ビュリダンのロバのような人々
「ビュリダンのロバ」って何だろう?と考えている方がほとんどでしょう。遠い昔から私たち人間は、ロバを様々なたとえ話やおとぎ話に用いています。特に子供向けの物語には、蟻などの虫や、豚、そしてロバが登場します。
ビュリダンのロバ
ビュリダンのロバとは、出典は定かではないものの、知識と自由意志の問題を論ずる際に用いられた例えとして知られている中世の物語の主役です。 具体的には、ジャン・ビュリダンが主張していた理性、理論、そして合理性に対して、自由な意志が必要であることを主張するために用いられたと言われていますが、それ以外の理論を批判する際にも役に立つ可能性があります。まずこの歴史的なロバの話を学びましょう。
ビュリダンのロバの物語
この物語に出てくるロバそのものは特別なロバではありませんし、いくつかの異なる物語がありますが、最も知られているのが「空腹のロバが左右ふた方向に分かれた辻に立っている。それぞれの道の先には同じ距離の場所に同じ量の干草が置かれているがどちらも良いと考えているうちに選択できず餓死してしまう」という物語です。
また別のバージョンは「干草と水が同じ距離に置かれているがどちらも選ぶことができず、空腹と脱水症状で死んでしまう」というものですが、どちらの場合も、この物語の中でロバは、非常に合理的な存在であり、どちらかを選ぶことができずに死んでしまうという結末になります。
右か左かを選ぶことができずに死んでしまうのは馬鹿げた話のように聞こえるかもしれませんが、実は私たちの多くがこのロバのような考えや精神状態に陥ったことがあるでしょう。私たちが決断を下す時に迷うと、距離などの目先の尺度が魅力的に映るかもしれません。
決断を下すときには、選択肢を深く観察し、その長所と短所を評価することから始めてください。その後は、自然に選択肢の一つが消滅します。また最悪のケースではどちらの選択肢も消滅し、手元に何も残らないことがあります。優柔不断さは最高のチャンスを奪う泥棒です。
ビュリダンのロバのような人
この愛らしいロバと同様に、矛盾した状況に対応できない人は過剰に合理的な人々であり、ほとんどの場合、ロバと同じく最悪の結末を迎えます。時間や他人は、過剰に合理的な人々のために決断を下すことはないため、このタイプの人は最終的な決定を下すことができません。そのため、選択肢の一つを削除することで決断を下そうとします。
グループとして彼らの行動も特徴的です。ビュリダンのロバのような人は、同じように魅力的である2つの計画の間で自分が決断を下すことは決してありませんが、グループ内で誰かが選択をした後、それを逆の方向に引っ張る人です。つまり、ビュリダンのロバのような人は本質的に静止していますが、前述したように、誰かが決定を下すと反対の主張を始め、同じグループの仲間を「ひどく苦しめる」傾向があります。
自分の周りにビュリダンのロバのような人がいると、ついついこのタイプの人を許容してしまいます。このタイプの人は最低限の意思決定や選択肢を提供します。またビュリダンのロバのような人は、精神的な妨害や合理性の妨害に苦しむことを恐れている一方で、自分が抱える問題について周りの人々に話す傾向があります。そしてこのタイプの人は高度な分析力や理解力を身につけているため、短期間で状況を詳細かつ全体的に評価することができます。
企業もこれを知っているため、ビュリダンのロバのような人を特定し、また別のタイプの人物の特定の状況下での行動を分析します。政治家も同様です。 つまり彼らは、現実を冷静に分析にするのに優れていますが、自分の決定事項を現実にうつす瞬間がやってくると、途端に静止します。
合理性が限界に到達したことを示す例をご紹介します。米テレビドラマ「ビッグバン☆セオリー ギークなボクらの恋愛法則」の登場人物であるシェルドン・ クーパーをご存知ですか?このドラマの中では、彼が実際に、ビュリダンのロバと自分自身を比較する場面が登場します。 ドラマの内容については省略しますが、第10シーズンの第7話で現れるシーンです。
テレビドラマの次は、洋服店に話を移します。2つの洋服を手にして試着室に向かう人がいるとご想像ください。この時点ではどちらの洋服が予算に近いのかはわかりません。このタイプの人は洋服店でその優柔不断さを発揮し、どれだけ辛抱強い友達やパートナーでもイライラしてしまうほど相手を怒らせるのが得意です。
人間の意思決定は客観的な価値観の違いではなく、価値観の違いの認識に基づいているため、二つの選択肢に直面したときに、本当はどちらを選ぶか心は決まっているのにもかかわらず、自分の意思では決定できないという状況に陥ります。