ハンナ・アーレントの活動的生活理論

· 2018年11月9日

ハンナ・アーレントは、ユダヤ系ドイツ人思想家です。有名なドイツの思想家であるマルティン・ハイデッガーと共に研究をはじめますが、ナチス政権が台頭した際にドイツから亡命し、アメリカに移住します。ハンナ・アーレントは、全体主義や暴力などの現代の問題にフォーカスした政治的思想を作り上げていきました。

彼女の最も注目すべき功績は、全体主義のもとで人々が凶悪な行いをするよう導いた動機を扱ったものです。最もよく知られた彼女の主張のひとつは、ナチス党の多くのメンバーの多くは実は普通の人々であり、特定の状況下で許されざる行いをしたのだ、というものです。このような条件下でなかったら、決して恐ろしい行いを起こすことがなかったとアーレントは主張しています。また、本人たちもそのようなことをするとは思ってもみなかった、としています。

かなりの批判を呼んだ主張であり、多くの人は不快に感じたようです。拷問し、虐待し、殺人を犯した人の多くは悪い人たちではなかった、と言う立場を彼女は守り続けました。むしろ、彼らは特定の状況によって誤って導かれたと言います。これによって彼女は多くの友情を失うことになりましたが、それでもチャンスがあれば自分が信じたことを擁護しました。

ハンナ・アーレント

遠い昔に起こったことに感じられるかもしれませんが、今でも同じことが言えます。例えば、多くの人はテロリストがおかしいと思っています。しかし、ハンナ・アーレントの理論を用いれば、別の結論に達するはずです。心理的な健康を疑問視するより、組織の中で暴力の道へと人を導いた他の要因を考えるべきです。

ハンナ・アーレントの活動的生活の理論

ハンナ・アーレントの理論では、人間生活において3つの基本的な活動があります。労働、仕事、活動です。労働とは、人間の体の生物学的なプロセスです。

2つ例を示すとすれば、食べることと寝ることです。生活の中で必要な活動ですが、永遠に続くものではありません。その行為を終えれば、活動は終わりを迎えます。生きるためには不可欠でなくてはならないため、自由の余地はありません。

仕事の機能

活動的生活の2つ目は、仕事です。これは、物や結果を生み出す活動で、構築、技術、アート、人が作り出すすべてを含みます。 また、機械や物の製作のような活動もこれに含まれます。

このアクティビティーでもって、自然をコントロールし、物を作り出すために自然の材料を利用します。このアクティビティーは、家などの人工的世界を作り出します。 手に入れるものは恒久性があるため、これは生産とは異なります。 仕事の結果は、生産性があり、使い切るのではなく使うために作るものです。

最後のアクティビティーである活動を行う時、人は自分という存在の上に自己を構築します。だから活動は人によって異なるんです。活動によって多様性が可能になり、他人に見られる違いを認識することができます。

こうやって私たちは、活動を行った人と他の人の間の違いに基づいて、アイデンティティーを得ます。この活動を通してのみ個人というものが生まれ、これを通してのみ、他人との共有で個人的なものが公になります。行動や話すことによって、人は自分が誰であるかを証明するのです。

活動の領域

これらの活動は、特定の領域で起こります。個人的な領域(生産)、社会的な領域(仕事)、公的な領域(活動)です。 公的な領域と個人的な領域の違いは、ギリシャのポリスの習慣に基づいています。

個人的な領域は、家です。この領域では、自由や平等については語れませんが、本物のニーズのコミュニティーです。この領域では、生産を行います。 個人的な領域は、公的な領域の人為的なものに対する自然のスペースです。

公的な領域は、活動とコミュニケーションのスペースです。この領域では、自分がどんな人間であるかを示し、これによって自分の存在が確定します。公的なエリアは共有された世界であり、生産された物体や法律、組織、文化などの無形の物を作り出す行動によって形成されています。

この創造されたスペースによって、恒久性、安定、耐久性が行動や物体に与えられます。活動は脆いものであるため、公的なスペースは記憶でもって安定を与えます。公的スペースには、個人の関心とはことなる市民の関心が含まれます。

しかし、この区別は別の領域、つまり社会的領域の出現で曖昧になります。これは、資本主義経済の市場の産物です。資本主義の社会経済体制は、公的なスペースへの経済の導入です。この公的な領域は、市民の感心によって定義され、個人の関心は公的な意味を帯びてきます。

穴
個人の声を失う影響

経済が公的な領域に介入するとき問題が起こります。シェルター的な役割を果たすため必要とされる個人的な領域は、公的な領域の代わりになります。その結果、個人的な興味と自然の絆は共通の公的な領域を占有します。結果的に、公的な領域と市民の行動はバラバラになります。

ここに全体主義が見えてきます。自分の個人的な興味と個人的な安全を何よりも大切にする、公的な領域におけるケアフリーな個人の勝利です。このようなタイプの個人は、世界と公的な領域に積極的に関わる市民の真逆です。

「個人的な」個人は、自分の興味が関わっていることだけを気にします。そして簡単に社会的・政治的同調にはまってしまいます。全体主義は公的な生活に終止符を打つだけでなく、個人的な生活を破壊して、完全に個人を孤立させてしまいます。