遅かれ早かれ、半分だけの真実は嘘へと変わる

· 2018年1月10日

事実を告げれない勇気のない者の中でも、事実の半面だけを伝える人ほど悪い人はいません。なぜなら、真実と嘘を混ざて言ってしまう人は、遅かれ早かれ、全ての嘘を暴露してしまうからです。詐欺がいくら良く見えるよう偽装されていても、それは有害であり、周りもダメにしてしまいます。嘘のように表面に浮き上がってくるのです。

ウナムノは、この世には良い愚か者はいないと述べました。彼らは自分達のやり方で、私達の意表を突く為にはどうやって演じるのが効果的か全て知っているのです。そして、この社会にそれを超えるものがあるとすれば、それは愚か者でも、天才でもありません。それは、半分、又は部分的な事実であり、私たちの身近に存在するものです。特に政治の世界で見かける事が多いでしょう。

「あなたは真実の半分だけを伝えたのですか?もし残りの半分を伝える時、彼らはあなたが二度、嘘をついたと言うでしょう」

-アントニオ・マチャード-

部分的、又は、誰かを傷つけない為の嘘をつく人は、何も間違った事はしていないと感じるでしょう。この人は、誰かに対する責任から免れていると感じます。しかし、「情け深く」なる為に情報を省略する事は、相手に全ての責任を負わせる事になるのです。誰かが「あなたの事は大好きだけど、距離が欲しい」や、「君の仕事や努力にはとても感謝するが、君なしでやった方が良いみたいだ」などと言うときです。

嘘が少しでも誰かを傷つける可能性がある限り、私達は事実を好み、必要とすべきなのですそれが物事を前進させる唯一の方法であり、真実は正しく心理的戦略を使う力を与え、私達の助けをしてくれます。また、真実は私達の安心できない気持ちや、感情的な不安定さを取り払い、間違った考えを正してくれるのです。

涙を流すリンゴ

半分だけの事実の苦い味

奇妙な事に、嘘に関する心理学的分析は比較的新しいものです。フロイトはこの問題には、あまり触れていませんでした。彼の時代では、モラルについての関係を研究していた倫理学者や神学者の影響で研究されなかったのです。しかし、80年代に社会心理学者達がこれに興味を持ち、虚偽とそのテーマに関する興味深い現象の研究を始めました。そして彼らはニーチェの残した「嘘は人生の条件だ」という発言を裏付けました。

こんな事を皮肉に思ったことはありませんか?幼い頃から嘘はついてはいけないと言い聞かされていたにもかかわらず、4歳になる頃は嘘は役に立つものだ、と気づいてしまうのです。そして、大げさな嘘は長期的には突き通せないと気づくのも明らかです。

並ぶ仮面

しかしながら、マサチューセツ大学心理学科のロバート・フェルドマンによると、私達の日常会話の多くに部分的事実が含まれており、その98%は悪気や害のない機能的なものだという事です(例えば、本当は苦しいときに、誰かに「元気でやってますよ」と伝えるようなとき)。

しかし、残りの2%は「半分の真実」を表しており、それは部分的な事実を省略する事により虚偽を生むこの間違った考えです。例えば加害者は自身を正当化し、非難を避けようとします。そして、もしそれが完全な嘘でないなら問題はないと言うのと同じです。

嘘 vs 誠実

おそらく、私達のほとんどが「半分の事実」を告げられた事があると思います。それは、その日の終わりには完全な嘘と変わってしまいます。誰かが優しさからついた嘘もあるかもしれません、又は、何度も同じ嘘をつき、それを事実と信じたかったのかもしれません。しかし水に浸ったコルクのように真実はいつも浮かび上がってきます。

 

真実を恐れないものは、嘘から恐れるものは何も無い」-トーマス・ジェファーソン-

全ての出来事は関係している、又は、「誰も真実のみを伝える事はできない」などと言われることがあります。しかし事実を伝える練習をする事はとても良い方法で、他人からも正直に話す努力をしてもらう事も可能です。誠実さと率直さは、嘘をつかないという責務と絶対的な繋がりがあり、正直さは自分と他人との関係を親密で、有益かつ、より良いものにしてくれるのです。

今回、私たちは敬意、正直、純粋さ、そして一貫性について話してきました。大事なのは臆病で、消極的な考えになるのを避ける事です。結論として、偽装された事実より悪い嘘はないということです。調和と尊敬の溢れる生活を実現するには正直よりも良いことはありません。その代わりに、誠実さには責任が伴ってくるのです。