人と違うことは罪ではない

· 2017年10月14日

自分らしくいられる自由があること、他人と違っていて本当の自分であることは悪いことであるべきではありません。パートナーがいてもいなくても幸せであること、自分というキャラクターの強みがあること、健康な範囲でぶっとんだことをしばしば楽しむことは批判されるべきことではありません。

人と違うことが罪なのならば、私は喜んでその刑に服します。

人生に向き合うためには、己の壁をぶち壊さなければいけないと言われます。では、既に自分は恐怖や不安を乗り越えていて、自分を檻の中に閉じ込めようとしているのは他人の方だとしたらどうでしょうか?人は他人と違っていてはいけない、と。自分を自由にし本物たらしめてくれる内面の成長は、身の周りの障害に打ち勝つために心理的にも感情的にも強くあることです。

博士でありパリのネッケル小児病院の精神科医であるイヴ・ペリセルは、一般の人に分かりやすい教養的な精神病についての本を提供していることで知られています。彼女のアプローチは常に同じ原理を擁護しています。それは、心理はユニークであり人と違うという尊厳を私達に取り戻させるべきだということです。私達は自分や他人に対して本当になりたい自分になることを許して初めて幸せになれるのです。

しかし、従うように圧力をかけられる世界で他人と違う存在でいることは個人としての挑戦です。

瞬きする目

自分らしくあるという複雑な冒険

ほとんどの心理学的アプローチは、自分らしくあることの価値や必要性を説いています。しかしながら、この考え方を少し微調整する必要があります。自分らしくあること」は束の間の、あるいは特定の状況から推測される特性ではありません。例えば、もしパートナーが自分の元を去ってしまうとして、それは自分が愛されるに値する人間ではなかったということではありません。もし自分が就職していなくても、自分が出来損ないではありません。

自己受容はこうした無作為な出来事とは関係ありません。または、他人があなたに対して言ったり、考えたり、期待することを受け入れることでもありません。自分らしくあることは、自分のアイデンティティと本質から美しい布を織り、毎日その中に自分を包むことなのです。それはまたあらゆる自分の弱みと強さに誠実であり、前進する中で常に成長しようとすることなのです。

しかし、自分を統一し建設するこの過程は、「自分が本当はどんな人物であるかを知る」という単独の目標へ時間を費やすことでもあります。これはただの典型的な哲学的問いではありません。これには非常に重要な側面が隠されているのです。

自分がどういう人間かを知ることは、生きている人生が自分のアイデンティティーと調和しているかを発見することです。もし自分がポジティブで落ち着きのない夢見がちな人間なのであれば、自分の夢に横槍を入れるような人とは一緒にいられません。

しばしば、自分が本当はどういう人間であるかに気づくと、自分の周りにある物全てが本当の自分とそぐわないといことに気づくことがあります・・・。

鏡の中に手を伸ばす少年

他人と違おう、不完全でいよう、自由でいよう、幸せでいよう

全ての女性に同じでいてほしいと期待する社会で、他人と違う存在であることは簡単なことではありません。それは初めから分かっていることです。私達皆がよく知っている父権性を無視したとしても、ほとんどの近代的な環境では、理想とは違った現実が生じています。

今日、女性は生活の全ての分野において万能なアプローチ、完璧主義を満たさなければいけません。あらゆる女性は仕事で成功することを期待されるだけでなく、時が来れば母親になることも期待されます。しかし、それもただの母親ではありません。仕事、家事、パートナー、家族、友人、そして全てを完璧な体型を維持しながらバランスよくこなすスーパーママでなければいけないのです。

そして、忘れないでほしいのが、そうした女性たちは5歳までに読み書きができる、平等に完璧な子供達を育てる心配をもしなくてはいけないのです。

女性の顔水彩

もちろん、これらは全て良い事であり、それらを全て達成できる女性もいます。しかし、こうした過剰な要求である義務のリストの裏には、全ての女性が同じであるべきだという暗黙のノルマがあるのです。パートナーがいない女性は未だに批評されます。少し体重が重くても幸せな女性は、怠惰さと自己管理がなっていないと批判されます。仕事で成功していても母親になりたくない女性は変わっていると見られます。かといって、母親で公共の場で母乳を与えていると、また辱めを受けます。

現実では、他人と違うことは普通でいる勇気をもつことです。なぜなら、普通でいることは自分の行動と決断の中で自分らしくあることだからなのです。絶対に普通になりえないのは、あなたの人生をコントロールしようとあがく中で他人が築いた形や偏見、期待に捕らわれ流されることです。

間違った完璧主義を褒め称える世間で幸せに不完全であることはあなたができる最も健全な事です。なぜなら、自分の前に現れ、自分を縛りつけようとする全ての鎖を破り、恐れることなく毎日自分らしくあることを楽しむことより良いことなんてないからなのです。