中国の素晴らしいことわざ7選
中国のことわざの多くはもちろん「古くから伝わってきた」ものです。自分達の学びとして出来たものもあれば、伝説から成り立ったものもあります。全てのことわざには教訓という目的があり、何世紀にもわたって受け継がれた文化で、知恵を伝える為に残された教育法なのです。
ことわざには「成語」という中国語が使用されており、ほとんどのことわざが4文字で作られています。日本で使われている漢字と同じで、一つ一つの文字が広範囲の意味を持っている表意文字です。
「深海にいる動きの無い龍は、蟹の捕虜になる。」
-中国のことわざ-
中国のことわざを特徴づけるとすると、その優雅さが挙げられます。その詞的な表現が比喩をより現実的にしているのです。また、このようなことわざは長きにわたり世界中に広がっています。ですので、今回は素晴らしいことわざを7つ紹介したいと思います。
意思に関することわざ
アジア人の中でも特に中国人は意志の価値に対してとても深い感覚を持っています。中国人はこれまで歴史的に巨大な災害を経験し、それを何度も乗り越えてきました。その為、彼らは強くとどまる力に大きな価値を見出しているのです。「強い魂には意志がある。弱い魂には希望しかない。」ということわざもそれを表したものです。
また、中国のことざわの多くには、自分の運命を切り開く能力を強調するようなものが存在します。「鳥が頭を通り過ぎていく悲しみを防ぐことは出来ないが、頭に巣を作るのを防ぐことは出来る。」というのも運命を表したことわざです。
山と命
山は中国で比喩に使われることが多い言葉で、困難や障害を意味します。その例を一つ挙げてみましょう。「山を動かすことは、小さな石を取り払うことから始まる。」、このことわざはアジア文化の強さの源である忍耐を表現しているのです。
もう一つ同じような考え方のことわざがあります。「若く到着する為に、老人のように山を登る。」も忍耐について表現しており、障害物には老人のようにゆっくりと賢明に直面しようという意味を持っています。そして、山の頂上に到着し、障害物を乗り越えた人は若くなるのです。
信頼の本当の意味
「最も良い扉は空きっぱなしの扉である。」という美しいことわざは、真実の多くを語っており、非常に良い詩的表現です。
この言葉にある扉は防御的な人を象徴し、彼らは自分自身に安心感を与えるため、価値のあるものへのアクセスを防いでいます。しかし、他人の願望が侵入しないことを祈りたくても、その壁を完全に信用することはできないのです。
過度の純粋さ
純粋と不純はいつも宗教や哲学、そして文化の面で一般的なトピックとなっています。また、私達はほぼいつも純粋さを肯定的に捉え、不純を否定的に考えているでしょう。しかし、この中国のことわざは反対の意味を表しています。「完全に澄み切った水の中で生きられる魚はいない。」
これは完璧な人間性の欠如を表現しています。その為、生命の無い水が「不毛」と呼ばれているのです。生命がある限り、そこには矛盾は生まれ、それこそが「不純」なのです。しかし、それは素晴らしい不純であり、全ての生命のルーツでもあるのです。完璧さではなく、間違いのあるものから生まれる正しい答えを忘れないようにしましょう。
いつも前へ進む
他のアジアの文化のように中国も静止を愛する文化があります。西洋とは異なり、忙しくいることに強さではなく弱さが見えているのです。数世紀にわたる彼らの歴史の創造を見ても、中国はゆっくり変化することを象徴するロールモデルなのです。次のことわざは面白い視野でそれを上手くまとめています。「ゆっくり動き続けることより立ち続けていることを恐れよ。」
これは活動的でいることの重要性についてを語っている言葉ですが、決して常に動き続けるという意味ではありません。これは一歩ずつ前進するプロセスを表現したことわざで、目標達成までが遠くても進み続ける限り必ず辿り着くことを表しています。
中国のことわざは知恵と美しさの終わりなき源と言えるでしょう。また、彼らの言葉において最も愛らしいのは直接的な表現でなく、ほのめかすように意味を伝えることです。「すでに準備された」絶対的真実を伝えるかわりに、一人一人がその意味について考えられる言葉であり、それこそが中国のことわざが魔法的な理由なのです。