ハラルド・シュルツ・ヘンケ:異端派の精神分析家

2019年9月12日
ハラルド・シュルツ・ヘンケの人生に関して、最も目を引く部分は、権力のある人々に仕える傾向が強かったという点でしょう。彼はナチズムに対する心理療法の構築に貢献しました。これはのちにスターリン主義モデルの枠組みとして使われたものです。

ハラルド・シュルツ・ヘンケは1892年8月18日にベルリンで生まれた、ドイツ人精神科医・心理療法家です。幼少期に関する情報はあまり存在しないものの、母親は筆跡鑑定士で父親は生理化学者だったことがわかっています。彼の家庭は裕福で、私たちの知りうる限りでは、若い頃は順風満帆だったようです。

また、ハラルド・シュルツ・ヘンケは第一次世界大戦の塹壕で従軍したこともわかっており、これが彼にとってトラウマ的な体験となったと見られています。戦争の後、彼は医学を学ぶために故郷の町へ戻りました。この間、彼はジークムント・フロイトの研究に絶大な関心を寄せるようになります。

今回の記事では、このどこか漠然としてミステリアスなドイツ人精神分析家の人生と業績について深く掘り下げてみようと思います。

“成功者になろうとするのではなく、むしろ価値のある人間になることを目指してください”

アルベルト・アインシュタイン

ハラルド・シュルツ・ヘンケの心理分析への傾倒

サンドール・ラドーとの精神分析に関する会合に影響され、シュルツ・ヘンケは心理療法のキャリアを歩むこととなります。しかし、初めの頃は彼はフロイトのセクシュアリティや無意識に対する理論のいくつかの側面には不賛成でした

その結果、シュルツ・ヘンケはドイツ精神分析学会から除名されることとなります。その後、彼はアルフレッド・アドラーの研究を調査し始め、社会学者として認識され始めました。

フロイトとの意見の衝突が、新たな理論を生み出すことにつながります。彼は、新たな精神分析学派を創設しようとしましたが、初めこれには特定の名前は付けられませんでした。

1926年に、彼は心理療法のための国際一般医学学会(Allegemeine Artliche Gesellschaft fur Psychotherapie(AAGP))を創立しました。これは、異端派の精神科医や精神分析家たちをまとめ上げた協会です。彼は、この協会が自らの理論をサポートしてくれるだろうと期待したのです。

ハラルド・シュルツ・ヘンケ 異端派 精神分析家

彼のキャリアの中でも最も賛否両論を生んだ部分が出てくるのは、そのすぐ後のことです。ハラルド・シュルツ・ヘンケは、ドイツの心理分析の中でも、いわゆる”ナチス主義推進派”と呼ばれるグループの主流メンバーの1人だったのです。

ナチスの台頭が目覚ましい中、シュルツ・ヘンケは同僚であるマタイアス・ゲーリングとの仲を深めていきました。その他の精神分析家とともに、彼らはかの有名なベルリン精神分析研究所、のちのゲーリング研究所を設立しました。

彼はまた、国際一般医学学会(前述のAAGP)も創立します。この学会が掲げる第一の目標は、ナチス主義を採用した彼独自の心理療法について教え広めることでした。

同時代の人々の中には、これを日和見主義であるとみなし、彼の側の動きとして弱いものであると考える人もいました。これは、当時フロイトの本が燃やされたりその他の精神分析家が追放されたり迫害されていたのを考えれば不思議なことではありません。

ネオ精神分析

歴史家たちは、ハラルド・シュルツ・ヘンケ、フェリックス・ベーム、カール・ミュラー・ブランズウィック、そしてヴェルナー・ケンパーをナチス主義を推進した”ドイツ医学会の新派”に含まれる作家たちであるとみなしています。つまり、シュルツ・ヘンケは”ドイツ生まれの心理療法”の最前線にいた人物だったということです。

彼の行いを、個人的な信念のためというよりかは政権に媚を売るためのものだったと考える人は多くいますが、彼は自らの考えを形成し、発展させ続けました。彼は自身の理論や手法を”ネオ精神分析”あるいは”ネオ分析”と呼びました。

ハラルド・シュルツ・ヘンケの目標は、従来の精神分析とマルクス主義、そしてパブロフ主義の統合を図ることでした。ドイツが戦争で降伏した後、シュルツ・ヘンケはソビエト支配下の東ドイツで精神科医たちの会合を組織します。

この会合で初めて、彼はネオ精神分析についての自身の考えを発表しました。彼は、この新たな学派は従来の精神分析の全ての矛盾を解消し、また、共産主義理論の最良な部分を統合したものである、と主張したのです。

ハラルド・シュルツ・ヘンケ 異端派 精神分析家

議論を呼ぶ役回り

シュルツ・ヘンケは、ナチス政権に示したのと同様の並外れた献身さでソビエトに協力しました。彼はドイツ民主共和国設立のために奮闘し、スターリン主義の間、フロイト主義迫害に深く関わりました。また、彼はパブロフ主義の考え方にもかなりの関心を示したようです。

国際精神分析協会(IPA)の精神分析家たちは、シュルツ・ヘンケに対してかなり批判的でした。彼らが疑問を呈しているのは、彼の明白な日和見主義に対してというよりは、その考え方の科学的な基盤についてです。この協会のメンバーたちは、彼が”精神分析”という用語をIPAの原理とはかけ離れた理論に対して用いることに対して遺憾に思っていたのです。

こういった批判があったにも関わらず、ハラルド・シュルツ・ヘンケは共産主義支配下のドイツで重要な役回りを演じました。彼は、『Inhibited Man』という有名な本まで執筆したのです。シュルツ・ヘンケは1953年5月23日に東ベルリンで亡くなりました。社会主義社会では彼の考え方は認知されていたものの、ベルリンの壁崩壊の後になるまで、誰もその功績に着目する人はいませんでした。

  • Schultz-Hencke, H. (1951). Sobre el desarrollo y el futuro de los conceptos psicoanalíticos. Revista de psicoanálisis, 8(2), 283-284.