲しい何かがめまいの原因になり、感情が分からなくなります。今存在している感情や存在していない感情、何が特別なのか分からなくなります。誰かが来るのを待っている時、人は活動的ではありません。言葉のないものを待つことは苦しいものです。それが遅れると拷問のようで、死んでしまいそうに感じます。

罪のない目で

期待せず、偏見を持たず、先入観を捨て、罪のない目で物事を見ましょう。何かを見つけようと見るのではなく、見えること、考えることに感謝します。次は、罪のない目と無に関する言葉です。

鳥と横顔

 

何より、罪のない目で見よう。何も起こっていないかのように。」何も期待せず、無を見るかのようにということです。空虚の瞬間の愛に欠けた状態をうまく表現した言葉です。

アレハンドラ・ピサルニクは、長い間苦しみ、悪夢であったうつ病から回復することはありませんでした。何度か精神科に入院したこともありました。死ぬ前に書いた言葉を最後に紹介します「行きたくない/どこにも/底にしか。


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