学習性無力感:錨のように沈んでいく心

2019年7月6日
学習性無力感は私たちの感情にとって毒となるものです。自己破壊につながるような一連の心的事象を引き起こします。

学習性無力感は、心理学の中では比較的新しい概念です。しかし、鬱に関連するものであるという事実から、かなり知られるようになってきました。学習性無力感とは一体何なのでしょうか?その名の通り、これは学習された行動です。すなわち、自分自身を守る必要性がないと信じ込んでしまう状態です。学習性無力感を抱える人は、ある特定の分野において、自分には有能になるためのツールも能力も十分にないのだと信じてしまいます。

先ほど、”守る”という表現から”有能になる”と言葉を変えました。しかし、これらの言葉は同じものを示しているわけではありません。実際に、自分自身を守る能力は、自分の持ち得るあらゆる知覚能力のうちの1つであると皆さんも理解していらっしゃるかもしれません。ではなぜ最初に”守る”と書いたのでしょうか?それは、これが学習性無力感に関して最もよく研究されている文脈だからです。

ではこの起源をいくつか見ていきましょう。この概念の一部を最初に研究したのは、オーバーマイヤーとセリグマンでした。彼らの研究は、古典的条件付けオペラント条件付けとの間の関係性に焦点を当てたものでした。彼らは、ある特定の条件下では、犬はシンプルな回避反応を学習することができないことを発見しました。この条件とはまさしく、その犬たちにショックを与えるような条件です。

実験の初期の段階では、犬たちはそのショックに対してどう対応することもできない、と学習します。そして、彼らはそのショック以外の部分に関心を移してしまうのです。その条件から抜け出すことができないと学習してしまったのですから、なぜわざわざ抜け出そうとする必要があるのでしょうか?ホルヘ・ブカイは、彼のかなり有名な物語の中で、この考えについて触れています:過去の学習がどう私たちの現在そして未来の行動を条件づけるのか、というものです。

人々の抱える学習性無力感

学習性無力感について好都合な点の1つが、倫理的に許容可能な実験を通して人々をこの状態にさせることが比較的簡単だという点です。これにより、科学者たちは管理された状況の中で学習性無力感について研究することができます。例えば、2つの異なるグループに、文字をいくつか与えてそこから単語を作るように指示します。もし一方のグループにはあらかじめそれと同じタスクをやらせ、その難しさのせいで1つも単語を作ることができなかった場合、2つのグループは全く異なるパフォーマンスをするであろうことが私たちにもわかります。

この場合、被験者には何のショックも嫌悪刺激も与えられませんが、現在直面している困難に挑む際に過去の経験がその人物にとって妨げになります。もし過去にその経験をしていなければ、立ち向かうことができたかもしれないのです。先ほどの例に戻りますと、過去に30分間別の単語リストに挑戦した人々は、最終的に自分たちには達成できないチャレンジだったのだ、と学習してしまいます。そして、別のタスクを与えられてもそれに取り組む労力を節約しようとし始めました。

結果として、彼らにはかなり簡単な単語すら見つけられなくなります。実際、開始してしばらくすると諦めてしまい、無力感を感じてしまうのです。

また一方で、無力感に苛まれてしまったグループをその状態から抜け出させてあげることができれば、彼らを助けることができます。どうやって?例えば、彼らに難易度は先ほどより下がった、と伝えれば良いのです。または、もう一方のグループもなかなか単語を見つけられずにいる、と伝えるのです。そうすると、無力状態から抜け出し、再びどうにかしてみようという意欲が湧いてくるのです。

鬱に見る学習性無力感

相対的に言うと、鬱状態に陥ると多くの人が諦めてしまいます。例えば、鬱を抱える人は数ヶ月職探ししただけでもう就職活動をやめてしまうでしょうし、あるいは何回か不愉快な社交経験のあと友人たちと外出するのをやめてしまうでしょう。このような人々は、自分には状況を変える力がないと分かると行動を起こすのをやめてしまいます。言い換えると、彼らには努力した結果がただ突っ立っているだけで何もしなかった時の結果と同じであると学習してしまったということです。

この経験は、彼らの自己概念を傷つけます。自分のすることがうまくいかないのは、自分の持つ特性が関係しているのではないかと考え始めるのです。自分は頭が悪く、魅力がなく、価値がない、と信じ始めてしまいます。諦めに加え、自分自身に対する負の感情も抱くようになるのです。つまり、自尊心が低くなっていきます

またその瞬間から、自らを奮い立たせる元となるようなものも失い始めます。何をするにもモチベーションを感じられません。同様に、自らの背負っている重荷の深刻さを感じ、光を失っていくような感覚に陥ってしまいます。そして、その人物がたどり着く答えは、単に何もしないのが一番だ、というものになってしまうのです。問題なのは、そんなことをしてもさらに自分たちの絶望を深めるような内部対話に繋がるだけだということです。

お分かりの通り、学習性無力感は即座に人の精神に影響を与えるわけではありません。しかし、内臓器官や精神的な柱に攻撃を加え、次第に破壊するような毒です。そしてその結果、その人物は錨のように沈んでいってしまいます。正確には様々な要因やそれぞれの人の特定の行動の仕方が絡んだ複雑なものであるため、ご自身が鬱状態にあるのではないかと疑われる場合は専門家に助けを求めるのが得策でしょう。

  • Seligman, M. (1991). La indefensión aprendida. Debate.