ファットフォビア:歪んだ社会概念の産物

ファットフォビアは非常にひねくれた社会的構成の一つです。体型の多様性という人間の共通要素を恐れるようになったことが原因になっています。

最後の更新: 26 1月, 2021

社会の大半が普通だと考えるものの反対を生きることには、負荷が伴います。社会にはたくさんの規則があり、それぞれのコミュニティにおいて克服すべきとされる壁が作られています。社会的に作られた神話をほとんどの人が膨らませており、当然その多くは害のあるものです。ファットフォビアもその一例で、生きるのに必要だというふりをして、フラストレーション、痛み、アイデンティティの歪みにつながるだけの代物です。この現象は、BMI(ボディマス指数)が「正常」より高い人に影響します。

「太っている」ことには様々な意味合いがありますが、多くがネガティブなものです。不安定な人から利益を得ている人たちに思い込みや憶測が生じています。実は、多くの企業がこれを利用し利益を得ようとしているのです

「着痩せするとよく聞くから、今日は黒の服を着た。でも結果は、暗闇の中で彷徨うこととなっただけだ」
~ デイヴィッド・レヴィサン ~

ファットフォビアの起源と偏見

BMIが正常と言われる範囲より高い人は、自分に満足していないと多くの人に思われがちです。実際、あなたもその一人かもしれません。これは文化により教えられた考え方なので、無理もありません。そういうものだと思ってしまうのです。それだけでなく、太っている人は意志が弱く、食べ物を食べずにいられない、あるいはジムに行くことをあきらめていると勝手に思っているかもしれません。

文化は自己中心的考え方を強化します。自分は違うと考えることで、自分の気分を良くすることもできます。自分はケアができており、強い存在だと感じる、そのために人は痩せているのです。太った人は自分の体が嫌でありながら、意志が弱いために変えることができないと考えます。彼らは弱く、ジャンクフードをやめることができないと思い込まされています。

太った人は自分自身が好きであると考えるより、こう考える方がずっと簡単です。自分がどれだけ自分のことを抑えているか考えてみてください。たくさんの楽しいことをあきらめているでしょう。強さの問題なので、太った人は変えたくても変わることができないと考える方が楽です。しかし、このような考え方は、誰でも自分の体を管理することができるという考えを大きくします。「きちんとする」と、太ることはないという考えができます。ですが現実はそうではありません。

人の反応

多くの人が、体重過多の人を可哀そうだという目でみます。病気の終末期の人に対する反応と似ています。「会えてよかった」と言うかわりに、「残念です」「がんばって」などという言葉をかけがちです。あるいは、ダイエットに成功した知人を紹介しようとするかもしれません。

自分が傷つく時

ファットフォビアは最も人を制限してしまうものの一つです。これは、自己拒絶や自分の一部を嫌うことが関係しているためです。自分を嫌うことは死のようなものなので、自分を傷つけることになります。ですが多くの人がこの道を選んでいます。自分を体から切り離し、無視しようとします。甘い言葉をかけてくる販売員を無視するときのように。

これに伴う代償は非常に大きなものとなります。自分の体を嫌う人は、体が出すシグナルに目を向けません。痛みを無視し、気づいた時には手遅れで、後戻りはできません。そして症状を過剰な体重と結び付けます。これはすべての始まりであり終わりでもあります。

体重過多かつファットフォビアの人は、スポーツやプール、長時間のシャワーを楽しむことができなくなります。人が自分の体を見ることよりも、自分で自分の体を見ることを主に嫌がります。耐えられない自分の体を隠そうとするのです。

自分の体を嫌い、認めることができなくなります。生活が戦場になってしまうのです。ですが、ファットフォビアは学習された自己検閲で、不自然な欲求の結果であることも少なくありません自分に対してさえも、ほとんど思いやりがなく、理解しない、大切にすることができない厳しい裁判官により、常に罰されているような状態にあるのです。

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