人はなぜ身体醜形障害になるのか?

29 5月, 2020
自分の体に満足できず身体醜形障害になってしまう主な理由は、社会的圧力と関係しています。人は、主要なメディアによって作られた美のスタンダードに見合うように努力します。このような組織により、私達は自分がある種の夢のような型に自分がはまっていないことを嫌い、自分を高く評価しません。これはすべて、必要のない物を売るために行われているのです。

具体的な美のスタンダードがあると、人は自分に満足できず、身体醜形障害になることがあります。自分の体を受け入れられない時に生じるのです。身体醜形障害になる主な理由は、多くの人が自分の価値に安心し、認めるられていると感じるためには、完璧な容姿を持っていなければならないという危険な考えにはまっていることにあります。残念なことに、そのために人生で最も無駄な苦しみを抱えてしまっているのです。

実際、人の価値を体型で測ろうとする人は世界中にたくさんいます。また、美しい人が人生で得をするのも事実です。例えば、恋愛での選択肢が増えたり、仕事でもより多くの機会を得られたりします。

私達には、それぞれ二つの選択肢が与えられています。その選択肢とは、この考えに受け身的に賛同するか、あるいは自分で制限を設けるかのどちらかです。誰もが身体的欠点を一つ以上持っています。問題なのは、この欠点の大きさをマーケティングの観点から測ろうとする時です。そしてここが、自分の体に満足できなくなる出発点になってしまうのです。

身体醜形障害

完璧にならなければというニーズ

なぜ自分は完璧でいなければならないのか、ということを考えるべきではありません。そうではなく、マーケティングの世界が自分に課している美のスタンダードと自分が、まったく同じである必要があるかを考えるべきです。当然、このような美のスタンダードには、多くの利点もあります。しかし、自分もそうなろうとすることで、自分に多大なる害を与えることにもなりかねません。

実際、自分の体を受け入れられない人はたくさんいます。それは、自分を完璧なモデルと比べて評価してしまっているためです。現在私達はとても視覚的になっており、理想的な美を象徴する人を常に目にしています。そのため、鏡を見てがっかりしてしまうのです。

身体的理想は、生まれた時からずっと脳に刻まれています。そのために、これを無視することは容易ではありません。多くの人が、身体的に完璧であることが普通であり、そうでない人は変わり者だと考えます。しかし、実際はこの反対です。雑誌に写る人のような身体の持ち主の方が少ないのです。

身体醜形障害の人

自分の体を受け入れられない場合、特に鏡の前に立つとき、自分を批判しがちになります。自分の欠点を見つけるのがクセになり、厳しく自分を評価します。顔が丸い、耳が大きく飛び出している、脚が細すぎる、お尻が大きすぎる、あるいは自分の鼻が嫌いだという人もいるでしょう。このような自分に鞭打つような考えには限りがないので、フラストレーションがたまるだけです。

あるいは、気になる部位が隠れているのであれば欠点も認められるという人もいます。例えば、ハイヒールを履いて背を高く見せる、ガードルを付けてその週に食べたたくさんのデザートのなごりが人に見えないようにするなど…。そして、鏡を見たときに隠すことのできない「小さな問題」は無視します。

多くの場合、自分の体を受け入れられないのは、鏡に映った自分の姿をよく見ることができていないことが原因になっています。身体的欠点を隠したり無視したりすればするほど、そこが気になりはじめ、少なくともそれが自分の内面の深い所に刻まれます。自分自身を素直に受け入れることは、自分の美しさ、そしてあまり美しくない部分を認めることです。とてもシンプルなことなのです。

身体醜形障害

なぜ、人はありのままの自分や他人を受け入れられないのか?

この質問に対する答えは単純ではありませんが、悪意ある自己像を作っているために、自分の体を受け入れられないと言うことができるでしょう。自分の目を通して自分を見つめているのではなく、ビューティー・コンテストの審査員であるかのように自分を見てしまっているのです

マーケティングにより課されている美のスタンダートから、鏡と自分との闘いが作られ、そこから巨額の売り上げが生まれています。大会の審査員の目であなたを見て、あなたを失格とする人によりこれは行われているのです。ここで、あなたを批判する人も、鏡と闘っているということを忘れてはいけません。あなたは自らの自己批判を緩和しようとする人のとばっちりを受けているのです。

中でも、一番してはいけないのは「自分は牛みたい」「おばけみたい」などと言い、自分に対して無礼なことを言うことです。身体醜形障害の人は自分にこのような態度をとってしまいます。

最後に、自分は人間なのだから不完全であるということを認め、それを大切にしましょう。人の目から見てあなたが「美しい」かを気にすることはないのです。

Aulagnier, P. (2015). Nacimiento de un cuerpo, origen de una historia. The International Journal of Psychoanalysis (en español), 1(5), 1619-1658.